Nicotto Town



アスパシオンの弟子83 七一零四(中編)

『ピピ。ピピちゃん……』

 ちょっと。そんなにぎゅうぎゅう抱きしめないでよアイダさん。

『ああほんと、毛ざわり最高っ』

 いくらモフモフの獣が大好きだからって、俺をウサギにして夜通し抱っこで就寝とかさぁ。これじゃどこかの師匠と変わらないよ。ていうか、我が師よりもべったべただよ。い、息できないよ。うわ。頬ずり。うわ。頭にちゅう。ひい、首掻かないで。気持ちよすぎる……。
 ひええ! 唇にちゅうはっ。唇はちょっと……! い、いたい! 耳引っ張らないで? 耳……み……

――「だめえ! ヴィオのウサギさんなのお!」「いいえ、これは我が師の遺言を語る、大変貴重なウサギです。ぬいぐるみ扱いしないで下さい」

 ぐふ。

「返してよ!」「いいえ、だめです」

 げふ。

「きもちわるい着ぐるみ! きらいっ! 石炭のとこいってよぉ!」「いいえ、ここにいます」

 ごふ。
 ヴ……ヴィオ? お師匠様?
 ちょっと。ひい。ウサギな俺を奪い合わないで。俺ラグビーボールじゃないから!

「離せおまえら! 目が回るっ!」

 しゅかしゅか鳴り響く蒸気音。流れていく青空と緑の樹木の景色。
 ポチ2号の運転席で鉄兜のウェシ・プトリに抱っこされて、うたた寝してたはずなのに。ウサギ好きなやつらが奪ったのか。ウェシ・プトリは腕組みして仏頂面だ。その隣でフィリアが苦笑してる。
 ひた走るポチ2号の速度はびゅんびゅんと爽快だ。アイテリオンとの交渉場所、エティアと北五州の境にあるマイオティスの湖に向かってひたすら進んでいる。
 フィリアは俺とヴィオが心配だからって、自身の体調が悪いというのについてくるといって聞かなかった。ヴィオはポチに詰まれたウサギたちと俺に夢中で、フィリアから興味がなくなっているのでひと安心だ。でも兄弟子様はいい顔をしないだろう。ひと悶着あるかも。
 ウサギをぎっちぎちに詰め込んだポチは、途中エティアとの国境付近で兄弟子様と魔人の棺を拾う手はずになっている。メキド解放戦線の頭領、妖精のアフマルが手を回したおかげで、棺の隠し場所はメキド政府関係者にすら極秘にされている機密事項だ。
 六年前のファラディアとの会戦の折、棺を封印所から出して貸し出してくれたのは、岩窟の寺院の最長老レクサリオン。しかしかの御仁は蒼鹿家後見のヒアキントスに暗殺された。そしてアイテリオンは今、蒼鹿家が提示する請求をすべて、メキドに受け入れさせようとしている……。
 ヒアキントスは、メニスの王とつながってるのかもしれない。アイテリオンはヒアキントスに恩義を感じたか。それとも初めから奴が最長老の暗殺を命じたか、だろうな。

「あれっ? うさぎさん、なんか顔が熱いよぉ?」
「まあ、熱があるの? 見せて」

 わ! フィリアに抱っこされた。いや、大丈夫だよ。頬が赤いのは、夢でアイダさんを見ちゃったからだ。
 破壊の目を徹夜で作ったからか? こないだ兄弟子さまに童貞なんちゃらいわれたせいか? アイダさんとのことは、記憶の奥底に葬ってたのになぁ。
 あ……そうか、トルに会えたからか。
 十六歳のトルに会ってあやまらないとって……何百年もずっとそのことが俺の心の大半を占めていた。やっとその目的が達成されたから、思い出す余裕が出たんだろうな。
 俺、アイダさんと二人っきりで暮らした時間が断トツに長い。長かったけど、兄弟子さまとアミーケみたいに子供をもうけるような夫婦にはならなかった。
 ただ。ただね。一回だけさ、そんなことになったよ。
 そう……あれが、俺のハジメテ。
 7104年。いつもはウサギな俺を抱っこするだけで満足してたアイダさんが、あの時だけは……。アイダさんが遠い未来に俺の右目になるものを完成させたあの時だけは、人が変わったようになってさ……。
 明け方。アイダさんの腕の中でウサギから人の姿に戻ったとたん、俺は……襲撃された。

『刻印が見えます。あなたの右目に、私の打銘が』

 とか熱っぽく、うっとり誇らしげに囁かれて。情け容赦なく喰われた。
 純血種の甘露のせいで魔人の俺、抗うすべなし。

『私の魔力は微弱ですし、変若玉オチダマをあげた主人ではありませんから、あなたを好きにはできませんよ 』

 初めて会った時そう言われたのに。

『やだっ!! うそつき……うそつき……うそつき! 好き放題できるじゃないかっ!! ちくしょう! オリハルコンの服焼くなんて!!』
『すみません。私、王家の出ですから。もとの名前はアイテオキアといいます』
『俺魔人なのに! 痛いよバカっ!!! これなんか盛っただろ!!』
『心配いりません。夕食に神経活性剤突っ込んだだけです。感じさせてあげたくて……』

 畜生、鬼っ!! くっそメニス!!
 アイテ・オキア。今思えば、おまえもかあああ! って名前だ。
 事後三日間、俺はショックで口がきけなかった。まさかの襲撃。しかも初めてでアイテ家のお家芸だよ……。おかげでなんにも手につかないで自分の寝室にひきこもり。アイダさんが近づいてくる気配がすると自然にぼろぼろ涙が出てきて、えぐえぐ嗚咽して挙動不審。

『すみません……怖がらせてしまって』

 襲撃者はオリハルコンの毛布ひっ被って隠れる俺の頭に手を乗せて、何度もあやまってきたけど。俺は震えて泣きじゃくり、ひとっことも言葉を返せなかった。
 それから一週間後、アイダさんは八番島から去った。
 勇気を振り絞ってなんとか「行かないでくれ」と引き止めたが、哀しげに別れを言われた。

『ピピ様は、エリシア様やトルナート様のためにアイテリオンを倒すと常日頃から仰っております。しかしこの五世紀もの間、私のために倒すとは、一度も仰ってくれませんでした』

 そこでやっと気づいた。ずいぶん前からこの人は、俺を気のいい相棒としてではなく、ちゃんとした伴侶とみなしてくれてたんだと。
 アイダさんはとても綺麗な人だ。メニスで両性具有。鼻筋の通った絶世の麗人。平凡顔の俺なんて全然好みじゃないと思うけど、自分が造ったものをずうっとつけてて何百年もそばにいたら、そりゃ多少はいとおしくなるだろう。となると当然、生物としての本能も発動するのがごくごくあたり前だ。なのに俺ときたら……。
 確かに、なんだか様子が変なことはたびたびあった。でも俺はそのサインを無意識に感知しないようにしてた。
 俺の心は、トルナート陛下やエリシア姫のことや義眼造りや他の仕込みの開発のことでいっぱい。アイダさんを生物学的な奥さんにしようなんて余裕ある考えはついぞ浮かばなかった。
 かたやアイダさんは俺に気を使って、永い間我慢してたに違いなく。俺の右目を完成させたあの晩に、長年の間にたまりにたまった想いがついに決壊したのだろう。
 これからはちゃんと夫婦になる。
 選択肢は、それしかありえない。
 でもアイダさんを見ると、体がぶるぶる。涙だらだら。
 だって俺、ざっと六百年間堅持してきたものを力ずくで奪われたわけで……。
 だからアイダさんは、情けない俺に愛想をつかしたんだと、ずっと思ってた。

『いっそ髪を赤く染めようかとも考えましたが、それでもだめでしょう? どうかお元気でいてください、ピピ様』 

 いざ去られると……こたえたなんてものじゃなかった。
 だってたまに連絡は取り合ったものの、おずおずと会おうかと聞けば、いつも拒否。
 会ってもどんな顔をしていいかわからないから、その返事を聞いてホッとするのに、なぜか卓球台で独りピンポン玉ころころして涙ぼろぼろ。気づけばアイダさんが使ってた寝台に猫のように丸まって寝てたり。怖いのに恋しがるとか、なんなの。自分というものがまるでわからなかった。

アバター
2016/02/06 13:12
昔の思い出ですか。




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