Nicotto Town



銀の狐 金の蛇5 「呪詛」 後編

「魔法の気配は下りてないが……」


「ええ。実質的な危険はありませんが、よい雰囲気ではありませんね」

 老婆は祭壇の前から少しも動かない。平伏しながら歌の文句を繰り返し唱えている。
 しかしお参りに来た人々も床を掃く奉りびとも、その老婆にまったく驚く様子はない。皆そしらぬ顔でそばを通り過ぎていく。まるでこれが、いつもの光景とでもいうように。
 人々はむしろ、礼拝堂の隅にいるソムニウスを見てたじろいでいた。

(異邦人の珍しさが勝つとは。あの異様な老婆は、すでにこの礼拝堂の日常の一部となって久しいのか?)

 ソムニウスがそう思いをよぎらせたとき。

――「おまたせをいたしまして」

 奥の扉からようやくのこと、神官たちがぞろぞろ姿を現した。
 しわ深い老翁を筆頭に、中年、壮年、青年の男。全部で四人。
 水神を奉るその身は皆、淡い水色の衣に包まれている。

(お。鮮やかだな……って……お、おいおい……)

 藍色の髪の者たちの中、ひとりだけ燃えるような真っ赤な髪色の若者がいる。
 その青年神官は弟子と同じぐらいの歳であろうか。鼻筋通った、とても端正な面立ちだ。
 その双眸は鮮やかな碧眼で、息を呑むほど美しい。 
 しかも――

(銀の……毛皮だと?)

 なんと美男は、弟子が喉から手が出るほどほしがっているものを羽織っていた。
 白銀の毛輝く、銀狐の毛皮を。




 ソムニウスはおのれのこめかみを無意識に撫でつけながら、とっさにニ、三歩横ばいに動いた。

「ソム……?」

 弟子がいぶかしむ気配を背に受けつつ、さりげなくその視界をさえぎるように立つ。

(毛皮に美男がついてる?! なんだこれは!)

 銀狐の毛皮は、他国への献上品にされるはず。
 国政を担う神官は特別なのだろうか? しかし一番若いこの神官しか、毛皮をはおっていない。

(つまりなんだ、相当に身分が高い者なのか? 何にしても目の毒すぎるっ)

 弟子の愛と献身は信じて疑わぬが、毛皮にこんな美男がひっついているとなれば……。
 おのれの経験則をかんがみるに、警戒するにこしたことはない。

「ようこそいらしゃいました、黒き衣のソムニウス様」

 夢見の導師を射抜き、背後にいる弟子を見透かすような眼力を放ちつつ。その「警戒対象」が一歩進み出てきた。

「我らが国主にして大神官たるティン・フーリ様は、ただいま所用で出ていらしゃりまして、お戻りは夜。もしくは、翌朝にならしゃるかと。書簡にて今日この日においでになるとのご連絡を頂戴いたしておりましたるが、ご会見が遅れるような仕儀とあいなり、まことに申し訳のう存じたてまつります」

 実に古めかしい言葉だ。しかし大陸共通語ではある。
 おそらく統一王国時代から伝わる役所言葉を、そのまま継承しているのだろう。
 口調は丁寧でうっとりするような艶声だが、所作は不躾きわまりない。正式には頭を四十五度垂れて言上するものだが、ほんの少しも下がっていない。
 明らかに、歓迎されていないようだ。

(たのむから身をかがめて礼をとってくれ、毛皮。これでは私の子の目に入るっ)

 ソムニウスがさりげなく爪先立って背を伸ばすと、毛皮美男は張り合うように居丈高と胸を張ってきた。

「して、こたびのご用向き。先触れによれば、最長老レヴェラトール様の親書をお持ちとか? しかして国主様はご不在。ゆえに廷臣団たる我々が、その御書をおあずかりいたしまする」

「いや、国主に直接お渡しする。開帳には、導師の力が必要だ」

 さっさと帰したいようなそぶりの毛皮美男の申し出を、ソムニウスが拒否すると。
 毛皮美男は一瞬くわりと、赤い眉を怪訝そうに動かした。

「いえ、その点につきましてはまったく心配ございませぬ。我らは神官ゆえ、魔道のものを扱う心得が――」

 傲慢ともとれる自信満々の返答は、しかし途中で途切れた。

――「神官さま!」

 大きくはじける音をたて、正殿の扉が勢いよく開かれて。

「た、大変でございますだぁっ! 若さまが……!」

「一大事でございますうっ」

 男たちが幾人か、叫びたてながらどやどやと中になだれこんできたからだった。

「神官さまあっ! 狐の若さまが! 若さまが、出先で、お……お亡くなりにっ……」

「国主さまが急ぎ、神官さまらをお呼びせよと!」

「若さまはなんだか、腕を……腕を……な、失く、失くしてしもうていてっ……」

 男たちは国主に随伴していた者たちのようだ。どの顔もこわばり、恐怖の色を示している。わめきたてる彼らの剣幕に、神官たちはざわざわうろたえた。

「若さまが?!」「なんぞ獣に襲われでもなさったのか?!」「吠え熊か? 狼か?」

――「ほぉぉう、死んだ? 狐の若さまは、死んだのかえ?」 

 そのとき。
 祭壇で独り、ぶつぶつと呪いの歌を唱えていたあの老婆が、首をくいっと傾げて大声をあげた。

「今、腕をなくしたといわなかったかえ? そこな狐。そういわなかったかえ? 腕をなくしたと。腕をの。腕をのう……」

 突然、老婆は黒く塗った両腕をカッと天井に上げ、笑いだした。まるで狂いが入ったかのごとくに。

「腕を? ひいっ……ひひひひひひ! 腕を? やったわ! ついに殺してやったわ! ひいっひひひひひひ!」

「ひっ! ハオのおばば!」

「ままままさか、ややややっぱり、おっ、おまえのしわざか!?」

 男たちが及び腰でそろそろと、祭壇の前にいる老婆を遠巻きに囲む。

「ついにかえ。ついに満願かえ。千回詣で、万回詣で、ついに望みが叶うたわぁっ!」

――「捕らえませ!」

 鋭い命令が、神官たちの中から飛ぶ。
 銀の毛皮が――いや一番若い神官が、碧みどりの双眸で老婆をきつく睨んで命じた。 

「実害はないとして放っていたるは、やはりまちがい。さあ早く、その老婆を捕らえませ!」 

「くははは! 遅いわえ! 我が呪い、これから次々と成就しようぞ!」

 血走った眼をカッと見開く老婆に、男たちがおずおずと手を伸ばす。
 ところが数人がかりで腕をつかんで引っ張るものの、老婆は地に吸いついたように動かない。

「うあ!? じ、樹液でおのが体をひっつけとる!」

「くけけけ。一日千回、完璧な身振り手振りで呪わねばならんからのぉ。ひひひひ!」

「な、なんという執念だ……」

「懐を探りなされませ! 溶かし液を持っておるはずです。毎日この者は、それで自らをはがしておりましたぞ」

 毛皮美男が飛ばす指示に従い、男たちは老婆の懐をさぐって革袋を出した。
 どぽどぽと中の液が床に流され、樹液が溶かされる間。

「ひひひひ! 狐どもは、皆殺しじゃぁ!」

 狂いの入った歓喜の笑いは途絶えることなく、礼拝堂にとどろき渡っていた。
 邪神の咆哮のごとく、おどろおどろしく。猛々しく。
 それはまるで。

 勝利の雄たけびのようであった。




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2017/02/06 00:42
よいとらさま

お読みくださりありがとうございます。
おばあちゃん、ほんとに努力賞つけてあげてもいい執念だと思います@@;
はたして本当に呪い発動しちゃったのかどうか。
今後そこを焦点に事件が動きます^^
しかし夢見的には本当に、湖ができちゃうような雰囲気ですよね;
結果はどうなるのか楽しみにしてくださったらうれしいです^^


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2017/02/06 00:38
カズマサさま

お読みくださりありがとうございます。
そんな感じの夢見でしたよね。
どうなるのか不安な展開です。
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2017/01/29 13:49
こんにちは♪

千日とか千回とか、本気でないと達成できない数を
必要とする呪詛は、1回あたりの魔力がうんと小さくて、
誰が見ても無害にしか思えない、ちりも積もれば方式の
決定版ですね^^
しかも、魔力を貯めているところが見えにくいときています。

満願成就となれば、努力賞のおまけがついて効果バッチリですよね^^


やがてこの国は湖となって終了か、高い塔の途中から舟で出入りする
水の国として生きていくのでしょうね^^;

楽しいお話をありがとうございます♪




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2017/01/29 07:30
これからのこの国は、水びだしまたは沈んでしまうのかも知れませんね。




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