アスパシオンの弟子終歌2 赦しの歌(中編)
- カテゴリ:自作小説
- 2016/03/18 17:46:32
「……えっと」
たっぷり数分、みな言葉を失っていた。
静寂を破ったのは我が師。その声でハッと俺たちは我にかえった。
ぼりぼり銀髪のカツラをかいて、我が師はみんなに同意を求めた。
「えっと、これって……人畜無害だよな?」
一斉に深くうなずく、俺たちとトリトニウス。
「連れてって……いいよな?」
一斉に深くうなずく、俺たちとトリトニウス。
「じゃあ、船に乗り込むべ!」
「オルゴール流しっぱなしにしててね」
導師たちに風編みの結界をはらせないため、俺はエティアの騎士たちに銀の小箱を渡してお願いした。
こうして。我が師と使い魔たちは、湖を渡った。
最長老ヒアキントスに、引導を渡すために。
私はそこに立っているの きれいな水辺に
私はそこに映っているの きれいな草地に
『寺院に到着した僕らは、会合の広場に通されました。
ヒアキントスの統制で、寺院はがらりと雰囲気が変わっていました。
広場の周囲にずらりと並ぶ蒼き衣の弟子たちは、まるで軍隊のよう。
弟子団の隊長・副隊長は、ヒアキントスの弟子たち。
彼らは僕ら使い魔を入り口で取り押さえるつもりだったようです。
しかし彼らは僕らを見るなり硬直し、僕らが入場するのをただ見送っただけでした。
広場では、最長老ヒアキントスが、封印所から掘り出してきた兵器を石舞台にずらっと並べて待ち構えていました。石の座席に座す、百人ほどの黒き衣の導師様たちとともに。封印所からお蔵出しされた兵器は、魔力を封じる魔道器ばかり。アイテリオンを封じたという、我が師の噂を警戒しての対応だったようです。
さらには。白の導師からもらったという十体の精霊が、天を覆いつくさんばかりにひゅんひゅん飛びかっていました。
しかし。
起死回生を計った氷結の御方の気概は、僕らが広場に入った瞬間――』
――「おろ? 弟子、なに書いてんの? うわあ、きったねえ字!」
「あ! お師匠様、だめ!」
うわ、我が師ったらいつのまに俺の書斎に?
な、なにするんだ、返せこら!
本が山積みの卓から立ち上がる、ウサギな俺。書きかけの本をさっと持ち上げぱらぱらめくる、銀髪カツラの我が師。
「えーなになに、ヒアキントスの驚きようといったら、アイダさんを思い出した瞬間の、アイテリオンのあの顔のごとく――」
「声に出して読むなーっ!」
この本は何よ? と銀髪のカツラをかぶった我が師がにやにや表紙を見る。
そして、固まる。
ほんのりじんわり、我が師の頬が染まっていく……。
「ふ、ふうん? これが七巻目? ということは、ほ、他にもあるわけ?」
エティアの王宮の隣に居候している潜みの塔。そのてっぺんの俺の「書斎」。
いろんな物が山積しているその部屋を、我が師は鋭いまなざしで探った。
まずい。やばい。我が師がここに押しかけてきてからというもの、全巻書棚から撤去してるが、この部屋には在るんだよ。我が師への泣き言や文句をたらったら書き連ねてるから、見られたらやばいなんてもんじゃ……
「おお? これかなぁ?」
ひい、一冊見つけ出しやがった。ピンポイントで床板ひっぺがすとか、韻律使って見つけないでよ。勘弁してっ。
「ちゃんと書棚に入れなきゃだめじゃないのぉ?」
「み、み、み、見ないで下さいお願いします。後生だから」
「ここにチューしてくれたら、見ないでもとに戻してや――」
「ほっぺた突き出すな!」
我が師から「我が師に捧ぐ歴史書第一巻」をひったくり、さりげなく机の鍵つき引き出しに突っ込む。ここにもすでに一冊入れているが、とりあえずの隠し場所だ。
「ちっ。つれないなぁ」
ああもう、汚いもみ上げ見えてるよ。髭剃ってよ。
最近銀髪のカツラだけ被ってりゃいいだろって、投げやり感ありあり。俺がウサギの姿じゃなかったら、カツラ被らないって言うし。
やっぱりこれじゃだめだ。
「でもさあヒアキントス、どうか時の泉に永久収監してくれとか、自殺より過酷な罰をよくぞ望んだなぁ。もう二度と輪廻するわけにはいかない! なんて泣きじゃくっちゃって」
「仕方ないですよ。暗殺教唆を皮切りに、さんざん眼の敵のように苦しめてきた相手がまさか……」
我が師と。
ウサギの俺と。
リスのフィリアと。
鳥のサクラコさん。
それから僕らと一緒に寺院に入ったのは。
美しい、牡鹿――。
私はそこに立っているの きれいな水辺に
私はそこに映っているの きれいな草地に
蒼い角を生やした私 蒼い毛を撫で付けて
あなたのもとへ駆けていくの
気配だけでそれとわかるの
あなただとすぐにわかるの
何度生まれ変わろうと
黄金のたてがみは変わらない
だからどうか焼かないで
あわれなわたしを焼かないで
そばにいさせてほしいのです
ただ、そばに
その鹿は。角も体毛も光沢ある蒼だった。
瞳は淡い水色で、すらっと伸びたしなやかな四肢は針金のよう。
白から水色へと色移りしている、長いたてがみ。
これが人間だったら、たぶん絶世の美少年とかいわれるレベルの絶世の美鹿。
我が師と共に、その背にウサギとリスと小鳥を乗せた牡鹿が寺院の広場に入ったとたん。
ヒアキントスはその鹿が何か、一瞬で理解した。
解からぬはずがない。
かの御仁の部屋は、その鹿の姿で満ちている。
蒼鹿州の守り神。
大陸最弱にして最も美しい神獣。
アリン。
あのとき。広場には、ヒアキントスの苦悩の絶叫が響き渡った。
『なぜ? なぜあなたがっ……! なぜだあああっ!!』
牝鹿という巷の噂は、やはり金獅子家のでっちあげ。
神獣アリンは、雄雄しい牡鹿だった。
そういえば八番島で一緒だったイマダさんも、アリンが牝鹿にされてるのを気に病んでたな。同僚たちは決して触れないようにしてたっけ。
『トルナート陛下だとっ?! 馬鹿な! 私こそが、アリン様の最大の敵であったというのか? そんな馬鹿な! そんな……アリン様、あなたのためだったのに! すべて、あなたのためにやったのに!!』
牡鹿の正体を知った時の、ヒアキントスのあの貌。
思い出すだけで胸が痛くなる。まるで最愛の恋人を間違って殺してしまったような貌だった。
氷のように冷たいあの人でも、あんな顔するんだなぁ……。
ヒアキントスが宵の王を使って金獅子家を攻撃したのも。
レクサリオンを暗殺したのも。
蒼鹿家に神獣を保有させ、大陸に覇を唱えようとしたのも。
みんな、アリンに対する仕打ちへの復讐だったらしい。
無力で無垢で勇敢なアリンを、深く愛するがゆえの行為。
「あの取り乱し方は……」
「んだな。正視できんかったわ」
ヒアキントスはその場でただちに最長老の座を降り、おのが右手を粉砕した。
自ら、二度と韻律が使えぬようにと。そして大陸同盟の盟主フラヴィオスにおのが身と蒼鹿州を委ねることを、黒き衣の導師たちに宣言した。
俺たちは本当に、寺院でなにもしなかった。
ただ美しい牡鹿が、自分の姉を返してくれるようにと穏やかに願っただけ。
そして。
優しく、ヒアキントスにこう言っただけだ。
『ヒアキントス様。どうか、罪を償ってください。
あなたの罪を誰も赦さないでしょう。
でも、僕だけはあなたを赦します。
あなたは前世の僕のために、もろもろの罪を犯したのだから。
どうか僕のたてがみに触ってください。僕らの、和解の証に』
ヒアキントスは触れる資格はないと叫んだが、トルはそっとそばに近づいておのれの首に抱きつかせた。
おのが心の恋人にふれたとたん、氷結の御方は声をあげて泣き出した。まるで、小さな子供のように……。
まこと。
まこと、トルは王者だと思う。

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- 優(まさる)
- 2016/03/19 03:34
- これはこれで良いのでしょうね。
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