Nicotto Town



自作9月 かげろう・風 「怨風の谷」4


びゅおう、びゅおう、と谷間が低くうなる。


 その深い割れ目の中を、鉄の昆虫が颯爽と飛ぶ。しなやかな細い体はあたかも風を貫くよう。
 
 ぎゅん、と音をたてて谷間の呻きを割っていく。

「爽快だ」

 前の騎乗席で銀の兜をかぶった男が笑う。

「月栄、鳥たちが横に。こちらを親鳥と思っているのか?」

「そうかもしれませぬ」

 男は後ろの騎乗席を振り返った。

 ぴちりとした銀色の服をまとった女がそこにいて、複雑な操縦桿を操作している。

 その双眸は、唾広の銀兜に半ば隠れていて見えない。

 しかし顔の下半分はあらわになっており、しっとり艶めく薔薇色の唇が見える。

 男は相手が操縦中なのも忘れ、思わずその唇に向かって手をのばした。

「殿下、いけません。風に乗るには集中力が要ります」

「ああ……すまぬ。しかし空気がうまいな!」

 手をそろそろと引っ込め、男はしぶしぶ前を向いた。

 谷間を流れる川に中州があるのを見つけるや、あそこに降りろと命ずる。

「川の水にさわりたい」

「殿下は、無邪気な子供のようです」

 唇艶やかな女がくすりと笑う。

「幼きころより、毎日薬を飲んで、一日中臥せってばかりの生活だった。こんな自然豊かなところには、ほとんど来たことがなくてな」

「川には魚がおりますよ。水面が透き通っておりますので魚影が見えます」

「はは! つかんで取ってみたいぞ」

 女は操縦桿をすばやく操作して、鉄の昆虫を中州に降ろした。
 
 すらっとした鉄の足が茂みある平地に着くや、男は鉄兜を外し、ひらりと席から出る。 

「モレーが、昔ここは戦場だったと言っていたが、兵士の死体などみあたらぬな」

「川の水に流されたのでは?」

 中州をうろうろ見て回る男の腕を、女はすっと掴んだ。

 片手で兜を脱ぎ、涼やかな双眸をあらわにする。

「殿下……」

 ここには二人きり、他にはだれもいない。

 そう言いたげなまなざしで男を見つめ上げる。 

「月栄」

「殿下。私、殿下のことを……」

 する、と白い手が男の腕から肩に登った。

「お慕いしております」

 切なさを混ぜ込んだ甘い声音。女は細身の体の線がくっきりでている銀の服の胸元に、相手の手をいざなった。

 ふたつのまろい隆起が並ぶそこには、風乗りの特殊な服地のせいで頂についている突起がしっかり現れている。

 そこに男の手を触れさせ、しばし指で弄らせ。

 あられもない声をひそかに漏らす唇を男の唇に寄せた女は、内心勝利を確信した。

 男がまろい双丘にじかに触れようと、胸元の閉じ目を開けてきたからだ。

「よい香りだ……」

「衣に焚きしめますの。素敵な香りでしょう?」

「ああ、さわやかで艶やかだ」

「メニスよりも、よい香りですわ」

「メニス……ああ、長寿の生き物か」

 女の芳香にうっとりする男のまなざしは、とろけるよう。

「スメルニアの皇室は、あの希少種族を娶るそうだな」

「寿命を延ばすためですわ。実際は、あれは完全な化け物。あれらが出す甘露はきつすぎて、人を気狂いにいたしますの」

「そうか……それはこわいな」

「殿下。人間の女が一番でございますわ」

 たとえのちのちこのエティアの貴人が、やんごとなき家の姫や帝の親王を娶ろうとも。

 そして帝のように、長命で美しいメニスを娶ろうとも。

 とある称号だけは、彼女たちに与えることはかなわない。

 「一の女」。

 スメルニアでは、貴人がおのが床に初めて入れた女は、独自の称号と格別の待遇をもって「強制的に」室に迎えられる。

 これは大スメルニアの貴人典範に定められている、古くから堅く守られてきた法だ。

 「一の女」は生まれを問われず特別扱いされ、正室に告ぐ地位を与えられ、独立した御殿に住まわせられる。

 初の契りで子を成せば、他の妾の子とは違って後継ぎの母となれる可能性もある。

 貴人が初めて女の中に放った子種は、大変に神聖なものとされるからだ。

 もし初子が正室に邪魔され後継ぎになれずとも、神官位を得て元老院議員になることは確実となる。

 そうなれば、母親である「一の女」にはさらなる誉れが与えられる……。

(この月栄、主公閣下のご命令通りにした……)

 女はふと、おのが主人の顔を思い出した。

(閣下のしもべたる私がこの方の一の女に納まり、閣下のご意向を反映させる……。エティア属王を操る羗家は、隆盛を極めよう……)

 蒼い髪の美丈夫たる主人の姿が、脳裏にちらつくや。

 反射的に今目の前にいる男の手を払いたくなるのを、女はこらえた。

 主命にそむくなど、とてもできぬ。

 ここでおのれは、エティアの王弟のものとならねばならぬのだ。

 それが、身も心も捧げると誓った主人が望んだこと――。

 女は真実心から慕っている美丈夫の姿を、頭からかき消した。

「月栄……」

 男が手をそろそろと、胸の閉じ目の隙間に這わせる。

 そのかすかにわななく唇はさらに、女のくれない鮮やかな口に吸い寄せられる。  

 半ば開き、真珠のような白い歯をちらと見せながら、女が獲物に吸いつこうとした、そのとき。

「ん……?」

 突如。

 男の目が、女のはるか後方に飛んだ。

「なん、だ? あれは?」

 びゅおう、と風が中州を吹きぬける。

 刹那、なんとも甘ったるい香りが、ぶわっと男と女に吹きつけてきた。

 花のような。果実のような。

 濃厚で熟れた、なんともいえぬこくのある匂い――。

 ぱっと女の胸から手を離し、男は眉根をひそめた。

「なんだ? この香りは……」

 臍をかむ思いでひそかに、ぎり、と歯軋りしながら女は背後を見た。

「何かが倒れているぞ!」

 男がハッとして中州の端に駆ける。

 よもやつわものの屍であろうか。そうであればたしかに情事にふける場所としては、少々そぐわない。

 しかし男が見つけたものは、すでに命を失くしたものではなかった。

「月栄、子供だ!」

 男は目を見開き、それのそばに膝をついた。

「まだ息をしているっ」  

「殿下、お下がりください。私が確かめま――」

 生きている子供? そんなものがここいるになど、ありえぬ……!

 内心いらつきながら、女は近づいたが。

 それより早く、男は中州の岸に生えた茂みに埋もれるように倒れている子供を抱き上げた。

 とたんに、かぐわしく甘い芳香がさらにあたりに満ちた。

 女がまとう香りよりも桁違いに濃厚で。ねっとりとして。甘ったるい蜜のような香りが。

「まさかこの匂いは……!」

 それが何か気づいた女はハッと青ざめ、男から子供をひったくろうとした。

 だが、男はそれを拒んだ。

「銀の髪とは。きれいだ……」

 すでにその芳香は男の全身にまとわりつき、肺はおろか、すっかりその脳髄にまで入りこんでしまったようだ。

 うっとり目を細め、男は銀髪の子供をきつく抱きしめた。

「月栄。この子を連れて帰ろう」

「殿下それは……!」

「行き倒れだ。助けてやらねば」

 男は女の返事を聞かず、いそいそと鉄の虫へ歩いていった。

 甘ったるい芳香を、幾度も胸いっぱいに吸い込みながら。

 花のような。果実のような。

 かぐわしい、甘露の香りを――。


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2016/12/03 20:00
かいじんさま

ご高覧・コメントありがとうございます。
ここからああああとんでもないことになります……><
つぎの草笛でまずとんでもないことに。
つぎのつぎのセンニンソウでさらにとんでもないことに。
もぅめっさとんでもないです。
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2016/11/07 22:50
ここからあああああああああどうなるのか気になります。
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2016/10/14 09:08
スイーツマンさま

ご高覧ありがとうございます><
とんでもございません。サイトへの更新、ツイートでの宣伝、本当に感謝です。
ジャルデ陛下はアスパで描写されているように前線型で、内政はちょっと苦手分野なのかも。
その水面下での画策。
エティア宮廷、廷臣たちはかなりどろどろんのようであります。

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2016/10/14 09:03
紅之蘭さま

ご高覧ありがとうございます><
クロニクル形式(始めに年表をつくる)でお話を作っていると、
あれもこれもと関わった人たちを出したくなってしまいます^^;
しかもこのシリーズはオムニバスで書きたい視点で好きに書いちゃってるという汗
多角的な視点から世界構築を試みていますが、
読者からみるとややこしくもありますよね;ω;
せめて一話完結ぽく出来たらと思うのですが、今回は続いてしまいました。
ごめんなさいごめんなさい;ω;
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2016/10/14 08:55
E.Greyさま

ご高覧ありがとうございます><
メニスが出てくるところに平穏はありません^^;
これからおねえさんに同情しちゃうことがたぶんいろいろと…;
ウサギたちはほんとに楽しんでいますよね^^
英雄たるものの余裕なのでしょうか。
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2016/10/14 08:50
ミコさま

ご高覧ありがとうございます><
アスパの方では王弟殿下は間接的な話で出てくるぐらいでしたので、
今回ついに謎のヴェールが開かれる感じになりそうです^^
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2016/10/11 18:06
前半が楽しいバカンス最後で冷水をかけたようなドロドロの宮廷劇の様相、楽しくなってきました
ツィッターで紹介しているとついこちらでもコメントした気になって忘れてしまいます。どうも遅れて失礼しました
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2016/10/01 23:06
わんさかキャラがでてきます
シリーズはまだまだ続く感じですね
では次回に^^
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2016/10/01 02:00
ピピさんたちの楽しい列車旅行の一方で
宮廷劇に魔少年登場
何が起こるのか…


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2016/09/30 20:02
新登場、エティアの王弟殿下は、暗愚なのか聡明なのか気になります
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2016/09/28 08:46
よいとらさま

お読み下さりありがとうございます><
きれいなおねいさんにこちょちょ~されるのと
むさいおじさんにこちょちょ~されるのとではやはり全く違いますよね^^
維持装置は充電式みたいです。
ハヤトの「お外に出たいパワー」で
がしがしエネルギーを食われている模様^^;
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2016/09/28 08:43
らてぃあさま

お読み下さりありがとうございます><
陰謀もおねいさんもどうなっちゃうの的なところで次回に^^;
次回、メニスはこわいですしおすし物語?
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2016/09/28 08:41
カズマサさま

お読み下さりありがとうございます><
メニスの子、おぼえていてくださって嬉しいです;ω;(感謝)
例のごとく相当厄介な事になるんじゃないかと思われます^^;
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2016/09/28 06:15
おはようございます♪

国境付近で展開されつつある怪しい動きを止めるため、
重機の回収に向かうペペさん・・・お疲れ様です^^;
耳かきはやっぱり人を選びたいですよね^^

その国境付近では時間をかけて様々な根回しが進行中・・・
のところにメニスの子。

人の心も計画もよろけさせてしまうその香り。
悪魔のささやきか、福音か^^;

続きがとても楽しみです。
いつも楽しいお話をありがとうございます♪


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2016/09/26 20:19
つ、続きが気になるぅ~。
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2016/09/24 02:20
また出て来ましたか、名前は忘れましたが、反乱の主の子供だった様な・・・。

またその子を使って何かするのですかね。

反乱は御免こうむりますね。
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2016/09/23 18:16
東洋美人もあの子の前ではかたなし…
メニスの子供といえば……ええあの子です^^;




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