銀の狐 金の蛇 2 しるし(前編)
- カテゴリ:自作小説
- 2016/12/06 09:34:49
ソムニウスは二十七のとき、黒き衣の導師となった。
十歳にして捧げ子となって寺院に入り、数多の試験を通り、最長老からその名をもらうまでの呼び名は、蒼き衣のチル。もしくはヒュプノウスのチルと呼ばれていた。
すなわち「見習いのチル」、「師ヒュプノウスのものであるチル」という意味である。
「桜宮ノ花散君」(サクラノミヤノハナチルキミ)という幼名は、寺院に入った時にとりあげられた。
スメルニアの極東属州にかつて在り、幼い若君には皆目わからぬ理由でお取り潰しになった、やんごとなき実家ともども、忘れ去られて久しい。
「いやもう、チル呼ばわりはいいかげん止めてほしいんだが」
石に熱がこもって、火鉢から熱が出てきた。だがため息はまだ白い。
フッと脳裏に浮かんだ歌が、思わず口から漏れる。
『剣と盾 そろえよつわもの しろがねで
波は高し 風は強し
永久(とわ)の船出に輝くほむら』
「あら、その歌は」
火鉢のそばにしゃがむ一番弟子が、くいっと口の端を引き上げる。
白い裸身が丸窓からさしこむ明けの光に照らされて、とてもまばゆい。大きな真珠の塊のようだ。
「そうさ。私がまだ蒼き衣の弟子だった時に、やらかしたやつ。最長老様に捧げようと、意気込んで歌ってしまった、かっこいい雰囲気の古代詩」
「ふふ。それ思いっきり、葬送の歌ですよね。図書館の本にあったそれを、よく意味も調べずに勲詩か何かと勘違いして……」
一番弟子が目をやわらかく山形にする。この話はもう何度も聞いている、と言いたげに。
「そうさ。宴の席で朗々と、得意満面で最長老様に歌い上げたわけだ。けーんとぉ~たぁーて♪ そろ~え~よ~♪」
投げやりに歌えば、弟子が顔をそむける。白い肩が小刻みに震えているので、笑っているのだと解る。
「永久(とわ)の船出なんて、まんま葬式だってわかりそうなのにな。そなたも気をつけろよ。意味調べは大事なんだ。めんどくさいと言って、さぼってはならん。字面とは全然違う意味の場合もあるんだからな」
古代語は俗世間では文献にもほとんど出てこない、死に絶えた言語だ。
しかしこの岩窟の寺院では、導師になる試験で必須の科目。
それゆえ黒き衣の導師たちはみな、完璧に習得している。
すなわち。
「幼い私があの歌を最長老さまの前で歌うのを聴いて、導師さまたちは口をあーんぐり。我が師は顔面真っ白で卒倒したものさ。息を吹き返したお師匠さまが泣きながら一緒に土下座してくれて、なんとか事なきをえたんだが。おかげでレヴェラトールは、いつまでも私をバカ扱いだ。いまだに見習いだった時の名前で呼んでくる」
「男前のチル」
「せめて、そういう形容詞でもつけてくれればいいのにな。脳たりんはないだろ」
「情熱的なチル」
「それもいいな」
「あそこが大きいチル」
「こら」
温石が爆ぜて、熱がほのかに頬を撫でてきた。
窓を見れば、結界を編む風編みの刻までには、まだ一刻以上ありそうな色だ。
「ああ寒い。寒いなぁ」
わざとらしく腕をさすって呼んでみる。しかし弟子は背をむけて、知らんふり。
火鉢に白い手をかざして焙っている。
「なぁ、寒いぞ」
「夜に十分、暖めてさしあげましたよ」
その通りだが、こんなに美しい子を目に入れたら、また欲しくなるのは自然の摂理だろう。
ソムニウスは胸に下がる匂い袋を握って匂いを吸い込みながら、これみよがしにうそぶいた。
「あー寒い。おぉ? わが恋人はここにいたか。なんとこんなに小さくなって」
「小さく?」
「だってわが恋人の匂いがする。これはかの人の分身だ」
一番弟子がふり返り、嬉しげに微笑む。
「ええ、そうです。私がずっと着ていた蒼き衣を解いて、作りましたからね」
一番弟子は、手先が器用だ。特に得意なのはつくろい物。破れた衣も、穴の開いた手袋も、千切れた編み込みサンダルのベルトもまたたく間に直してくれる。
「でも青い心臓なんて、失敗だったかも。やっぱりあの赤いビロードの服で作ればよかった」
「いや……それはだめだ」
一番弟子は真紅の服を一着持っている。
それはとても小さくて、身ごろを前で重ね合わせる形のもので、たぶんにスメルニアの風俗が入っている……。
「あれを切っては、だめだ」
「まあ、錦が手に入ればよいのですけどね。でも あ な た の 国 では、織物は織ってないようですし」
「う」
「ほんと、これでは国無し導師と変わりありませんよね」
黒の導師は、墓守である。
寺院の地下に封じられている太古の文明の遺物や記録は、門外不出のものにして、導師が編む御技と予言の源だ。『この星が滅んでしまう前に、危険物の封印を。世界に真の平和を。
統一王国時代以前の危険な物品・知識は、黒の導師の地に封じられるべし』
千年の昔。大陸同盟に彗星のごとく現れた「白の盟主」に導かれ、世界は文明的なものをことごとく捨て去った。
街を焼き尽くす様々な魔道兵器だけでなく、星と星の間を飛ぶ船も。空を飛んだり高速で走る乗り物も。幻を映す機械も。遠くの人と話す機器も。すぐに換えのきく手足や目も。ほとんどすべて破壊され、中でも特に危ない魔導の物品が寺院の地下に封じられている。
千年の昔。大陸同盟に彗星のごとく現れた「白の盟主」に導かれ、世界は文明的なものをことごとく捨て去った。
街を焼き尽くす様々な魔道兵器だけでなく、星と星の間を飛ぶ船も。空を飛んだり高速で走る乗り物も。幻を映す機械も。遠くの人と話す機器も。すぐに換えのきく手足や目も。ほとんどすべて破壊され、中でも特に危ない魔導の物品が寺院の地下に封じられている。
それを作り出す、膨大な知識の書とともに――。
黒の導師が寺院にいながらにして遠く離れた国を後見し、予言を与えられるのは、この太古の知識と力を細々と引き出しているからにほかならない。
そして「危険な遺物」を完全封印するため、寺院は大きな湖と風編みの結界で、外の世界から隔絶されている。
むろんのこと、太古の知識を識(し)っている導師たちもまた、俗世に在ってはならない存在とみなされ、最長老によって厳しく統轄されている。ゆえに勝手に湖を越えることはできない……。
(まあつまり、我ら導師も封印物のひとつ、だものな。自由はないし不便この上ない)
ソムニウスはわしゃわしゃと頭をかいて苦笑した。
かような寺院と外の世界との直接の繫がりは、寺院のために湖で魚をとってくれる漁師の船と、週に一回捧げ物の葡萄酒とパンと、各国からの密書を運んでくれる供物船のみ。
すなわち俗世の物品がほしければ、この二種の船に頼むしかない。だがそうするにはむろんのこと、先立つものが必要となる。
(たしかに、この子の怒りもさもあらんだ。どこの川原にもごろごろ転がってる温石など、とても売り物にならないよなぁ)
なさけなくも、弟子に布一枚買ってやるのもままならぬ生活。
それでも。
「わが恋人よ」
ソムニウスは心得ている。伴侶の心をつなぎとめる甲斐性と。見栄は決して捨ててはいけないと。
「なんですか?」
「そこの卓の引き出しを開けてごらん」

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- ミュ☆ミュ
- 2017/08/14 13:27
- 葬送の歌歌っちゃったチル。
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- カズマサ
- 2016/12/07 22:29
- 何か良いものが入っていれば良いですね。
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