銀の狐 金の蛇 1 温石 (前編)
- カテゴリ:自作小説
- 2016/12/05 21:41:36
ハッと目を開けると、暗い岩の天井が迫ってきた。
分厚い岩壁に囲まれた、狭い岩窟。うがたれた丸窓から、暁の光がうっすらさしこんでいる。
四方四面、白みがかった岩壁。岩窟の寺院はみなこのような、岩をくりぬいた部屋から成っている。つまり冬となれば、部屋は氷室のように冷えきって仕方がない。
「なんという夢見か……」
黒き衣のソムニウスは、横たわる寝台の上でおののいた。
――天から何かが舞い降りてくる?
これ以上、禍々しい凶夢などあるだろうか――
「いや、ない。絶対ないぞ」
わが身を襲うは暗澹(あんたん)たる予感。
舞い降りる系の夢は凶夢だと、今は亡き師がそう教えてくれた。
かつて似たような夢を視た時は、まさしく、生命の危機に陥ったことを思い出す。
あれはちょうど三年前の今頃。
湖が凍るほどの寒波に見舞われ。愛弟子を寝床に引き入れ。ぬくぬくとしたまどろみの中で、真紅の薔薇の花びらが舞い降りる夢を見た、その翌日。
『滅びろ! 最長老レヴェラトール!』
寺院の地下にあった氷結の封印が溶かされて、悪しきものが復活しかけた。二十歳に満たぬ若い弟子が、大罪を成して地下に封印された師を、よみがえらせようとしたのだ。
『俺と同じ、穢れた汚物のくせに! 俺のお師さまを侮辱するな、不死の化け物! 俺のお師さまは、悪しきものじゃない!!』
『この僕に刃向かうか……。上等だ! セイリエンの弟子!』
疑心暗鬼は世の常だ。
泣きじゃくりながら封印所を焼き尽くした実行犯が、最長老全力の御技でなんとか消し去られたあと。ソムニウスをはじめ、かなりの数の導師が共犯を疑われた。
おそろしい魔道に堕ちて封印された悪しき師を盲愛し、復活させようとした弟子に、同情したのではないかと。
『悪しき者をこの世に放とうなど、滅相もございませんっ!』
必死に弁明して。床に頭をこすりつけて。
何度も何度も繰り返したのは、最長老への忠誠の誓い。
『悪しき導師は反逆者。かつて最長老様を封じてこの寺院を牛耳ったのは、決して許されぬ大罪! 師の豹変は自分のせいだとかなんとか、あの弟子がなんと言おうが、どれだけ泣こうが、しょせん未熟者のたわごと。封印による処分は、至極妥当のものでございますっ!』
しかしすべてを見通すレヴェラトールは知っていた。
ソムニウスが実行犯に脅され、ついにはぼろぼろ泣かれた末にほだされて、封印場所の鍵をこっそり盗んで手渡したのを。
黒き衣のレヴェラトールは、偉大な星見の導師。
七つの鍵持つ寺院の長。
きら星またたく天を読み、数多の国へ予言をあたえる彼に、見えぬものなど何もない――。
結局。
疑われた者たちはことごとく、その場で指を二本、切り落とされた。
ゆえにもう二度と、ソムニウスは高位の韻律を使えない。
体を浮遊させることも、手のひらから光の弾を出すことも叶わない。
歌声を指先で繊細にかき混ぜ、おろした魔法の気配を動かすことができぬからだ。
「さて今回は? どんな不幸がふりかかるのだろうな……」
陰鬱に唇を噛み、身を起こす。腰布一枚だけの身から暖かい毛布が剥がれ、肌が粟立つ。
ふと脇を見下ろせば、同じ床の中で一番弟子が、長い巻き毛を散らして眠っている。
つややかな頬。白い肌。長いまつげ。
古代神殿に据えられた神像のごとき、美しい面立ち――。
「我が恋人」
指の足りない手をやわらかい巻き毛に分け入らせると、ほんのり甘やかな香りが鼻をくすぐってきた。品よい香油の匂いだ。
ソムニウスは思わず、おのが胸元に下げている小さな袋をつかんで、その香りを確かめた。丸みを帯びた心臓の形をした袋から、一番弟子の体と同じ香りがする。
『年を取りますと、老いの匂いが体からしみ出すものです』
つい先日、そういわれて首にかけられた。
『手作りの匂い袋ですよ。私と同じ香りを御身に染みこませてくださいね。あなたがだれのものか、すぐわかるように』
どちらが主人かわからぬ言い草だが。ソムニウスはいたく満足して、匂い袋を受け取った。一番弟子は変わらず一途。浮気を心配するほど、おのれに夢中なのがわかったからだ。
でも年を取ったといわれたのは、少々気になった。
『白髪は、耳の上にほんの少しあるだけだ』
抗議したら、一番弟子は意地悪くからかってきた。
薔薇色の唇を品よく引き上げた、艶やかな微笑みとともに。
『あら、だいぶ髪が伸びましたね、まっしろ白髪のソムニウス。染め直さなくては』
三十代から、ちらほら若白髪はあった。四十を越えてのこの数年、心労すさまじいせいで、地毛はすっかり色あせた。特に三年前の封印事件がてきめんに効いたと思う。
「おい、寒いぞ」
ソムニウスはぶるっと身震いして、むきだしの肩をさすった。
目を壁際に移せば、部屋の壁に沿うようにして巨大な麻袋が三つ並んでいる。
きら星またたく天を読み、数多の国へ予言をあたえる彼に、見えぬものなど何もない――。
結局。
疑われた者たちはことごとく、その場で指を二本、切り落とされた。
ゆえにもう二度と、ソムニウスは高位の韻律を使えない。
体を浮遊させることも、手のひらから光の弾を出すことも叶わない。
歌声を指先で繊細にかき混ぜ、おろした魔法の気配を動かすことができぬからだ。
「さて今回は? どんな不幸がふりかかるのだろうな……」
陰鬱に唇を噛み、身を起こす。腰布一枚だけの身から暖かい毛布が剥がれ、肌が粟立つ。
ふと脇を見下ろせば、同じ床の中で一番弟子が、長い巻き毛を散らして眠っている。
つややかな頬。白い肌。長いまつげ。
古代神殿に据えられた神像のごとき、美しい面立ち――。
「我が恋人」
指の足りない手をやわらかい巻き毛に分け入らせると、ほんのり甘やかな香りが鼻をくすぐってきた。品よい香油の匂いだ。
ソムニウスは思わず、おのが胸元に下げている小さな袋をつかんで、その香りを確かめた。丸みを帯びた心臓の形をした袋から、一番弟子の体と同じ香りがする。
『年を取りますと、老いの匂いが体からしみ出すものです』
つい先日、そういわれて首にかけられた。
『手作りの匂い袋ですよ。私と同じ香りを御身に染みこませてくださいね。あなたがだれのものか、すぐわかるように』
どちらが主人かわからぬ言い草だが。ソムニウスはいたく満足して、匂い袋を受け取った。一番弟子は変わらず一途。浮気を心配するほど、おのれに夢中なのがわかったからだ。
でも年を取ったといわれたのは、少々気になった。
『白髪は、耳の上にほんの少しあるだけだ』
抗議したら、一番弟子は意地悪くからかってきた。
薔薇色の唇を品よく引き上げた、艶やかな微笑みとともに。
『あら、だいぶ髪が伸びましたね、まっしろ白髪のソムニウス。染め直さなくては』
三十代から、ちらほら若白髪はあった。四十を越えてのこの数年、心労すさまじいせいで、地毛はすっかり色あせた。特に三年前の封印事件がてきめんに効いたと思う。
「おい、寒いぞ」
ソムニウスはぶるっと身震いして、むきだしの肩をさすった。
目を壁際に移せば、部屋の壁に沿うようにして巨大な麻袋が三つ並んでいる。
「カディヤ、風邪を引きそうだ」
「あ……すみません。火鉢で石を焚きます」
肩をゆすられて目覚めた一番弟子が、褥の中からするりと降りる。
くびれのある腰までふわっと垂れる、長い巻き毛。壁際の三つの袋を睨む、蒼鋼玉のような淡色の瞳。
部屋はかなり冷えているのに、一糸まとわぬ白い肌は少しも粟立っていない。
筋肉はつきすぎず、なさすぎず。胸は残念ながら――出ていない。幼いころから服用を義務付けられている、子宮の能力を殺す薬湯のせいで、まろむべき部分も発達を抑えられたからだ。
だがその欠点を差し引いても、一番弟子はため息が出るほど美しい。
美を乱すものといえば、首につけてやったたくさんの「印」であろうか。いやそれも、肌が白いので小さな花を散らしたように見える。
師は月の女神のように麗しい美の具現体をほれぼれと見上げた。
(そういえば、北方の出だったな)
美を乱すものといえば、首につけてやったたくさんの「印」であろうか。いやそれも、肌が白いので小さな花を散らしたように見える。
師は月の女神のように麗しい美の具現体をほれぼれと見上げた。
(そういえば、北方の出だったな)
ふわああ、はじめからご覧くださってありがとうございますー;ω;!
ソムとカディヤはニコさんには上げていない某ジュブナイルファンタジーの脇役さんなのですが、
二人のなれそめを知りたい、というリクエストをありがたくも頂戴しましたので
推理ものを書く練習のイケニエに…()
完全にひとつのお話として独立しているので、大丈夫かと思います・ω・>
楽しんでくださったらうれしいですノωノ*
と勇んで参りましたが、これ自体がすでに外伝だったとは。
でもここから読み始めます。
描写が美しくて目に浮かぶー♪
ご高覧ありがとうございます><
アスパの時代から四百年ほどあとのお話です。
世界観は同じですが、シリーズから独立しているミステリっぽいお話です。
寺院は昔と変わらず大陸諸国の権力争いの場です。
そして不死身の最長老(少年の姿だけど90才近い人)が君臨しています。
原版はBLのため寺院は男子だけとなってますが、
今回はカクヨム掲載の「アスパシオンの弟子メルケ版」にのっとって
女の子もめずらしいけどちょっといる設定にしています。
ちなみにBL版ではカディヤはよーするに、まんまガニメーデーちゃんです。
アスパシオンの弟子の伏線のお話はまだ続きますね。