銀の狐 金の蛇 6話 晩餐(前編)
- カテゴリ:自作小説
- 2017/02/17 19:37:25
突然の捕り物のために、ソムニウスと弟子は礼拝堂の片すみに退くのを余儀なくされた。
笑い声すさまじい老婆が地下房へ押し込まれたあと、神官たちは詳しい事情を男たちから聞きだしたのだが、みな口々に喚きたてるうえに訛りがきつい。
そのうえ彼らは時折ちらちらと、黒い衣の導師に怯えた視線を投げてきた。
「あそこにおられるんは……魚喰らい様か?」
「く、黒き××だ……ほんとに来なすったんだ」
「××からきたんじゃあるめぇな……」
ただひとり、師弟を見てもまったく動じない男がいた。その堂々たる雰囲気からして、国主の側近のかしらであろうか。彫りの深い面立ちの中年男で、その者だけは実に冷静だった。
「毎日毎日、ハオ婆はここで呪っておりましたが。あの呪いが、本当になったとしか思えぬ状態です」
ほぼ共通語のゆったりした口調のこの男のおかげで、師弟は事件の概要をおおかた把握できた。
殺されたのは国主の長男。
国主と共に狩りに興じていたが、数時間ほど散開したのち、待ち合わせの場所にこなかった。
男衆が狩場を探したら、なんと両腕を切断され、足に重しの袋をくくりつけられ、木に吊り下げられた異様な姿で発見された……らしい。
「婆の呪いがいつかほんとになる、だからやめさせろと、フオヤン様は仰っておりましたが。まことその通りでありました。我らみなが、あのハオ婆がここで毎日呪うのを見てみぬふりしておったのは、おそろしいまちがいだったのでしょう」
フオヤンというのが、毛皮美男の名のようだ。
他の男衆も冷静な男の口調にうなずき同調し、しまいには一番最年長の老神官をとり囲む形となった。
「ロフさま、どうしてくれるだね? ハオ婆は無害だってあんたいつもおっしゃってたけんど、狐の若さま、死んじまったでないですか!」
「んだんだ。こいつぁ、ロフさまにも××あるこってすぞ」
老いた神官は顔面蒼白。おろおろと男たちをなだめようとしたが、うまくいかず。
「フオヤンさまが警告したとおりになるとは」
「すまねえフオヤンさま、みんなこれまであなたさまの××は本気にしてこんかったが……」
「××だからとみくびっとったが、やっぱりたいしたもんだ」
――「どうかみなさま、落ち着いてくださりませ」
毛皮美男を褒め始める男たちを、まさしくその当人がなだめてやっと、その場が落ち着いた。
「皆様はただちに、国中の者ににこのことを知らせてくださりませ。サンザンの準備をよろしくお願いいたしまする。私はいそぎ、国主様のもとへ検分に参ります」
知らせにきた男たちが神殿から出ていくや、毛皮美男はすぐさまもう一人の神官と連れ立って、国主のもとへ出立した。黒の導師には何の挨拶もせず、一瞥もくれずという、どさくさまぎれの無礼をかましながらのすばやい対応だった。
「あの。かようになんとも恐ろしき事態となりまして……」
そこでようやく、ソムニウスのもとへ神官たちが近づいてきた。留守役となった者たちで、男衆に責められていた最年長のロフというひとと、壮年の者の二人だ。
「この地は喪に穢れますゆえ、できれば親書を我々にお預けになり、お立ち去りになった方が……」
「いや、私はじかに国主にお会いし、最長老様の親書を渡す。お悔やみの言葉と共にな。むろん、葬儀にも出席させていただきたい」
そうするまでは帰らぬ――。
ソムニウスが固い意志を伝えると、憔悴顔の神官たちはしぶしぶ、神殿内の小部屋アルコープをひとつ用意してくれた。
その日、毛皮美男や国主の一行は戻ってこず。
日が暮れると神官たちは仕方ないといった感じで、黒き衣の待ち人を晩餐の席に招いた。
食卓は実に質素なものだった。不幸が起こったゆえか、それともこの国のせいいっぱいの地力なのか。灰色服の奉り衆たちが出してきたものは、黒パンに地酒。それから鹿の干し肉数切れだけ。
しかも。
「お連れさまは厨房より直接、お食事をお受けとりくださりませ」
一番弟子の同席は断られた。弟子という身分のせいだが、身なりがあまりに粗末なことが大きな理由だろう。
寺院では、弟子は師の給仕をする身である。だから仕方ないと割り切れたものの、食堂の隅でけなげに待つ弟子がもらってきたのは、小さなパン一つだけだった。
ソムニウスはおのれの甲斐性のなさを呪った。もし弟子に、それなりの服装をさせていたら……
(きっと一緒に食べさせることができただろうな。ああ、なんと怖い顔だ。爪を噛んでこっちを睨んで……ん?)
すねているのかと戦々恐々として、よくよくかの麗しい美顔を眺めると。鬼のような形相の弟子の視線は、卓上の鹿肉にじっと注がれている。
(あ……肉か)
魔力が落ちるので、導師は獣の肉を食しない。たんぱく源としては霊力たまる湖の魚しか食べないので、俗世間から「魚喰らい」と呼ばれている。
ソムニウスは手をつけなければよいとさほど気にしなかったが、弟子は「世にあるまじき無礼なもてなし」と受け取ったようだ。
(さ、酒はうまいな)
目の前の陶器の水さしいっぱいに入っているのは、この地特有の木の実から作られた地酒。匂いも度もきつく、ずいぶん甘ったるい。これを部屋に持ち帰って、弟子にあげて宥めよう――そう思いながら、ソムニウスは神官たちにたずねた。
「あの老婆は若君の不幸に狂喜していたが、もしかして、国主の一家を呪っていたのか? なぜにそんなことを?」
顔を見合わせる神官たちの答えは、歯切れの悪いものだった。
「あのハオ婆はその昔、大事なひとり娘を失いまして。そうなったのは国主様のせいだと、深く深く、恨んでおりまする」
「しかし死因は、流行り病。ですから、逆恨み以外のなにものでもあらしません。みな悲しみで狂った婆をあわれんで、呪いの行為は、みてみぬふりをしていたのです」
「なるほど……ひとつ、述べさせてもらうが」
最年長のロフ神官の顔はいまだ蒼白。動揺からか、ほとんど食事に手をつけていない。
ソムニウスは彼に向かって救いの言葉を下した。
「老婆が呪いの言葉を唱えていたのを、私もたしかに耳にした。だが、魔力のようなものはなにも感じられなかった。だからこたびの若君の死に、あの老婆の呪いはまったく影響していない」
「まことであらしゃりますか?」
ロフ神官が、すがるように訊いてくる。重荷から解かれ、ホッとしたような顔で。
ソムニウスは深くうなずいてやった。
「ああ、まちがいない」
ぎこちない晩餐が終わったあと。案の定、小部屋(アルコープ)に引っ込んだ弟子は怒りを爆発させた。
「なんなんですかあれは!」
「あ。温石をどこでとるか、神官に聞き忘れた……」
「ふん! そんなこと、もうどうでもよろしいです!」
弟子は薔薇色の唇をつんと天井につき上げて、恐ろしい第一級の呪いの言葉を吐き出し、気炎をあげた。
「ゲヘナの炎に焼かれて灰となれ!」
「ここここら! そなたはあの無力な老婆とは違うのだから」
「魔法の気配はおろしてませんから、発動しませんよ。あいつら、あなたに肉を出すなんて、なんてことを! ここの民とて、『魚喰らい』とひそひそあなたのことを呼んでたのに。神官たちが知らないなんてこと、ありえません!」
「も、もしかして卓を彩るために出したのかも――」
「彩り? あの薄い木切れみたいなのが? 全っ然、見ばえしてませんでしたけど? ほんっと、信じられません。ぜったいあれは、嫌がらせでしょうよ!」
こればかりはどうにもならないのでしょうね。