ことしも
- カテゴリ:人生
- 2016/03/11 17:07:53
毎年この日になると何か書いてきたが、ことしはさすがに、怒る気力はない。
震災当初は、心無い風評、不買運動や、何かにつけて「頑張ろう東北」、口だけで続きもしない黄色いハンカチ運動などに腹をたて、えんえんと流れるあいさつ動物CMにうんざりしていたが、5年もたつと、怒り続けている気力も湧かなくなる。
それは私の受けた震災の被害がごく小さいからで、津波で大切な人や動物を亡くした人、いまもって仮設住宅に住み、原発事故で家や仕事を奪われた人達には苦しみが続いている。
時間があの日から止まったまま、悲しみとやり場のない怒りに耐えている。
自分だけが生き残ってしまった、という無力を抱えて。
絶対に風化させるな、といって、毎年震災イベントを行い、参加するのも一つの手だろう。
私は、あまりそういったイベントを良いとは思わない。いくら灯を掲げても、手を繋ぎ合っても、いつか人は忘れていく。大昔にもあった大災害を、今の私たちが何とも思わないように。
しかし、震災の時に感じた無力感を、私はいまでも忘れていない。
何かのおりに、3日間停電して物資の供給が止まった時のことがよみがえる。
風呂に入ると、当時避難所に避難していた多くの人を思い出す。
段ボールの仕切りに区切られて、大勢の家族が息をひそめ、顔を伏せてぐったりしていた。彼らは毎日風呂に入れなかったから、自衛隊が臨時で立てた浴場に並んで入浴していた。さっぱりした、という束の間の笑顔をテレビで見て、人間らしい生活のなんとかけがえのないことか、と感じた。
たくさんのお湯を使って風呂に入れるということは、本当にありがたいことだ。この時期、東北はまだ寒いから。そして今日も寒い。
犬を連れて近所を散歩するたびに、高台であるここに、5年前大勢の人が避難して来て、集会所に入れなかった人は車の中で生活していた。そのことを思い出す。
近所の港湾沿いの道路に並ぶ街灯は、震災からずっと消えたままだ。節電対策なのか、付け替える余裕がないのか。
軽く地震があると、貴重品を入れたカバンは用意しているか、懐中電灯はあるか、と家族で言い合うのが当たり前になった。
停電と物資欠乏にそなえ、菓子などを「食べながら備蓄」できるようにもしている。
普段忘れているようで、頭の中では常に震災がある。
そのくらいでいいのかなあ、とも思う。
大きく活動して後世に語り継ぐのも一つの方法だ。
けれど一人一人ができるもっとも効果的な行動は、こういった日頃の防災ではないだろうか。