銀の狐 金の蛇3 「出院」 後編
- カテゴリ:自作小説
- 2016/12/18 16:05:07
湖の向こう岸にあるのは、果て町という小さな町だ。
その名の通り、大陸最北端の居住地とみなされており、大陸東部を南北に縦断する大街道の終着点。もしくは、出発点となるところである。
――「どういうことだっ!」
船から降りるなり、師は果て町の船着場で待っていた一番弟子に走り寄って問いただした。
蒼き衣の見習いは、韻律を十分に扱えぬという理由で、寺院の外に出ることを固く禁止されているはずなのだ。つまりこの事態はただごとではない。
しかし薔薇色の頬を輝かせる一番弟子は、さらりと答えた。
「最長老さまに直談判しました。『師は非常に不器用なので、私が世話しないと靴紐を踏んでけつまずくし、道に迷って野垂れ死にます』と」
「なっ……」
「そうしましたら、あの方はしみじみと仰いました。『チルは靴紐は結べないし、ボタンもひとりでかけられないよね』、と。で、ご快諾をいただきました」
紐結びもボタンかけも、たしかにできぬ。指が足りないせいではなく、幼いころから常にだれかがやってくれたからだ。ゆえに世話してくれる人がつくのは、大変ありがたい。
だが。
「代償は?!」
声がうわずる。心配で、思わず弟子の肩をつかんでしまう。
あのレヴェラトールが何の見返りもなしに、こんな破格の裁断をするはずがない。
「何を差し出すようにいわれた?!」
「ソム、落ち着いて」
「落ち着いていられるか!」
「大丈夫です。髪の毛をひと房献上しただけですよ」
「なん……だと?!」
弟子の肩をつかんで訊ねた師は、みるまに顔色を失いうろたえた。
いくらなんでも髪の毛とは洒落にならない。
その触媒は黒き技の呪術で頻繁に使われる。特に死の呪いをかけるときには必ず。
人形や偶像の中に入れて呪えば、髪の毛の主は、たちどころに死に取り憑かれる……。
すなわち一番弟子は、おのが命を捧げてきたも同然、ということだ。
「全っ然、大丈夫ではないだろうが?!」
「あら、逆らわなければ、大丈夫ですよ? 従順な者には大変お優しい方ですからね」
「優しい?! あいつが?!」
「とにかく私の心配はいりません。心配なのは、あなたです。指がなくて高位の結界を張れないんですから、世話人以上に護衛が必要です。それになにより、あなたには『前科』がありますからね」
「う」
弟子の言葉に目を剥いた師の体は、前科という言葉が出たとたんにぴきりと固まった。
「あなたはここ最近、毎年のように捧げ子選別のために外に派遣されております。で、初めて出院したおととしの選定のとき、見事にやらかしましたよね?」
「い、いや、そのあの」
「うちの末の弟子が、いまだに自慢するんですよね……寺院へ連れて行かれる旅であなたに目をつけられて、唾をつけられたって。旅の間、二人でこっそりちちくりあって。口づけしあって。耳たぶをかぷっとされたとかなんとか?」
弟子の輝く双眸が一瞬、悪魔のごとく昏く光る。
しかしその顔はあくまでも品よく、にこにこしたままだ。
「あの年やってきた他の女の子たちも、あなたに撫でられただの口づけされただの、口々に訴えて大騒ぎでしたよねえ。それで翌年から抜け駆け厳禁、導師たちでお互いに監視しあうってことになったんですよね? あ な た の せ い で」
「いいいいやだがしかし、そそそそれはお互い、ごごっ、合意の上だったし! やったのは私だけではないぞ! 今までの長老たちだって何度となく、弟子に欲しい子に唾をつけてきたんだからっ」
「人は人。うちはうちです」
「そなたに土下座して、もう二度としませんと、堅く堅く誓ったではないかっ」
「信用できません」
「ひっ」
美しくも恐ろしい微笑をたたえ、ひと言ずさっと断言する弟子。
否定できない師はひるんだ。
これはまずい。このままでは押し切られてしまう。
「私、最近ようやく学習したんです。女々しくすがったり騒ぎ立てると、あなたは俄然調子に乗るって。ですので今朝は、あえてそっけなくいたしました。これからの道中でも、かように厳しく、しつけさせていただきますね」
「い、いや今までも常に、厳しく躾られてきた気が――」
「とにかく。どこの馬の骨ともわからない、行きずりの誰かとちちくりあうとか。そんなことは、絶対させません!」
「ひっ」
一番弟子が朝から無表情だったのは、街に渡るまで気取られぬようにするためでもあったのだろう。
冷や汗だらだらのソムニウスは、じろりと街の船着場を見渡した。
やられた、と思う。
導師たちが編む風の結界の中を航行できるのは、護符を持つイェイセフの船と供物船だけ。
しかしイェイセフの船は、弟子が降りたとたん逃げるように岸辺を離れてしまっている。
かたや供物船がパンとぶどう酒を積んで次に寺院へ行くのは、一週間後だ。
弟子だけを乗せて今すぐ航行させるには、かなりの船賃が要る。
たっぷり数分、弟子のニコニコ顔と船を見比べたのち。
「……いや。だめだよ、カディヤ。戻りなさい」
一瞬うなだれた師は、思い切るように顔をくいっと上げて厳しい表情を作った。
「ここでなけなしの路銀を使うわけにはいかぬが、夢見で今回の旅は危険だと出ているのだ。だからそなたは……寺院に……戻……」
きっぱり言おうとしたその声は、しかし尻すぼみになってしまった。
拒否の言葉を聞いた一番弟子の美しい顔が、みるみる切ないものになったからだ。
まるで親を失いでもしたかのような、いたましい顔に。
「う……」
それは、普段めったに見られぬもの。
勘気の衣を常に身にまとっている子がまれに垣間見せる、素肌。
まことの心をさらす表情(かお)――。
「私もその夢を見た、と言ったら……追い返さないでくれますか?」
「なんだと?」
真顔の弟子は、ほとんど囁き声で明かした。
「師が危機に瀕する夢を見て、弟子がみてみぬふりをできますか? 命を賭けて当然でしょう?」
「その気持ちは……分かるがしかし――」
「二人で行けば大丈夫。私はそう、夢で啓示を受けました」
「それは……まことか?」
弟子が深く頷く。目を潤ませ、真摯な顔で。
「だからあなたが任務を拝領してすぐに、出院許可をとりました。黙って勝手なことをしてすみません。でもそうしなければ、あなたは絶対に私の髪を取り戻して、留守番させたでしょうから……」
「カディヤ……」
きめこまかくすべらかな白い頬に。涙がひと筋、すうと伝った。
「お願い。どうか一緒に行かせて……私のソム……」
こちらこそ、コメントありがとうございます(o*。_。)oペコッ
小説、素敵ですね(*´▽`*)