銀の狐 金の蛇4 「冬毛」 (後編)
- カテゴリ:自作小説
- 2016/12/23 19:05:02
小さな後見国は寺院からはるか南東の、峻厳たる山脈の中に在る。
その道程は、街道ぞいの田園と山の景色を見飽きるほど長かった。
五つか六つの街の旅籠に泊まり、そのたびに駅場で馬を乗り換え、山脈のふもとの村に到着。それから最後は山登り。
水入らずの旅は質素なものだったが概して楽しく、特に旅の後半では、師弟はまったくいつもの調子とあいなった。
師はいつものように弟子の嫉妬顔を見たくなったので、かなり派手に通常運転を開始。
その目論見どおり、弟子が「学習した」と豪語して実施した新しい教育方針は、一日ともたずに潰えた。
「いやぁ、あの給仕の子がかわいかったもので、つい」
「あなたの「つい」は多すぎます。お尻を撫で回したいなら私のをさわりなさい!」
「ひいっ」
弟子は師の期待通りに平手ざんまい。師の頬にはたちまち、もみじの跡が照り映えた。
「ききききっとあれだ、そなたにこれほどこらえ症がないのは、なにかの栄養素が足りんのだ。だから好き嫌いはいかんといってるだろう」
「はぁ?! 足りないのは、あなたの理性と節操です!」
「ひいいっ」
弟子の嫉妬と怒りは、宿の寝台でいかんなく発散された。
「わわわ分かった。分かったから、もうそろそろぐっすり寝……」
「いいえ、まだまだ。朝までお仕置きです!」
「ひいいいっ」
そんなこんなで行き着いた山のふもとの村で、師弟は駅馬の貸し出しを断られた。国を越えるのはだめだという。
自力で登ることになった山は、なんとも奇妙な形をしていた。
「ふたご山、というらしいですね」
地図を広げて眺める弟子が山の名を告げる。
街道からも見えていたその山のてっぺんは、頂上が二つあるように見える。谷間が埋まって、二つの山がくっついたような形だ。山を仰いだ師は、ああ、とうなずいた。
「これはたぶんに、『地殻変動』とかいう原理で合わさったのだろう」
「変動……それって、寺院の地下封印所に封じられてる箱の中にあった古代の知識ですね? 幻像で学者が喋ってましたっけ」
「うむ。大陸の成り立ちを科学的に説明するものだったな」
「大地の奥底には血液のようなものが流れていて、それゆえ大地は常に動いているとか、しわ寄せになったところが山になるとか……およそ信じられない話でしたが?」
「あの幻像は太古の昔に、初等学校の教材として使われていたものだ。つまり、真実だろうな。大陸最高峰のビングロンムシューのてっぺんで貝の化石が取れる理由が、それでちゃんと説明できる」
黒の導師は、墓守である。
寺院の地下に封じられている太古の文明の遺物や記録は、門外不出のものにして、導師が編む御技と予言の源だ。
しかし封印されている魔導の遺物や膨大な知識は、地下の封印所にて「完全封印」の名のもとに厳重に保管されており、一般の導師は自由にそこに踏み入ることは叶わない。大多数は、長老たちの講義でそれらの知識を得ている。
すなわち。封印所に入ることができるのは、長老のみ。
これが寺院において、長老位の導師の権威が絶大であるゆえんだ。
長老たちは最長老に申し渡された封印所の一室の鍵を渡されて、そこの管理を任される。つまり自由にいつでも、おのが担当の封印所に出入りできるのだ。
長老位を賜ったとき。ソムニウスは「七つの鍵の長」たる最長老から、鍾乳洞を模した封印所の端の一室を管理せよと、鍵をひとつたまわった。
『悪しきものを封印している鍵の方がいいか?』
そんな嫌味とともに。
むろん。
『ととととんでもございません! あれは私の最大なる過ちでございました! なにとぞお許しを!』
そう返答して床に頭をこすりつけたのはいうまでもない。
「大地が動くなんて。今の世の中、あんな話を信じる人はいないでしょうね」
「だろうな。学校というものがない国も多いし」
「あなたの国もそうでしょうね」
「だな。たった二百人だものなぁ。子供の数はかなり少ないだろうし」
狭い登山道の両脇はうっそうと茂る黒い森。道の傾斜はきつく、途中からは真っ白な雪道だった。
急峻な山道にすぐにへたれた師は、当然のごとくこう言い訳した。
「そなたが眠らせてくれぬから……」
むろん弟子は容赦なく。遠慮など微塵もなく。的を射る指摘でにっこり応酬したものだ。
「年のせいですよね、ソムニウス?」
断固否定する師に、弟子はしっかり四十肩になっていると指摘した。
「ほら、背筋も丸くなってますし。腰が曲がってますよ」
「うう。押してくれずとも大丈夫だ」
力強く背を押してくる弟子を、師は恨めしげに振り返った。
女性でしかも、自分の物だけでなく師の荷物も背負っているのに、弟子の息は切れていない。若さのせいか。
(いやいや、私の胆力を存分に喰らったからか?)
心中そう愚痴ってみるも、責めるべきは馬を買い取る財力がないわが身だと分かっている。
(捧げ子を連れ帰った旅のときは、すごくよかったのになぁ)
「前科」とされているあの旅は、導師十数人による豪華な団体旅行だった。
最長老からたっぷりと旅費が支給されるは、各国の王家に迎えられて歓待されるは、まるで王侯貴族の行幸のごとし。貸し馬どころか馬やラクダを何頭も買い取れて。連日高級旅館の一番よい部屋に泊まれて。暖かい温泉風呂で、弟子にしたいと目星を付けた子といちゃいちゃできて。そして……
『いい度胸ですね、ソムニウス!』
「帰ったら渾身の平手と怒りの説教。うむ。実に完璧だ」
「はい?」
「いやぁなにも。ん?」
目の前の雪道を、さっとなにかが横切っていく。
「なんだ? ウサギか?」
「でしょうか? まるで弾丸のようでしたね。きれいな冬毛の、真っ白な毛皮でしたよ」
「けがわ……!」
目を細める弟子に、師はぎくりとした。
「ああ、そういえばこのへんにきっといますよね。銀色の――」
「うあああ! いやぁ疲れたなぁ? たのもしい弟子よ、道はあとどのぐらいだね?」
「あ、はい地図によるともう少しです。銀狐の国はもう目と鼻の先ですよ。迎賓館に案内されたら、銀狐の毛皮の褥を、用意してもらいましょうね」
「ひ……」
弟子の笑顔がおそろしい。現地についたらそれとなく、銀の毛皮を国主に要求するのではあるまいか。
師に戦々恐々とされているとも知らず、地図と道を見比べていた弟子は、嬉しげに木々の合間を指差した。
「あ! 見えてきましたよ。あそこです」
薄靄の中に、木造の家々が建ち並ぶ街並みが見える。はるか……眼下に。
「あら?」
「おい……なぜこんな下に見えるのだ?」
「あは、すみません。はりきってちょっと登りすぎたようですね」
背中をさすってくる弟子の笑い声に、師はへなへなと杖にすがってうなだれた。
帰りは何とか工面して馬を買い取ろう。それこそ後見人の特権でもなんでも振りかざして。
そう心に誓う。そしてふと不安になる。
しかしあそこに。あの猫の額ほどの小さな国に。
馬という生き物はいるだろうか?
歩きですね。