Nicotto Town



自作12月 ケーキ 「鋼の神」1/4

 ちりちりと、かすかな燃焼音が聞こえます。
 橙色の灯り壷が、塔の工房にやわらかい光を投げかけています。
 我が刀身を心地よく撫でてくる、ほのかなぬくもり……
 
「ずいぶん、傷んでおりますね」

 長い研磨台に私を横たえた猫目の技師が、悲しげに息を吐き出しました。
 技師は二足歩行型のネコ。マオ族の青年です。
 彼はやわらかな肉球で私の刀身をふにふにと押し、損傷の具合を確かめました。

「こんなに刃こぼれが」
『まあ、使ってたのはど素人ですから』
 
 刃はぼろぼろ。刀身の切っ先など、折れてしまってどこへやら。
 柄の黄金竜の象嵌も、はげ落ちているところがちらほら。

「こまめに磨いてはいたようですね」

 ええ、我が主は、いちおう手入れはしてくれてました。
 でもこの数ヶ月ときたら、まったくひどいものでしたよ。
 毎日。毎日。
 日がな一日、戦いでした。
 毎晩。毎晩。
 夜通し、戦いでした。

「赤猫さん。殿下とヴィオ様をいじめてはいけません」
『い、いやっ』
「さあ、赤猫さん。エティアの兵士たちを食べなさい」
『いやあっ』

 私と我が主との。いつ終わるとも知れぬ、絶え間ない攻防――

「調子はどうよ?」

 猫目の技師が傷の研磨を始めると。ウサギが工房にひょこっと入ってまいりました。

「うわぁひっどい姿になってんなぁ。ま、どんなにぼろくそになろうが、赤い心臓さえ無事なら大丈夫だけどさ」 
『おかげさまで、心臓は壊れておりません』 
「おまえいろんなもの食いまくったし、吐きまくってたけど。調子、どう?」

 ウサギが研磨台にのぼって覗きこんできます。

『大丈夫です。なんら問題はありません』
「そっか。もし具合わるくなったら言ってくれ。全力で看るから。ほんとおまえになにかあったら、ソート君に顔向けできないわ」
『感謝します、ピピさん』

 いろんなもの。
 たしかにたくさん、食べました。
 始めに食べたのは、国境付近で反乱を起こした者たち。
 勝手に塔や橋を作るのに使われた重機を回収しようと、ウサギとその師匠と我が主は、首謀者たちがたてこもる塔へ乗り込んだのです。
 我々を待ちうけていたのは、王弟殿下を隠れ蓑にしていた大神官と、親スメルニア派の貴族たちでした。彼らはスメルニア軍をエティア国内に引き入れようと、野心満々画策しておりました。
 むろん、そうは問屋がおろしません。
 我々はあっという間に塔を制圧していきました。
 電光石火、一刻もたたぬうちに決着がつくような速さで。
 大神官も。黒猫卿も。ほかの悪巧み連中も。あっけなく次々と私に食べられていきました。
 ところが。えんえん螺旋階段を登りきった先。塔のてっぺんで、その快進撃は止まってしまったのです。

『きゃああ、なにその剣、かっこいいい~! ヴィオのにするう!』
  
 そこにいたのは、純血種のメニス。
 かわいらしい史上最悪の化け物は、にこにこ笑顔をふりまく王弟殿下の膝の上に鎮座しておりました。
 
『きゃああ! ピピちゃんまでいるううう♪♪』

 メニスは青の三の星から来たのではない、別天体由来の生物。
 五塩基のかの種族の体液は、甘露と呼ばれております。
 不老不死の妙薬となるといわれておりますが、そのもっとも顕著なる効果は、
 「魅了」です――。


 キン キン キン キン
 打つ。打つ。赤い光。
 キン キン キン キン
 打つ。打つ。金の床《とこ》。 


「だいぶ傷がなくなってきましたよ」
『ね、ネコメさん、とにかく匂いを落としてください』

 猫目の技師に、私は震えながら頼みました。
 
『刃は、ぶっちゃけどうでもよいんです。匂いを。この甘ったるい最っ低な匂いを、今すぐ消して下さい』

 全身になすりつけられたこの匂いのせいで、私の意識は正気を保っていられません。
 まともでいられるのはほんのひととき。すぐに混濁の海に呑まれてしまいます。
 この数ヶ月、私はこの恐ろしい匂いを浴びまくってきました。
 我が刀身にしみこんでしまうぐらい、あのおぞましい生き物が密着していました。
 なぜなら。
 
『君……かわいいね』

 あのとき、甘ったるい空気むんむんの部屋に入るなり。
 情けないことに我が主は、メニスの甘露にとらわれてしまったのです。
 なんともまあ、ものの見事に。
 
『我が主! 早く離れて! ここから出て!』

 私の叫びむなしく。
 その香りを数回肺に入れただけで、我が主はふらふらとその場に倒れこみ、次に目を覚ました時には、すっかり別人と化してしまいました。
 起き上がった彼は、白い歯をきらりと見せ、小首をかしげて私に微笑みながら命じました。
 
『赤猫さん。メニスの子と王弟殿下がこわがって泣いておられますので、いじめるのはやめましょう』
『何いってるんですか! 今すぐこのメニスをふんじばって塔からポイしましょう!』
『いいえ、そんなひどいことをしてはいけません。今まで食べた人たちも、全部出してあげなさい』
『はぁ?! り、リバースしろと?! 冗談こかないでください我が主!』
『冗談ではありません。さあ、今すぐ吐き出しなさい』
  
 主人の顔に浮かんでいたのは、そらおそろしいほど清純で無垢な微笑み。
 メニスの甘露に触発されて、彼の血の中にある暗黒面が表に出てきたのでした。
 邪気なく情け容赦ないことをやってのける、彼の血の宿命が。

『赤猫さん、そこのウサギと導師はさっさと殺しましょう』
『うんうん、殺しちゃえ~♪』
『い、いやで――うううっ?!』

 情けないことに、私はおかしくなった我が主をもとに戻せませんでした。
 私も完全に甘露にやられたのです。
 といっても、魅惑の力に溺れたのではありません。
 私の意識が正体を失ったのは、もっと別の理由からでした。
 

――『やめてください。お願いします。許して下さい』


 私の中で「もうひとりの私」が、悲鳴をあげたのです……。 


『私、メニスじゃありません。許して下さい。き、切らないで』

『ははは! 何をいってるんだ。この匂いはまさしくメニスの甘露だろうが』
『そうだそうだ。甘い果実のような香りがちゃんとしているぞ』
『その不老不死の体。分けてくれや』


 甘露の匂いを吸い込んだとたん。「もうひとりの私」が覚えているものが、よみがえってきたのです……。
 

『違います、これは、甘露に似せたお香です。私、本当はメニスじゃありませ……いやあ! いやああああっ!』

『おい、抵抗するな。ほんの少し削るだけさ』
『手足を縛れ』
『ちっ、足の指はもうほとんど……』

 かわいそうな赤猫。
 「もうひとりの私」がかつて住んでいた部屋は……
 いつも甘ったるくおぞましい香りで満ちていました……
 そこではメニスの甘露にそっくりの香が、絶えずたきしめられていました。
 部屋にやってくる客に、「もうひとりの私」はメニスだと、思い込ませるために。
 その香には感覚を鈍らせる媚薬も入っていて、「もうひとりの私」は、いつも虚ろでした。
 でもほんの少しでも、正気に戻った時は。

『私、人間ですっ……人間ですっ!!』

 赤猫は、泣き叫んで抵抗しました。
 
『口を塞げ』『殴り倒した方が早かろう』
『気絶させてから、削るか』

『私、にんげ……きゃあああ!!』


 よみがえった記憶は悲しすぎて、とても正視できるものではなく。私を混乱させました。
 このまま人間という種族のために、人間である主人を守るために、自分の力を使ってよいのかと、疑問と怒りがぐちゃぐちゃ渦巻きました。
 深く考えると大陸中の人間を焼き殺したくなるので、私は自分の精神活動を封印せざるを得ませんでした。
 そのために。
 私は我が主の命令を遂行するだけの、ただの機械と成り果ててしまったのです……。



アバター
2017/01/09 22:50
大変な苦労だったんですね。
アバター
2016/12/28 02:01
甘露が強すぎるのですね。

封印しませんと行けませんね。




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