銀の狐 金の蛇 3 「出院」 前編
- カテゴリ:自作小説
- 2016/12/18 16:02:22
夢見の結果がいつ実現するか。
いまだかつてソムニウスは、正確に当てたためしがない。
それが成就する瞬間まですっかり忘れていて、あっ、と思い出すことが大半だ。
しかしあの時の明け方の夢は珍しくも、そして幸いにも、現実となる前に脳裏によみがえった。
と言っても思い出したのは、ひと月も後のこと。
細長い食卓が並ぶ小食堂にて、最長老レヴェラトールにこう命じられた時であった。
「後見国へ行って、国主に僕の親書を渡して来い。僕のチル」
(僕の? いまだかつてあんたのものになった覚えはないんだが)
密やかな反抗のセリフを呑み込んだそのとき。
鏡のような湖面と険しい山々の映像が、ソムニウスの脳裏に広がった。
とてもくっきり鮮やかに、あの夢の光景が。
銀色の湖面。その真ん中に舞い降りてくる光の塊。
広がりゆく苛烈な色。それはとても紅く。まるで――。
「やっぱり血……だ……」
後見導師が直接後見国に赴くことはめったにない。
予期せぬ戦など、何かのっぴきならない事態が起こったときぐらいだ。ふだんはこの寺院にて後見国からの報告書や密書に目を通し、予言や提言を送るだけで事足りる。
かの地で何かあった、ということは聞いていない。
なぜに? と最長老に問うてみると。
「わが直筆の書を託すに足るのは、黒の導師しかおらぬ」
評価されているのか下っ端扱いされているのか、よくわからぬ返事が返ってきた。
親書は魔力どろどろで、ごく普通の者には扱えない代物なのだろう――
とりあえずそう好意的に解釈したものの。
(行けば十中八九、命の危険にさらされる……ときたか)
「心配するな。おまえの弟子たちは私が責任をもって預かってやる。安心して行ってこい」
もちろん行きたくないが、命令には背けない。最長老はソムニウスの夢見の能力をてんでばかにしているし、逆らったらどうなるか、寺院の者どもに常に思い知らせている。
――『滅びろ! レヴェラトール! ゲヘナの炎に焼かれて灰となれ!!』
『僕を呪うとは見上げた奴だな、セイリエンの犬! その愚かな勇気に、敬意を表そう。何度生まれ変わろうと、僕がこの手で息の根を止めてやる!』
三年前、最長老は封印を溶かした反逆者たちを呪い、紅蓮の炎で消し去った。
その時の宣言通り彼は今、魔道の剣持つ騎士を大陸中に放ち、反逆者たちの生まれ変わりを探している。ただ、殺すためだけに――。
不死身で強くて執念深い主人には、口答えせず従うのが吉というものだろう。それに幸い、夢は起こりうる未来を警告するものであり、確定した運命ではない。なみなみならぬ努力をすれば回避可能だ。
(遺書はだいぶ昔から用意してるし? 弟子たちを預かるのはあの最長老様だから、およそつまみ食いなんてされないし? うちの一番弟子はしっかりしてるから大丈夫だろうし?)
仕方なくも行くと決め、少々やけになったソムニウスの頭に浮かんだのは――
(せっかくだから、宿場町で羽目を外すか!)
なんともけしからん計画であった。
(宿屋づとめの給仕とか狙い目だな。女性でもよいかもしれん)
なぜなら旅はひとり旅。弟子は規則で連れていけぬし、渡された路銀はすずめの涙。護衛や用心棒など、とても雇えそうにない。
そんなわけで、かなり冷え込む初冬の朝。親書を懐に忍ばせたソムニウスは、岸辺に並ぶ四人の弟子に見送られ、独り供物船に乗りこんだ。
「おみやげなんていりませんっ」
「旅のご無事をお祈りします」
「お父さまやだ……いかないで……」
涙目の末の子の反応に、師は破顔したのだが。
「……」
「ええと、なにか言うことはないのかな?」
「……いえ何も」
「えっ?」
なぜか一番弟子は愛想ゼロ。師がおもわず膝をかくりと折ったほど、実にそっけなかった。
首をかしげるソムニウスを乗せ、そそり立つ岩壁の寺院を離れた船は、音もなくすみやかに進んだ。
帆がはらむのは、せりだす岩の舞台で導師たちが編んだ韻律の風。導師たちによって朝夕に編まれる、大いなる息吹だ。この弾力ある魔法の風が織りなす結界と湖とで、寺院は外の世界から離されている。湖上に滞留する魔力が、まるで寺院から追い出すかのように船をすいすい押している。
心地よい風に気分爽快となりたかったが。
「あの態度はなんだ……?」
船べりにもたれるソムニウスは、遠ざかる寺院をじとりと睨んだ。
しばしの別れだというのに。いや、もしかしたら永遠の別れとなる可能性もないではないのに。
今朝の一番弟子はいつもと違った。身支度を手伝ったあとは口を引き結んで、まるで無口で無表情。
「も、もしかして何か怒らせるようなことでもしたか? しかしあれが把握してない隠し事もうわきも、もうないはずっ」
冷や汗ひと筋、指折り数えて思い返してみる。
いまだかつて一番弟子以外の子にけしからんことをして、ばれなかったことなどあったろうか。
「いや、ないな。絶対ない。懺悔は全部、済ませてる」
どんなに隠そうとしても、一番弟子は見事に嗅ぎつける。「他の子は見るな」とか「さわるな」とか烈火のごとく怒り、平手一発で済めば御の字だ。しばらく口をきいてくれぬことなどざらである。
しかしソムニウスは、弟子の反応に閉口したことは一度もない。それどころか実に嬉しく感じてしまう。あの美顔の主の怒りたけだけしい声を浴びせられると、深い満足感とえもいわれぬ安心感に満たされる。
なぜなら嫉妬は愛情の裏返し。
きつい叱咤や平手は、愛の証にほかならぬ――。
「あああ……『浮気は許しません』とか『色目は厳禁です』とか! 釘を刺されなければ、調子が狂うじゃないか。かわいい子をひっかける気が起こらん」
愚痴りながら、ソムニウスは胸に下げた匂い袋を出して握りしめた。
急激にやる気が削がれたおのれに残るのは、これしかない。どうやら旅の間中、これをふがふが嗅いでしのがなければならないようだ。
「うううう。カディヤー」
情けなくもうめき、船べりにごつりと頭をつけてうなだれたそのとき。
軽快な船足の船がするすると横にやってきた。
寺院のために魚を獲っているイェイセフ老人の船だ。供物船より小ぶりで船体が細く、積んでいる荷がないので船足が速い。
イェイセフと一緒に、すらりとした背格好の若者が乗っている。粗末なシャツにズボン、すすけたマント。漁師の孫だろうかと、何気なく視線を投げたら。
「え?!」
ふわと風になびく巻き毛が目に入り、ソムニウスは度肝を抜かれた。
「えええ?!」
それはまさしく。
「かっ……カディヤ?!」
「わが直筆の書を託すに足るのは、黒の導師しかおらぬ」
評価されているのか下っ端扱いされているのか、よくわからぬ返事が返ってきた。
親書は魔力どろどろで、ごく普通の者には扱えない代物なのだろう――
とりあえずそう好意的に解釈したものの。
(行けば十中八九、命の危険にさらされる……ときたか)
「心配するな。おまえの弟子たちは私が責任をもって預かってやる。安心して行ってこい」
もちろん行きたくないが、命令には背けない。最長老はソムニウスの夢見の能力をてんでばかにしているし、逆らったらどうなるか、寺院の者どもに常に思い知らせている。
――『滅びろ! レヴェラトール! ゲヘナの炎に焼かれて灰となれ!!』
『僕を呪うとは見上げた奴だな、セイリエンの犬! その愚かな勇気に、敬意を表そう。何度生まれ変わろうと、僕がこの手で息の根を止めてやる!』
三年前、最長老は封印を溶かした反逆者たちを呪い、紅蓮の炎で消し去った。
その時の宣言通り彼は今、魔道の剣持つ騎士を大陸中に放ち、反逆者たちの生まれ変わりを探している。ただ、殺すためだけに――。
不死身で強くて執念深い主人には、口答えせず従うのが吉というものだろう。それに幸い、夢は起こりうる未来を警告するものであり、確定した運命ではない。なみなみならぬ努力をすれば回避可能だ。
(遺書はだいぶ昔から用意してるし? 弟子たちを預かるのはあの最長老様だから、およそつまみ食いなんてされないし? うちの一番弟子はしっかりしてるから大丈夫だろうし?)
仕方なくも行くと決め、少々やけになったソムニウスの頭に浮かんだのは――
(せっかくだから、宿場町で羽目を外すか!)
なんともけしからん計画であった。
(宿屋づとめの給仕とか狙い目だな。女性でもよいかもしれん)
なぜなら旅はひとり旅。弟子は規則で連れていけぬし、渡された路銀はすずめの涙。護衛や用心棒など、とても雇えそうにない。
そんなわけで、かなり冷え込む初冬の朝。親書を懐に忍ばせたソムニウスは、岸辺に並ぶ四人の弟子に見送られ、独り供物船に乗りこんだ。
「おみやげなんていりませんっ」
「旅のご無事をお祈りします」
「お父さまやだ……いかないで……」
涙目の末の子の反応に、師は破顔したのだが。
「……」
「ええと、なにか言うことはないのかな?」
「……いえ何も」
「えっ?」
なぜか一番弟子は愛想ゼロ。師がおもわず膝をかくりと折ったほど、実にそっけなかった。
首をかしげるソムニウスを乗せ、そそり立つ岩壁の寺院を離れた船は、音もなくすみやかに進んだ。
帆がはらむのは、せりだす岩の舞台で導師たちが編んだ韻律の風。導師たちによって朝夕に編まれる、大いなる息吹だ。この弾力ある魔法の風が織りなす結界と湖とで、寺院は外の世界から離されている。湖上に滞留する魔力が、まるで寺院から追い出すかのように船をすいすい押している。
心地よい風に気分爽快となりたかったが。
「あの態度はなんだ……?」
船べりにもたれるソムニウスは、遠ざかる寺院をじとりと睨んだ。
しばしの別れだというのに。いや、もしかしたら永遠の別れとなる可能性もないではないのに。
今朝の一番弟子はいつもと違った。身支度を手伝ったあとは口を引き結んで、まるで無口で無表情。
「も、もしかして何か怒らせるようなことでもしたか? しかしあれが把握してない隠し事もうわきも、もうないはずっ」
冷や汗ひと筋、指折り数えて思い返してみる。
いまだかつて一番弟子以外の子にけしからんことをして、ばれなかったことなどあったろうか。
「いや、ないな。絶対ない。懺悔は全部、済ませてる」
どんなに隠そうとしても、一番弟子は見事に嗅ぎつける。「他の子は見るな」とか「さわるな」とか烈火のごとく怒り、平手一発で済めば御の字だ。しばらく口をきいてくれぬことなどざらである。
しかしソムニウスは、弟子の反応に閉口したことは一度もない。それどころか実に嬉しく感じてしまう。あの美顔の主の怒りたけだけしい声を浴びせられると、深い満足感とえもいわれぬ安心感に満たされる。
なぜなら嫉妬は愛情の裏返し。
きつい叱咤や平手は、愛の証にほかならぬ――。
「あああ……『浮気は許しません』とか『色目は厳禁です』とか! 釘を刺されなければ、調子が狂うじゃないか。かわいい子をひっかける気が起こらん」
愚痴りながら、ソムニウスは胸に下げた匂い袋を出して握りしめた。
急激にやる気が削がれたおのれに残るのは、これしかない。どうやら旅の間中、これをふがふが嗅いでしのがなければならないようだ。
「うううう。カディヤー」
情けなくもうめき、船べりにごつりと頭をつけてうなだれたそのとき。
軽快な船足の船がするすると横にやってきた。
寺院のために魚を獲っているイェイセフ老人の船だ。供物船より小ぶりで船体が細く、積んでいる荷がないので船足が速い。
イェイセフと一緒に、すらりとした背格好の若者が乗っている。粗末なシャツにズボン、すすけたマント。漁師の孫だろうかと、何気なく視線を投げたら。
「え?!」
ふわと風になびく巻き毛が目に入り、ソムニウスは度肝を抜かれた。
「えええ?!」
それはまさしく。
「かっ……カディヤ?!」
見目麗しい一番弟子――。
「あらソムニウス! ごきげんよう!」
「ごきげんようって! おいこら! な、な、なぜっ?!」
「あは。追いついちゃいましたね。船着場で待ってますね~♪」
「ね~♪ じゃない! こらちょっと! 待ちなさい!!」
イェイセフの船がぐんぐんと、供物船を追い抜いていく。
みるまに遠ざかるその魚船から、弟子は悠然と手を振ってきた。
岸辺にいたときとは打って変わって、はじけるように輝かしく、麗しい笑顔で。
「ごきげんようって! おいこら! な、な、なぜっ?!」
「あは。追いついちゃいましたね。船着場で待ってますね~♪」
「ね~♪ じゃない! こらちょっと! 待ちなさい!!」
イェイセフの船がぐんぐんと、供物船を追い抜いていく。
みるまに遠ざかるその魚船から、弟子は悠然と手を振ってきた。
岸辺にいたときとは打って変わって、はじけるように輝かしく、麗しい笑顔で。

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- カズマサ
- 2016/12/18 18:18
- これは何か有る前触れですかね。
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