アスパシオンの弟子80 着水(前編)
- カテゴリ:自作小説
- 2016/01/15 15:58:45
レモン。レモン。
その魔人は俺だ。頼むから、妖精たちに伝えてくれ。
その魔人は、我が君アイテリオンに、利用される――
ハッと目を開ける。俺にとってはまた、まばたきする一瞬の間。
今度は、一体どれぐらい経った?
レモン、教えてく……
レモン?!
いつも俺の目の前にいた少女。数えてなかったけど、たくさんの口づけをしてくれた少女。その子の姿が、ない。
一体どうした? あの子に何があった?
『ずっと一緒よ』
そう言っていたあの子はどこだ?
やっと自由になったというのに、俺の頭はそのことだけで満たされた。
アイテリオン様にまっさきに呼びかけるべきなのに、俺の口はレモン! と叫ぶ。しかし声は、出ない。方舟の中は今や真空。音波が伝導しない空間に成り果てているからだ。
割れている天蓋。漂うおびただしい瓦礫。星空がかいま見える割れ目が一層広がっている。
眼下の樹木はすっかり枯れて、灰色の世界。中央に建つ白い建物は無事に在るが……娘はそこにいるだろうか。
翼を動かしてみるが、気体がないので全く飛べない。黒ずんだ体はすっかり凍りつき、思うようにならない。真空では音波が伝わらないから、韻律は使えないだろう。
木々に繋がれた鎖を手で手繰り、地に降りて倒れた木々にとりつく。そこで鎖をちぎる。幹から付き出た枝をつかんで伝い、なんとか白い建物へたどりつく。
建物の突起を手がかりにして屋内に入ると、爆発した後のような光景にでくわした。奥の壁が一部なくなり、建物の裏手に大きな穴が空いている。あたりには、いろんなものが散乱して宙に浮かんでいた。
金属の箱。ひからびた果実。凍りついた毛布。やけこげたような巻物。枯れた植物の植木鉢。たくさんの瓦礫。そして――金属の寸胴な筒のようなもの。
レモン!
近づいて手を伸ばす。
金属のヘルメットの一部分が割れている。まずい。いつからこの状態だ?
うすいギヤマン加工の膜のむこうにみえるまぶたは、閉じている。
レモン! レモン……!
ギヤマンの膜がほんのりくもっている。まだ中にはうっすら空気が残っているようだ。背に負っている酸素ボンベも無傷だが、たぶんヘルメットから漏れでて、残量はほとんどないはず。
何者かの攻撃ではなさそうだ。起きたのは突然の事故?
空気と共に物品がだいぶ流れ出している。幸いなのは、レモンがたぶん俺の封印が解ける兆候をみてとって、金属服を着込んでいたこと。そうでなければ一瞬でこの子は……。
俺はおのが翼で金属服の娘を包み込んだ。ほとんど残っていない空気を、大きな白い羽毛で何とか食い止める。
下界と連絡がとれる機器はどれだ? 緊急の救難信号をだして救助を頼まないと……
これか!
壁際に付き出た卓状の板にとりつく。
だが、その瞬間。
ずきり。
青い宝玉がはまった胸が、ひどく痛んだ。宝玉が、点滅している……。
『おお。おまえは……』
するとすぐに、俺の脳に我が君の声が響いてきた。
『ペピ。私の魔人、ペピですね。どこにいるのです? どこに封印されているのですか?』
青い宝玉が俺の主人に信号を送ったらしい。
『ペピ。魔人が足りず、私は危険にさらされています。おかげでメキドと交渉をする羽目に……早く、私の元に戻ってきなさい』
俺は。俺は……善き魔人、のはず。なぜ敵の娘を助けている? なぜ……
くそ!
『はい。アイテリオン様』
そう答えたものの。俺の銀色の右手は、俺の心の底の意思通りに動いた。卓状の操作盤に触れ。震えながらも、信号を打ち込む。
Adiuvate!(助けて!)
神聖語の文字を、何度も打ち込む。
Adiuvate! Adiuvate! Adiuvate!
『ペピ』
我が君。
『ペピ。わがもとへ……』
我が君。俺は。
『すぐに飛んで来るのです』
俺は……悪い、魔人、です……。
体が震える。主人の命令に従って、白い翼を広げようとしている俺がいる。
だめだ。そんなことをしたら、レモンは死んでしまう。
こらえろ!
羽を広げてはいけない。主人の声を聞いてはいけない。
耐えろ!
いけない。いけない。だめだ。開くな。開くな。どうか。俺の翼よ。
開かないでくれ……!!
『ペピ』
銀の右手で我が胸をつかみ、念じる。
うるさい。黙れ――!!
しかし翼は開いていく。ゆるりゆるりと、開いていく。一本一本握りしめた指をこじあけるように、白い羽毛が金属の筒服から離れていく。凍った俺の両まぶたから何かが出てくる。
頼む。やめてくれ。俺は。レモンを。失いたく、な……――!
しゅこーっ
『なんてきれいな結晶……』
しゅこーっ
『中におじいちゃんがいるはずよ。耳には、マイクが入ってるわ』
しゅこーっ
『覚醒させられる? ターコイズ』
しゅこーっ
『たぶん』
あ……
『でもこの結晶の塊を崩さなきゃ』
『ものすごいわね。まるで水晶の森みたい』
『翼の羽毛が変化したみたいね。一面真っ白だわ……おじいちゃん、すっかり彫像みたくなってる』
妖精……たちの声? 呼吸音と一緒に、若い女の子たちの会話が聞こえてくる。ああ、目の前に何かがいる。金属の筒服……ひとりじゃない。幾人もいる。救難信号を受けて、来てくれたのか?
『ひ! 結晶の中のおじいちゃんが、目を開けたわ』
『気がついたの?』
――『いーからどいてどいて。ほー? へー? うーん。顔黒いけど、じじいには見えねえぞ?』
?! 男の、声?
『摂政さま、結界を張って』
『えー。ここ真空だからムリ。ターちゃんがほっぺにチュウしてくれたらなんとかする』
『……それなら結構です。私が酸素出して擬似結界装置作動させます。アメジスト、救急テントはって』
『ターちゃんごめん! 俺様が悪かった! お願いだから結界張らせて』
『ちっ』
しゅこーっという呼吸音と共に吐き出されたターコイズの舌打ちとともに、大きな青い幕が拡げられた。特殊な織物なのだろう、てらてら光っている。
しゅうううううう
幕の中でターコイズが抱えている大きな箱が開けられたとたん、すさまじい音があたりに響く。気体発生装置らしい。みるまにあたりに物音がたつ。
ちりちりぶつかりあう破片と瓦礫。しゅこーっしゅこーっと金属服からでてくる呼吸音。ぶすぶすめりめり広がっていく、青い幕。いまや幕はパンパンにふくらんで、俺たちはまあるい風船の中にいるがごときだ。
『ヘルメット外していいですよ、摂政さま』
『ほんと? 外したとたんに、ひでぶ! とかなんない?』
『私たちが総力をあげて製造したオキシジェンタは、地上の空気組成とおなじ気体を出します。ですから、残念ながらそんなことにはなりません』
残念ながらってどういうことよ? と愚痴りながら、目の前にいる金属筒服の者がひとり、すぽりとヘルメットを外す。
とたんに俺の胸の宝玉が、ひどく高鳴った。なにこの人。見たことある。いや、よく知ってる……
何ヶ月も櫛を通してなさそうな、ぼさぼさの髪。無精ひげが伸びた顎。その口から、なんとも美麗な歌声が出る。たちまち降りてくる、魔法の気配――。
その人は。筒服の先から付き出ている右手をかざし、結晶越しにニヤリと微笑みかけてきた。
「やあ、魔人さん」

-
- 優(まさる)
- 2016/01/15 21:16
- 今回はどうなったのかな?
-
- 違反申告