日頃の心がけなのか
- カテゴリ:人生
- 2016/02/18 00:59:49
妹が交通事故に遭ってしまった。
片側一車線を運転中、対向車の影から、店だか病院の敷地から妹の側へ合流しようとした車とぶつかったそうだ…。
相手は年寄りで、かなりの頑固者だったらしい。
幸い、双方にけがはなかったものの、妹の車は運転席側がかなり破損したそうだ。
妹の人生で数回目の事故である。
交通事故はどちらかが十全悪いということはないのだが、妹が完全に悪かった事故は1回で、あとはこのように巻き込まれ型となっている。
妹が運転していた中古車が不吉だった事例は3回(車に憑いている何かのせい)、今回のは新車なので車のせいとはいえない。
思うに、日頃の妹の心がけが招いてしまったと私は思っている。
というのも、妹と同乗すると、割り込み車などのマナーの悪い車両に対して非常に厳しく、ヤンキーさながらに運転席から手を振って「やめんか」と怒鳴ったりしているからである。
しかし堂々と割り込みする常習犯だけでなく、運転や道に不案内で、慌てて車線変更してきたりする人もいる。
ムカつくのはわかるが、いちいち怒ってたらきりがないだろう。
それにケンカを売ったとて、そんな図々しい相手が今さらお前の言葉ごときで改心することはないのだ。
第一、お前はそんなに怒れる立場なのか、上から目線はやめるのだ妹よ。
そんな剣呑なことばかりしているから、こういう目に遭うのではないか。
相手がイッコクものらしき年寄りだったことをみても、因果としか思えないのである。
私も、最近自分がばかみたいにいろいろ真面目にやっていたり、相手に誠実に尽くそうとしたり、相手を傷つけまいとしてどこまで自分の気持ちを話していいのかわからなくなったり、結局しゃべった方がいいのかと後悔したり、そうしてしまってさらに自分が傷ついたり、そういうことにうんざりしていたのだが、ばかでもおろかでもうんざりしても、誠実に生きることを大切にしようと思った。
こちらが路上の空き缶を拾っても拾っても捨てていく馬鹿者を心の中で呪いつつも、やはり自然が汚れるのは見過ごせなくて地道に拾ってみたり、入ったトイレが汚れていて、ぶつぶつ言いながらも掃除してから使ってみたり、そんな生き方を続けて行こうと思う。
自分で言うのも何だが、そういう心がけが運の良さに通じるのではないか。
私も運転中ひやりとしたことが数え切れないほどあるが、何かの加護ですり抜けさせてもらっている。
どんな強力なお守りも祈祷もパワースポット参りも、日頃から罵詈雑言、悪行を重ねていては何の効果もない。
仏の教えには、お金でお布施をしなくても実践で徳を積める布施があると説く。
それつまり、人に不快な思いをさせない、自分がイライラしない、という行動のこと。
最近私の心はべらべらに疲れているが、そういった余裕をなくしているからかもしれない。
その余裕のなさは、神社のお札や祖父母に供えている水を、もう1週間以上も変えていなかったことからもわかる。
少しゆっくりしよう。心にゆとりを。
それにはまず、自分が笑顔になることから始めよう。