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主日・カトリック教会のマリア


知恵袋から。質問とベストアンサー。閲覧数:125

Q: よくプロテスタントの方がマリア像を「偶像崇拝だ」と指摘するのに対し、カトリックの方は「聖画像は偶像崇拝にはあたらない」と言われます。

ここで質問なのですが、
・カトリック教会ではマリア像を置かなければならないのでしょうか。信仰に不可欠なものであって、なくてはならないものでしょうか。
・マリア像が絶対に必要なものとされているのであれば、どのような理由なのでしょうか。


A: カトリックの神学と歴史を学ぶと、聖人に向かって祈るのは、元々ヨーロッパにあった宗教との妥協だったことが分かります。今の日本人とほかのアジア民族のようにヨーロッパ人も元々亡くなった人との関係を宗教という枠の内に持ち続けたかったです。
キリスト教はそのコミュニケーションは不可能だと言うから、受け入れたくない人は今の日本のように昔のヨーロッパにもたくさんいたはずです。カトリック教会は聖人制度でその不安を少ししずめられました。
マリアは元々聖人の中の一人にすぎませんでしたが、教会が中世でとても恐ろしい神さまを教えたから、人が神に祈るのが怖くなった時に、教会は、その人たちに、神の代わりに母に向かって祈る道を開きました。
女性の優しさ、処女の純潔さ、母の愛の象徴みたいに、マリアを聖人の中の聖人として、まるで三位一体の神の優しい第4位としました。

でも、神さまは、人々が神さまに向かって祈って欲しいです。
他の対象は、
・不必要で(神が聴くから)、
・不可能で(死んだ人は、クリスチャンだったなら、天国で新しい命を生きて、世界のことを聞かなくて、聞けないから)、そして
・非クリスチャンです。神は一つしかいません。それは、キリスト教の基本です。他の何でも、誰でも、私たちの祈りの対象になると、それは、神さまの目で、ひどい誤解で罪です。

僕は、バプテストになる前に、聖書を一応信じるカトリックでした。マリアや他の聖人に向かって祈りませんでした。そして、今も、聖書を信じるカトリックを何人知っています。彼らも、聖書を信じるから、マリアや他の聖人に祈りません。
カトリック教会がマリア礼拝をまだ廃止しなかったのは、とても残念ですが、いつか、Sola Scriptura信仰を復興して、偶像礼拝を廃止する日を期待しています。

モーセの十戒から:

 わたしはあなたの神、主であって、
 あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。 
   あなたはわたしのほかに、
 なにものをも神としてはならない。 
   あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。
 上は天にあるもの、下は地にあるもの、
 また地の下の水のなかにあるものの、
 どんな形をも造ってはならない。 
   それにひれ伏してはならない。
 それに仕えてはならない。
   あなたの神、主であるわたしは、
 ねたむ神であるから、
   わたしを憎むものは、
 父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、 
   わたしを愛し、
 わたしの戒めを守るものには、
 恵みを施して、千代に至るであろう。 
    出エジプト記20:2-6




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