Nicotto Town



アスパシオンの弟子83 七一零四(前編)

神聖暦7104
「うー……」
「ピピさん。どうしたんですか?」
「あ、アイダさん。また割れちゃったんです」
「あらーほんと。見事にまっぷたつですねえ」

 天に浮かぶ八番島。
 その統一王国時代の設備が整った工房で、銀髪のきれいなメニスが割れた目玉をつまみ上げてころころ笑う。

「焼成温度のせいではなさそうですね。何か合わない膜を貼りましたか」 

 水晶体を焼き上げるのはものすごく難しい。眼球に貼りこむ機能膜は数十種類もある。それをぴたりと張り合わせる作業も至難の技だが、膜を張る順番を間違えるとたちどころに溶けたり割れたりする。機能膜には相性があるからだ。赤外線膜と魔力具象化の膜はひっつけてはいけない。暗視膜と魔力具象化の膜もくっつけてはいけない。まるでパズルのようだが、一般兵士が使う汎用型は貼り付ける順番がちゃんと決まっているから迷うことはない。
 問題は一級品以上の、多機能な特注品。
 機能をもたない膜でサンドイッチしたいところだが、そうすると情報を呼び出す速度が格段に落ちる。なのでこれは、極力使いたくない最後の手だ。

「何の機能をつけたんですか?」
「時間停止です」
「それはまた、けったいなものを」

 アイダさんがぷっと噴き出す。

「もしかして、破壊の目の機能膜の場所にそれを挿し入れたわけですか」
「はい。でも隣のと相性が悪いから、貼る順番を変えて何度も焼いてるんですけど……」
「無機能膜はあくまでも入れたくない、と」  
「そうなんです。三級品になっちゃいますから。そんなものを、メキドの陛下にお渡しするわけにはいきません」
「たしかに等級が下がりますからねえ。がんばってください、ピピ技能導師」

 あ。うすーく細まるいたずらっぽい目。アイダさんが造ってた義眼は、できあがったもんなぁ。三日ぐらい三番島にこもってて、昨日からずっと仕上げしてたもん。 

「励ましどうもありがとうございます。がんばりますけど。あの……」 
「はい?」
「邪魔……しないでくれます?」
「三日カンヅメしてきて、お帰りのひとことしかもらえなかったもので」

 はぁ。メニスって両性具有なんだよなぁ。それにこの八番島には、俺とアイダさんしかいないしなぁ。

「あのぅ、俺の耳たぶ、おいしいですか?」
「はい、とっても」

 くすぐったいよアイダさん。甘露の匂いきついよ。

「えーと。あの……おねだりですか?」
「はい、そうです」
「これ、できてからでダメですか?」
「オリハルコンの服、ここで焼きましょうか? できれば魔人を隷属させるなんて無体なことはしたくないんですけどねえ」

 畜生、鬼っ! くっそメニス!

「いつもの部屋で待ってますから、すぐ来てくださいねえ」

 でも貼り付け順のパズルを解いてしまいたいんだけど……

「ここでします?」

 だめです! 機材ぶっこわれます! 肩に熱線砲かついで脅さないで下さいいいいい!
 いきますっ。今すぐいきますからあああ!


――「ったあああっ!」

 ぐふ。

「す、まーっしゅ!」

 げふ。

「っしゃあああ! 連続十セット連勝!」

 ごふ。

「あ、アイダさん……そろそろ休憩しませんか……」
「何言ってるんですか、三日分の時間を取り戻しませんと」
「でも俺、もう……息がっ……」
「あらまあ、体力がありませんねえ。幻像メロドラマばかり見て、毎朝の筋トレとジョギングをさぼるからですよ。」

 卓球台のネットのむこうでアイダさんが余裕をかまして笑ってる。ラケットでぽんぽんピンポン玉をリフティングしながら。縦横無尽に走りまくって動いてるのに、息ひとつ乱れてない。純血メニスおそるべし。

「日々の鍛錬。基礎体力作りは重要です。すぐに息が上がるようではいけません」

 ほんとこの人、遊戯室で俺と卓球やるのを生き甲斐にしてるんだよな。飽きずに毎日。何百年も。

「時間停止膜など、統一王国時代にも作られたことがありません。やめたらよろしいのに」

 それで俺がへばったら、お説教を始めるんだ。

「三番島へ行ってきなさい」
「それは、やです……」
「つけるものは破壊の目でよいではありませんか。王国の火急に対処するにふさわしい機能だと思いますけどね」

 器用にリフティングを続けながら、アイダさんが卓球台に突っ伏している俺のところに近づいてくる。 

「王国を守るには、神獣を操る膜だけで十分です。だからあとは王の御身の護身になるものを……」
「いいえ、不十分ですよ。神獣は神を殺せません」

 アイダさんのいう神とは……アイダさんを水鏡の里から追い出した奴。アイテリオンのことだ。

「いかな神獣とて、不死の者は倒せないのです。それにこんな小さな目玉に時間停止機能だなんて、出力は時の泉とは比べ物にならぬし、持続効果は微妙でしょう?」
「う……たしかに不安定ですけど」
「これでは神の動きを数分止めておくだけで精一杯ですよ」

 寂しげで哀しい紫の目。捨てられた子犬みたいな貌。この貌でじいっと責められるようにみつめられると怯んでしまう。
 でも。でもさ。破壊の目の機能は本当にえげつないよ? 兵器の中でも最たるものだ。魂を吸い込んで宝石の中に閉じ込めちゃうなんて。しかも限界値なしのものは、魂を分解消化するんだよ? ほんとひどい仕様だよ。すごくひどい……

「やだ……つけない。絶対つけたくない……」 
「頑固ですねえ」
「でも、アイテリオンは退ける。メキドを守り続けて。エリシア姫やトルを救うんだ……」 
「トルナートさんとやらが王になられるまで、あと何年ですか?」

 長年のつきあい。俺はアイダさんに隠し事なく全部事情を話してた。まさに、気の置けない人。大の親友。俺がおずおずとたぶん二百六十七年後と答えると、アイダさんは深いため息をついた。

「まあ、まだ時間はたっぷりありますから、じっくり考えればよろしいですよ。でも念を押しておきますけど、本当に神を倒したかったら、破壊の目の義眼を造るべきです」

 アイダさんはそう語気を強めたけど。自分が造ったものを自分で使うことは決してしなかった。メキドの王を焚きつけることもなく。他の国の施政者に働きかけることもなく。ただ島にひきこもって、大陸がアイテリオンの思う通りに変わっていくのを見守っていた。哀しげな顔で。
 たぶん心の奥底では、アイテリオンへの思慕がまだあったんだろう。綺麗なメニスの王は里ではみんなの父親、誰もが初恋の人として慕うんだとか言ってたから。だからアイダさんが造った眼には、とても低い限界値が設定されてたんだろうな。破壊の目の機能を使えば、急激に劣化を早めるぐらい。
 でも造られてほやほやのあの時。7104年のあの時。俺はそんなこと知る由もなく、哀しげなアイダさんはただただ、決して癒えぬ寂しさを埋めるものを探していた。
 それは卓球だったり。庭の花だったり。記録箱に残った戦隊ものの幻像ドラマや「蒼の豚」とか「ばるす!」といった幻燈アニメだったり。うまい珈琲を淹れることだったり。
 それから……

「さて、夜になりましたね」

 アイダさんがにこにこ顔で俺の手からラケットをひょいと取り上げる。白魚のような手が俺の手に重なる。暖かい手だ。長い指が、俺の指の間を押し開いて分け入っていく。

「寝室にいきましょうか」
「え。でも、眼をつくりた……」
「だめ。許しません」

 優しい声。耳たぶにかぷりと食いついてくる唇から漏れる、甘い吐息。

「今夜も、私を慰めてください。ピピちゃん」
「は、はいっ……」 

 アイダさんとずっと一緒に暮らしてた俺はその寂しさを、幾分かは和らげてあげられたのかなと思う。



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2016/02/06 13:06
メニスは良い香りするのですね。




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