自作12月 ケーキ 「鋼の神」1/4
- カテゴリ:自作小説
- 2016/12/28 00:44:49
ちりちりと、かすかな燃焼音が聞こえます。
橙色の灯り壷が、塔の工房にやわらかい光を投げかけています。
我が刀身を心地よく撫でてくる、ほのかなぬくもり……
「ずいぶん、傷んでおりますね」
長い研磨台に私を横たえた猫目の技師が、悲しげに息を吐き出しました。
技師は二足歩行型のネコ。マオ族の青年です。
彼はやわらかな肉球で私の刀身をふにふにと押し、損傷の具合を確かめました。
「こんなに刃こぼれが」
『まあ、使ってたのはど素人ですから』
刃はぼろぼろ。刀身の切っ先など、折れてしまってどこへやら。
柄の黄金竜の象嵌も、はげ落ちているところがちらほら。
「こまめに磨いてはいたようですね」
ええ、我が主は、いちおう手入れはしてくれてました。
でもこの数ヶ月ときたら、まったくひどいものでしたよ。
毎日。毎日。
日がな一日、戦いでした。
毎晩。毎晩。
夜通し、戦いでした。
「赤猫さん。殿下とヴィオ様をいじめてはいけません」
『い、いやっ』
「さあ、赤猫さん。エティアの兵士たちを食べなさい」
『いやあっ』
私と我が主との。いつ終わるとも知れぬ、絶え間ない攻防――
「調子はどうよ?」
猫目の技師が傷の研磨を始めると。ウサギが工房にひょこっと入ってまいりました。
「うわぁひっどい姿になってんなぁ。ま、どんなにぼろくそになろうが、赤い心臓さえ無事なら大丈夫だけどさ」
『おかげさまで、心臓は壊れておりません』
「おまえいろんなもの食いまくったし、吐きまくってたけど。調子、どう?」
ウサギが研磨台にのぼって覗きこんできます。
『大丈夫です。なんら問題はありません』
「そっか。もし具合わるくなったら言ってくれ。全力で看るから。ほんとおまえになにかあったら、ソート君に顔向けできないわ」
『感謝します、ピピさん』
いろんなもの。
たしかにたくさん、食べました。
始めに食べたのは、国境付近で反乱を起こした者たち。
勝手に塔や橋を作るのに使われた重機を回収しようと、ウサギとその師匠と我が主は、首謀者たちがたてこもる塔へ乗り込んだのです。
我々を待ちうけていたのは、王弟殿下を隠れ蓑にしていた大神官と、親スメルニア派の貴族たちでした。彼らはスメルニア軍をエティア国内に引き入れようと、野心満々画策しておりました。
むろん、そうは問屋がおろしません。
我々はあっという間に塔を制圧していきました。
電光石火、一刻もたたぬうちに決着がつくような速さで。
大神官も。黒猫卿も。ほかの悪巧み連中も。あっけなく次々と私に食べられていきました。
ところが。えんえん螺旋階段を登りきった先。塔のてっぺんで、その快進撃は止まってしまったのです。
『きゃああ、なにその剣、かっこいいい~! ヴィオのにするう!』
そこにいたのは、純血種のメニス。
かわいらしい史上最悪の化け物は、にこにこ笑顔をふりまく王弟殿下の膝の上に鎮座しておりました。
『きゃああ! ピピちゃんまでいるううう♪♪』
メニスは青の三の星から来たのではない、別天体由来の生物。
五塩基のかの種族の体液は、甘露と呼ばれております。
不老不死の妙薬となるといわれておりますが、そのもっとも顕著なる効果は、
「魅了」です――。
キン キン キン キン
打つ。打つ。赤い光。
キン キン キン キン
打つ。打つ。金の床《とこ》。
「だいぶ傷がなくなってきましたよ」
『ね、ネコメさん、とにかく匂いを落としてください』
猫目の技師に、私は震えながら頼みました。
『刃は、ぶっちゃけどうでもよいんです。匂いを。この甘ったるい最っ低な匂いを、今すぐ消して下さい』
全身になすりつけられたこの匂いのせいで、私の意識は正気を保っていられません。
まともでいられるのはほんのひととき。すぐに混濁の海に呑まれてしまいます。
この数ヶ月、私はこの恐ろしい匂いを浴びまくってきました。
我が刀身にしみこんでしまうぐらい、あのおぞましい生き物が密着していました。
なぜなら。
『君……かわいいね』
あのとき、甘ったるい空気むんむんの部屋に入るなり。
情けないことに我が主は、メニスの甘露にとらわれてしまったのです。
なんともまあ、ものの見事に。
『我が主! 早く離れて! ここから出て!』
私の叫びむなしく。
その香りを数回肺に入れただけで、我が主はふらふらとその場に倒れこみ、次に目を覚ました時には、すっかり別人と化してしまいました。
起き上がった彼は、白い歯をきらりと見せ、小首をかしげて私に微笑みながら命じました。
『赤猫さん。メニスの子と王弟殿下がこわがって泣いておられますので、いじめるのはやめましょう』
『何いってるんですか! 今すぐこのメニスをふんじばって塔からポイしましょう!』
『いいえ、そんなひどいことをしてはいけません。今まで食べた人たちも、全部出してあげなさい』
『はぁ?! り、リバースしろと?! 冗談こかないでください我が主!』
『冗談ではありません。さあ、今すぐ吐き出しなさい』
主人の顔に浮かんでいたのは、そらおそろしいほど清純で無垢な微笑み。
メニスの甘露に触発されて、彼の血の中にある暗黒面が表に出てきたのでした。
邪気なく情け容赦ないことをやってのける、彼の血の宿命が。
『赤猫さん、そこのウサギと導師はさっさと殺しましょう』
『うんうん、殺しちゃえ~♪』
『い、いやで――うううっ?!』
情けないことに、私はおかしくなった我が主をもとに戻せませんでした。
私も完全に甘露にやられたのです。
といっても、魅惑の力に溺れたのではありません。
私の意識が正体を失ったのは、もっと別の理由からでした。
――『やめてください。お願いします。許して下さい』
私の中で「もうひとりの私」が、悲鳴をあげたのです……。
『私、メニスじゃありません。許して下さい。き、切らないで』
『ははは! 何をいってるんだ。この匂いはまさしくメニスの甘露だろうが』
『そうだそうだ。甘い果実のような香りがちゃんとしているぞ』
『その不老不死の体。分けてくれや』
甘露の匂いを吸い込んだとたん。「もうひとりの私」が覚えているものが、よみがえってきたのです……。
『違います、これは、甘露に似せたお香です。私、本当はメニスじゃありませ……いやあ! いやああああっ!』
『おい、抵抗するな。ほんの少し削るだけさ』
『手足を縛れ』
『ちっ、足の指はもうほとんど……』
かわいそうな赤猫。
「もうひとりの私」がかつて住んでいた部屋は……
いつも甘ったるくおぞましい香りで満ちていました……
そこではメニスの甘露にそっくりの香が、絶えずたきしめられていました。
部屋にやってくる客に、「もうひとりの私」はメニスだと、思い込ませるために。
その香には感覚を鈍らせる媚薬も入っていて、「もうひとりの私」は、いつも虚ろでした。
でもほんの少しでも、正気に戻った時は。
『私、人間ですっ……人間ですっ!!』
赤猫は、泣き叫んで抵抗しました。
『口を塞げ』『殴り倒した方が早かろう』
『気絶させてから、削るか』
『私、にんげ……きゃあああ!!』
よみがえった記憶は悲しすぎて、とても正視できるものではなく。私を混乱させました。
このまま人間という種族のために、人間である主人を守るために、自分の力を使ってよいのかと、疑問と怒りがぐちゃぐちゃ渦巻きました。
深く考えると大陸中の人間を焼き殺したくなるので、私は自分の精神活動を封印せざるを得ませんでした。
そのために。
私は我が主の命令を遂行するだけの、ただの機械と成り果ててしまったのです……。
封印しませんと行けませんね。