私の今月の楽しみ~結構重いから注意して読んで
- カテゴリ:イベント
- 2016/06/07 13:03:34
ドラゴンクエストヒーローズⅡ、というゲームが出ていて、それを遊びつくすのが今月の楽しみです。
1周目クリアしたので、あとはおまけ要素を遊ぶだけ。
今回の売りであるマルチプレイも、ひとりでどうしようもない強敵が出てきたら、積極的に参加しようと思います。
オンラインでの協力プレイはあんまり好きじゃない。できることなら一人で全部クリアしたい性格です。
他人と組むと、必要なクエストをクリアしたらとっとといなくなる人が多くて、そのそっけなさが嫌なのです。
友達と遊ぶのは別。気心が知れているから、こちらの失敗にも寛容。当然、入退室のあいさつもちゃんとするし、人間と遊んでいるなあという気がします。
なんてことを書くと、野良プレイ怖い!と思われる方もいらっしゃるでしょう。
でもたまには良い人もいます。ヒーローズⅡのチャット機能は定型文だけなので、変なことを言われる心配もありません。
その短い定型文で、ありがとうやごめんねを言うと、ちゃんと返してくれる人もおります。そういう人と出会えると、参加してよかったなと思います。
人間が心を通い合わせるのは、家族でも難しい。
私の母さんが、私が長年使っていた愛用の枕を勝手に捨ててしまいまして、改めてむなしい思いを抱いている由です。
母は昔から自分勝手なところがあり、ジャイアンのごとく家族の者は俺の物、という認識があって、困っております。いくら言っても聞かないので、一生治らないでしょう。
人の物を許可なく処分するというのは、人権侵害です。
親子の信用問題にも関わります。
ごく小さいころ、妹が大事にし過ぎてぼろぼろになったぬいぐるみを、母が汚いからと、妹の目の前でやぶいてごみに捨てたことがありました。
妹は泣き叫び、私も悲しくて泣いてしまいました。
そのショックのせいか、妹は幼児のころの記憶がほとんど残っていません。そういうことがあったと話しても、覚えていないと言います。むしろそれが良いでしょう。
でも、トラウマは根深く心理に残っていて、それがのちのち、家族関係に不幸をもたらしました。関係が修復したのは、本当に最近のことです。ようやく、というところです。
しかし、妹にはまだ大事に持っているあれやこれやがあるので、母がとちくるって勝手に処分しようものなら、それこそ家に火がつけられるでしょう。
母は昔から人の気持ちを考えられないところがある。それは、自分が成長していくにつれて気づいてきました。
なんてことを書くと、親への恨みが爆発しそうですが、こうして書き出すことで、冷静にどうすべきか考えています。
親の欠点を見て、子は何かに気づかなければなりません。
結論として、自分の城を持つ――家を出て部屋を借りる、ということが一番の解決法でしょう。母がこちらの持ち物に手を出してくるのは、未だに子離れしていない証拠ですから。
しかし、私や妹は低所得層であることが弱みのひとつ。一人暮らしをしたら貧困にあえぐ、そんなお給料しか頂いておりません。
青森県民が短命なのは、食べ物の塩分や喫煙率だけではなく、貧困によるストレスと、ひとつの職だけでは食べていけないから、ふたつかけもちしている人、休みなしで働く人が多いからです。
過労がもとで重病を引き起こしている。県はそこには絶対に触れず、食べ物の減塩でなんとかしようと運動していますが、それより貧乏から抜け出さないと、短命は直せないでしょう。出生率の低下も、やっぱり貧乏のせいですから。
それに、愛犬2匹も気掛かりです。
両親も歳のために、電気つけっぱなしとかするようになり、戸締りや火事もやっぱり心配。
そう言い訳して家を出ない自分もまた、親離れできていないのだな…と苦笑いです。
本当に嫌なら、貧乏してでも家を出るべきですが、犬と離れて暮らすのは嫌なんだな。
北海道で、男の子が山に置き去りにされて一時行方不明になった事件。
大人の誰も、子どもの気持ちになって考えてなかったなと思いました。
叱り方、も難しい。父親がそうしてしまった理由、その立場になって想像すると、理解できます。でもまさか子どもが、その場から動いてしまうなどとは思ってなかった、それは子どもに対する親側の甘えでしょう。
ちょっと道に迷ったけれど、親が去って行った方向を目指して歩いた男の子は、まったく素直です。演習場を見つけてもぐりこんだのも、不自然な行動ではない。置いてかれたら追いかける、それが子どもなんだから。
テレビで公開された写真は、みんな楽しそうに笑っていました。普段は仲が良かったんですね。親が懲らしめるつもりが、やり過ぎてしまった。児童虐待として立件するかどうかまで持ち上がっていて、世の中はあまりに過敏すぎる気もしました。
もちろん、本当の虐待も多いので、その懸念はあった方がいいんですが…。
親との記憶をたどるとき、あまり良い叱られ方をしなかったなというのは、私も多いです。あまり叩かれはしなかったけど、両親の感情にまかせて八つ当たりされたこともある。
そういったトラウマを、徐々に気にならなくして、仲の良い親子になるまで、未だに悪戦苦闘、という感じです。
どん底の関係よりは修復できているけれど、母親は石呉れのように変化なし…何を見ても何が起こっても学ばず、自分の思い通りにならないと自分は世界一不幸だと思い込んでしまう、その性質は死ぬまで治らない。
そういう親を持って、自分は不幸だと嘆き続けると、自分も親というしがらみにとらわれてがんじがらめになってしまう。
誰かを恨むことは心身をむしばみますし、非常に疲れる。まして親ですからね、簡単に遠ざけることはできない。
なので私は、執着をなるべく持たないようにしています。大事な本などの持ち物はあるけど、失くしたらそれで仕方がない、と割り切るように努力しました。だから、予告なく愛用の枕が捨てられたことは腹立たしいですが、悲しくはありません。
でも妹が、いい年して自分の持ち物…特に子どものころから大事にしている持ち物に大変な執着があり、宝物にしています。
それをいつか母に荒らされるのではと、それだけが心配です。もしそれが起こってしまったら、我が家は崩壊するでしょう。殺人放火レベルの災厄が訪れるに違いない。
妹が物に対する執着をなくしてくれれば一番楽なのでしょうが、こればかりは人の性格でどうしようもない。私はただただ、最悪の事態が起こらないよう祈るばかりです。
だったら家出ろという話に戻っちゃうんですが、家を出たら出たで、退職して暇になった母と二人きりになってしまう父の心労も気掛かりで、やはり私は、この家にいるしかない、その結論に戻って来てしまいます。
でもいつか、別れは来ますから…。嫌だ嫌だと思っていても、いつか。
人と暮らせば大半が辛抱の連続、その繰り返しの中で、何を学び、自分が変わっていくか。それに尽きます。
同意感謝です(*^_^*)
いや、適度にキレましたけどね(笑)
でもこれから先も暮らしていかなきゃならないし、こじらせるといろいろ大変なので、自分の中で折り合いをつけました。
そう考えられるようにできたのも、同居という利害関係を考えてのことで、それが家族というものですよね。
まあ、もしまたこんなことされたら、私も母の持ち物を庭にぶん投げてやろうかとも思っていますが、実行はしません。目には目をってのは、戦争と同じですからね。きりがない^^;
ハルさんも親御さんに苦労されたんですなぁ…((+_+))
一番信じている、信頼してほしい相手に裏切られるのですから、その手のトラウマは根が深いです。だから大昔より、親子の愛憎関係が小説や芝居になったりしますし^^;
やっぱり、こだわらないことが大事だと思います。親も人間。不完全なんですよね。認めてほしい欲求にこだわって考え続けていると、それに捉われてしまう。自分のやりたいことなどをも犠牲にしてしまう、そう思ったら、そればっかりに関わっているのが時間惜しくなりました。そういう考え方も大切ですよね。
ハルさんのおじさん、無頓着すぎですね!相手の立場に立って考えられないのかも。想像力がちょっと欠けている。
おじさんにしてみたら、亡くなったおばあ様が心細くないよう、ハルさんのお父さんの愛用枕を使ったようにも思えますが。でも勝手にというところが問題ですね。
災害ボランティアが、倒壊した家の片づけの際に、住人に許可なく何でも捨てる行為が問題化しているとか。
他人にはただの汚い物でも、持ち主には思い入れがある場合が多いです。なので、ボランティアの方々には、捨てる前にまず許可をうかがうことが前提になったそうです。
つまるところ、思いやりの精神がいかに重要かってことですね。家族からが基本ということですね。
悲しいですなあ…
そしてキレていいとこの気がする…
そうやって周りに我慢されてきたひとが成長できずに子どものまま生きていく、というのは結構あることかもです。
妹さんほどではないけれど、私も親にトラウマ幾つももらいましたぜ☆
思春期の頃、男の子っぽくふるまいたかった私にかわいい白いワンピースを無理に着せて似合わない〜!ってすごい笑われたりとか…
本人たちは悪気なくやっていて、その記憶もないけど、私はすごく傷ついて、大人になるまで白い服は全く着れず、スカートが履けませんでしたもん(つω`*)
でもオトナになってきて、段々このひとたちは人格者じゃないし、間違ったりダメなところがあるんだなあ…と思えるようになりました(o^-^o)
そしてそれを口にします。
ダメなとこや弱点は誰でもあるから、それを認められるか、ですよねぇ…
できるなら今後、蒼雪さんや妹さんのものが捨てられませんように…(>_<)
ちなみに…
うちの親父のきょうだいは本当に本当にしょーもなくて、蒼雪さんじゃないですが、うちの父の愛用してる枕(妹が誕生日に贈ったやつ)を、亡くなって棺の中にいるばあちゃん(親父の母親)の頭の下に敷いたそうです…
もちろん無許可。
ありえないでしょ(笑)
ひとんちで、勝手に…意味わからん(笑)
もちろんばあちゃんの四十九日はおろか、初盆にも姿を現しませんでしたぜ!(理由は婦人会で味噌作るからだそうな、ははは笑)
お互い家族に苦労してますね^^;
自分をないがしろにされることほど、人や生き物にとってつらいことはない。いじめ、虐待はその最たるものですね。
自分を大切にしたい、そう思うほど、その権利や考えを否定されるようなことをされると、ブチ切れてしまう。
子が親を、親族を手にかける事件は、蓄積された我慢や不満がある日突然爆発して自分を抑えきれなくなるからだな…と、親との不和が起こるたびに思います。それはある意味正当防衛で、自分を押さえつける相手を排除することで自分を守る行為でしょう。そこまで追い詰められた犯罪者の心境を思うと、やり切れません。
とはいえ、若者が親族を手にかける出来事は、やった側にこらえ性がない、もう少し耐えてみろよとも思いますが…。
何がきっかけで仲直りできるかわかりませんし。今は暗闇でも、明日は光が差すかもしれないし。
親を許せるようになったとき、人は大人になるのだ、という言葉を聞いたことがありますが、そういう意味では、私もまだまだ大人になれないなあと思っています。
わがままママンにふりまわされていますw
こんな長いブログを読んでくださってありがとうございます^^
そうですね、妹も同じことを言ってました。人や生き物を大事にすることと、物を大事にすることに何の違いがあるのか、と。私もひとつ学びました。ざくろさんのおっしゃる通りです。
明るく楽しく、不満なく人生生きていけたらどんなに幸せでしょう。
でもそうもいかないのが人生で。親も含めて、誰かに不満や怒りを募らせてしまうのは、まだ諦めが足りないということなのでしょう。自分に対する執着もあるということだし。
そうならないように我執を捨てると、仏教でいう悟りの境地になっちゃいますよね。
そうなると今度は何を見ても感じなくなって、それは自分が楽ではあるけど、もう生きている意味もないってことに。
あと何日、何年生きるかわからないけれど、死ぬまでは生きている実感、持っていたいです。やることがない、と思うと、本当に私しにたくなるんでww
人と人がわかりあうのは難しいっすよねぇ。
物を大事にしない人は、人も大事にできないともいうし、悪いことじゃないと思うッすよ^^
何かの時に後悔しないように、家族にも人にもできるだけやさしくしたいと思うけど、なかなか自分をコントロールできないっすよねぇ。
自分が学び、変わっていく、すっげぇ大事だと思うッす^^