Nicotto Town



銀の狐 金の蛇5 「呪詛」 前編

 せっかく登った山道をかなり下り、獣道のごとき細い迂回路を歩き。
 やっと行き着いたその国は、寺院の向こう岸にある街よりはるかに狭かった。
 四方八方鬱蒼とした森林のなかにある、猫の額ほどの平地。
 そのわずかばかりの土地を真っ二つに割る太い大通りの両脇に、四、五階建ての木造の家々が林立している。

「これが大陸一、小さい国……」

 大通りに面した家々を見上げる弟子が、目を丸くしている。その高さに圧倒されているようだ。
 家々がまるで天突く塔のようなのは、国土が狭いゆえの必然だろう。
 屋根は鱗模様の板でびっしり覆われ、傾斜がすごい。

「雪深い土地なのだろうな」
「ああ、屋根の雪が落ちやすくなってるんですね」

 冬将軍が居すわるにはまだ少し早いが、屋根も通りもうっすら白い。
 国としての歴史はそこそこあると、師はうんちくをたれた。

「大陸同盟に国家と承認されて、二世紀たっている。当時エティアとスメルニアがほぼ同時期にこの閉ざされた村落を見つけ、自分たちの領土にしようとしたんだ。ここを獲って城砦にしようとしたらしい」

 たしかにここは山中に埋もれているから、格好の隠れ拠点になる。

「どちらの国に与しても、追い出されるか、滅ぼされるか。ゆえに当時の国主はここに住まう自分たちがずっとここで暮らせるよう、黒き衣の後見を求めたのだ」


「なるほど。大陸同盟が定める、『国家の定義』を利用したわけですね」

「うん。国主、国民、黒の導師の後見。この三つがそろえば、どのような土地であろうと第一級国家であると大陸同盟に承認され、議席が与えられる。独立と自治の権利が公的に保障されるからな。いかな大国とて、下手に手を出せなくなる」

「表だって軍事侵攻などすれば、同盟に批難動議を出されて、下手すれば貿易停止の経済制裁に巨額の罰金。渡航制限。最悪、ならず者国家に認定されるって寸法ですね」

 弟子がきょろきょろと大通りから細い路地をのぞきこむ。

「その状況を利用して、こうもり外交を成り立たせているわけですか。それにしてもあの温石は、どこでとってるんでしょうね?」

「あれは河辺でとれるような感じの石だが……」

「でも水辺のようなものは、どこにも」

 ソムニウスは大通りのまんなかに立ち、小さな国を見渡した。
 予知夢には銀の鏡面のごとき湖が一面広がっていたが、この地にはまったく見当たらない。

(ここで起こることではない、のか?)

 ほのかに期待が膨らむ。夢見の的中率は、実はほかの予言に比べてかなり低い。今回はその欠点に大いに期待したいところだ……。
 大通りの奥を北進したつきあたりに、高い木の塀にかこまれた神殿がある。あれがめざす政庁だろう。
 さくさく雪を踏んで境内に至った師弟は、真正面にでんと建つ木造の正殿に迎えられた。家々よりは少し低めの平たい家屋で、壁面の木彫りのレリーフは龍だらけ。ひと目で、祀られている神が水神だとわかる。

(川も湖もないのに?)

 小さな井戸が境内の左手の奥まったところにあるが、あれが御神体だろうか。
 ユインの民が数人、大きな木のたらいに水を汲んでいる。
 身ごろを前で重ね合わせるスメルニア風の装束。その上にエティア風のショールや上着を羽織っている。大国の狭間にあることを、如実に語っているようないでたちだ。

「髪の色がみなさん藍色ですね。スメルニア系の血が混じってるんでしょうか」

「であろうな。しかしずいぶん深そうな井戸だ。長いことつるべを引っ張っている」

 ようやく現れた桶からたらいにあけられた水の少なさに、弟子が眉をひそめた。

「たったあれだけ? まさか水に不便しているのでは?」

「たしかに……みなため息をついているな」

 温石がとれそうな水辺は、神域にもなさげだ。
 山のふもとの村近くに細い沢があったが、まさかそこまで取りに行っているのだろうか?
 正殿の入り口にいる守衛に取り次ぎを頼むと、守衛はあたふたと、きなり地の服の使用人を呼んできた。
 曰く、神殿内の雑務は、「奉たてまつりびと」なる国の年寄りたちが当番制で担っているそうだ。

「神官さま方を呼んでまいりますんで」

 老いた奉りびとはすぐ奥に消え、師弟は広い礼拝堂に取り残された。
 今日この日あたりに着く、という先触れの手紙はちゃんと出していたので、弟子の頬はたちまちぷっくり風船のごとし。その秀眉は跳ね橋のように吊りあがった。

「黒の導師を立たせたまま待たせるなんて。国の入り口に国主一同ずらり並んで待ち構えてて、歓迎式典ぐらいするものでしょうに。なのに迎えはないし、神殿の門に歓迎の花輪もなかったし」

「いやいや、花はもう咲かぬ季節だろう」

 師は苦笑したが、弟子は冗談ではないと口を尖らせた。

「大体にして、ここの国主があの温石につけてきた報告書といったら……『国民一同みなつつがなく暮らしております』、のたった一文だけだったじゃないですか。しかもサインから察するに、あれは代筆でしたよ?」

 国持ちの導師たちは頻繁に国主と密書をやりとりして、しょっちゅう予言を送っている。
 しかし後見になって数ヶ月、ソムニウスはまだ一度も、このユインから予言を求められたことがない。

「ま、まあでも、書記官に書かせるのは普通だし――」

「いいえ、代筆の書を送りつけるなんて、後見人に対してとても失礼なことです。ご自身の衣の色を自覚なさってください、ソムニウス」

 誇り高い弟子は、眉間にぎりっとしわをよせた。

「黒き衣は予言者の証。あなたが後見しているからこそ、ここは「国」だと名乗れて大陸同盟の庇護を受けられるんです。予言を与えられるほどの、大変価値のある土地だと認定されるゆえにね。つまりあなたは、ここでは神さまと一緒に祀られるぐらいの存在なんですよ?」

「い、いやいや、神のように崇められるのはちょっといくらなんでも……」

「いいえ、遠慮なさってはいけません。親書は国主の直筆でよこすよう言うべきですし、詳しい定期報告も求めた方が――」

 突如。
 まくしたてる弟子がフッと言葉を止めた。正面に設置された木彫りの祭壇を見やってかたまっている。

「どうした? う……むぅ?!」

 その視線の先を見たソムニウスも、ぎょっとして言葉を失った。
 待っている間に、祭壇にお供え物を捧げに来る人が幾人かいたのだが。その中のひとりがえんえん居座って、ぶつぶつつぶやきながら祭壇に平伏している。
 白い髪を振り乱した、しわくちゃの老婆だ。
 無造作に羽織っている黒い服はすりきれてあちこち破れ、むき出しの両腕も裸足の足も、炭を塗っているのかどす黒い。額には黒い鉢巻を締めている。
 ぶつぶつ唱えるその文言は、共通語が入り混じった現地の言葉らしく、なんとも不穏な響きだった。


『兄はクラミチ走る森
 両のかいなをケガミにくわれた 

 姉はクラミチ眠る石
 両のくるぶしケガミにくわれた

 みにくい狐は首をばころがす

 沈めよ、白い大狐。
 水底クラミチ光なく』


 暗く。低く。どろどろとした歌声。
 それはまごうことなく……


『石を爆ぜさす狐の嫁ご
 石は皮の袋に入れりゃんせ
 水底クラミチひとつみち……
 水底クラミチひとつみち……』


 何かの、呪いの歌だった。







 

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2017/01/29 07:17
国が無くなる前提の事ですかね。




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