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自作ドラゴンクエストⅡ~悪霊の神々・139

第三章 ロンダルキア


【漂流】
 
 ミチカの夜泣きが治まらないので、マリサはミチカを抱いて、集合住宅から表へ出た。避難民のために造られた仮のすまいは、壁一枚隔てた一部屋が連なる長屋である。天幕より安心できる空間だが、壁が薄いので子どもの泣き声は隣の迷惑になりかねなかった。
 東の空がうっすらと白い。夜明けが近かった。
 ぐずる子どもを抱いて、優しくあやしながら教会の裏を歩く。比較的温暖なムーンブルク地方だが、晩秋を迎え、さすがに寒さが身にしみた。北のサマルトリアでは、もう初雪が降ったという。
 マリサは淡く白い息を吐きながら、途方に暮れて空を見上げた。星がちらちらと輝きながら自分を見おろしている。夜空の星が、死んだ人間の変わった姿だと、誰が言ったのだろう。あの星のどれかが、ムーンブルク城の災禍で亡くなった夫や両親なのだろうか。
 見上げるマリサの両目から大粒の涙があふれ、頬を伝った。泣き疲れて眠っている子どもの肩に鼻先をうずめる。
 これから、どうやってミチカと生きていけばいいのだろう。重苦しい不安に押し潰されそうになる。
 ムーンブルク城下町から逃げ延びた人々は、こうしてムーンペタの町で保護されているが、いずれは自立して生活しなければならない。城の料理人だった夫のように、何か自分にも生業があったらよかったのに。
 娘のミチカはまだ幼い。普段は気丈に母である自分を明るく励ましてくれるが、夜になると泣きじゃくって眠れないことがままあった。炎に包まれた城下町から、大勢の人々と命からがら逃げてきた恐怖と、父親を亡くした寂しさが、ミチカの幼い心を苦しめているのだろう。
(このまま生きていても、二人で苦しむだけなら、いっそ……)
 力のない足取りで歩いていると、賢者アネストの住む湖のほとりに、若い男が一人立っているのを見つけた。見覚えのある背中に、思わず声をかける。
「……アレックさん?」
 もの思いにふけっていたのか、アレックはびくりとしてマリサへ振り向いた。
「マリサさんですか。驚いた……まだ夜明けですよ」
「ミチカが夜泣きをするものですから……。ごめんなさい、驚かせてしまって」
「そうですか。いや、眠れないのはお互い様ですよ。俺も、夜はいろいろ思い出してしまって眠れないんです」
 同じ地獄を見てきた者同士、どこか空虚なまなざしで二人は湖を見つめた。
「……死のうと思ったことがありました」
 ぽつりと、アレックはつぶやいた。マリサは驚かなかった。
「ムーンブルクの兵でありながら、その務めを果たせず、ただ生き延びてしまった……。ならば自分も死んでいった者の後を追おうと。でも思いつめていた矢先、ルナ姫様が俺を救ってくださったんです。死んではいけない、自分を責めてはいけない、と……」
「……ルナ王女様が……」
 マリサは、ムーンペタの広場で演説をしたルナの姿を思い浮かべていた。凛として気高く、そして深い傷と悲しみを背負った顔をしていた。
 次いで、赤黒い小悪魔・ベビルに襲われた恐怖もまざまざと甦り、ぎゅっと両目をつぶる。
 町の者は、行方不明だった王女が今さら現れて演説などしたから、魔物が王女を狙おうと住民まで巻き添えにして襲ってきたのだと、いまだに言う者がいる。
 マリサは、王女のせいだとは思っていなかった。魔物に襲われたことは、今でも恐ろしい。思い出すたびに冷たい汗がにじみ出てくるが、不幸な出来事だったとしか思えない。
「王女様は、あんな恐ろしい魔物と、今も戦っておられるのでしょうか」
「ええ」
 アレックは確信に満ちてうなずく。
「ローレシア、サマルトリア両殿下と力を合わせ、必ずやハーゴンを打ち倒してくれましょう」
「……でも、たとえハーゴンを倒したって」
 ミチカの体が重い。起こさぬよう抱き直して、マリサは小さな声で言った。
「私達の生活は変わらない。主人を失い、家も財産もなくて、どうやって生きていけばいいのか……私だけじゃない。助かった人みんなが、不安がっています」
 アレックはしばらく黙っていたが、やがて静かに言った。
「それでも、この冬は越せます。ローレシア、サマルトリアの姉妹国から救援物資が届いています。それに、ルプガナやアレフガルド、遠くはベラヌールやデルコンダルからも、義援金と物資がぞくぞくと届けられているそうですよ」
 そんなもの、自分達の将来の役に立たない。一時的なものじゃないか。マリサは言おうとして、アレックの目を見た。アレックはマリサの言葉を聞かずとも、すべて理解しているようだった。深い瞳に打たれ、マリサは口をつぐんだ。
 アレックは視線を外し、再び、まどろむ湖の彼方を見た。
「……確かに、今日明日を生き延びたからといって、俺達の生活は変わらないかもしれない。でも、届けられる物資を見ていて、思ったんです。世界は、少し変わったかもしれない、と」
「世界が……?」
「そうです。今まで各国や自治の町は、商売以外では強いつながりを持っていませんでした。けれど、鎖国していたデルコンダルまでが懐を開いてこちらを助けようとしている……。今さらという気もしますが、しかし誰かが働きかけてくれたからこそ、あちらも動いてくれた。ルナ姫様達が世界中を回ってこられた、その足跡が人々の気持ちを動かした……そんな気がするのです」
 マリサは、眠るミチカの肩に顔を押し当て、何も言わなかった。アレックは優しく続けた。
「ルナ姫様達は、俺達一人一人は救えない。けれど、もうあんな悲惨なことが起きないように、もう一度やり直して生きていける世界を取り戻そうと、命を懸けて戦っておられる。高貴な、年若い身を捧げて、懸命に旅を続けている姿を思ったら……自分だけ死んで楽になろうなどとは、恥ずかしい気がしました」
 もし命を絶ったとしても、悲しみこそすれ、責めることはしないでしょうね。アレックは寂しげに微笑んだ。
 マリサはミチカの背をなでた。明日への不安は消えていないが、ミチカはまだ、生きたがっている。
 せめて今日、生きてみよう。それができたら、もう一日。
 そう自分に言い聞かせた。




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