銀の狐 金の蛇 6話 晩餐(後編)
- カテゴリ:自作小説
- 2017/02/17 19:43:47
「いーえ、私のことはお気になさらず。まあでも、あの赤いビロードの服を着てくれば、文句なしにあなたの隣に座れたでしょうけどね!」
投げやりな冗談を放つ弟子に、師は思わず苦笑いを漏らした。
「いやいや、あれを着るには育ちすぎだろう」
失礼なもてなしに憤る気持ちは出てこない。弟子が代わりに怒ってくれるのが嬉しくて、それだけで満たされてしまった。なにより赤い服を着ていた当時の弟子を思い出して、顔がニヨニヨにやけてしまう。
「寺院にきたばかりのころは、十歳なのに五、六歳といっても通るぐらい小さくて、超かわいらしかったのに。まさか、背を抜かれるとはなぁ」
「もう……なに思い出し笑いしてるんですか!」
ソムニウスは寝台に座り、怒り顔の弟子を誇らしげな顔で見上げた。
「いやぁほんと、そなたはとても優秀で嬉しいよ。神聖語も古代語も完璧に習得したし。韻律の技は、完全に導師級だし」
「でも、幽体離脱はできません」
「そういえば、今年も最終試験を受けなかったな」
「ええ、受けませんでした。だって『できません』から」
弟子がつんとそっぽを向く。
導師になるためには何十もの試験に合格しなければならないが、最後の試験はとくに難しい。瞑想して、おのれの魂を体の外へ出さなければならない。
「本当はやすやすとできるのに」
「いいえ、できません」
頑固に嘘をつく弟子は、この数年、わざと最終試験を受けることを拒否している。
なぜなら。
「だって導師と導師のおつきあいは固く禁じられていますし、名前も変わってしまいますからね。『ソムニウスの』カディヤと名乗れなくなるなんて、絶対嫌です。だから、幽体離脱は『できません』」
「カディヤ……」
弟子は師のもの。
所有物だからこそ、持ち主が愛でる行為が許される。
残念ながら高潔なレヴェラトールは、その行為をひどく嫌悪している。それにカディヤが試験を拒否していることも、当然良く思っていない。ゆえに最近つとに、ちくちく説教してくる。
『おまえは育児に失敗しているよ、チル。よき親であるべき導師が、本気で弟子を恋人にするなんて、まったく愚かな行為だ。娘の未来を潰す気か?』
釘を刺されるたび、夢見の導師は頭をへこへこ。適当にお茶を濁しながら、心の中でこう言い返す。
(未来を潰すなんてとんでもない。私は、「幸福な二人の未来」を作っているのだ――)
ほかでもない弟子本人が、その「二人の未来」を望んでいる。だから悩むことも、うしろめたいこともまったくない。
それに万が一の時の遺書は、書いてある。
もう何年も前に、すでに書いてある……。
「そなたの気持ちが聞けて嬉しい。百の口づけを浴びせたいところだが、この国はこれから喪に服する。ちちくりあうのは、しばらく自重しなければならぬな」
「ええ、そうですね」
「それでそなたのために部屋をもうひとつ借りようと思ったのだが、それはどうにも嫌でなぁ」
「ソム……」
「離れたくないんだ。むろん我慢するが、いつものように一緒に寝たい」
師が弟子の手を取って優しくそう言ったとたん。弟子のきつい貌がふわっと和らいだ。
「それでは、許します」
「む?」
「あなた、国主のもとへ行った綺麗な神官に、眼を奪われてたでしょう? わざと私の前に立って、そのだらしない顔を私に見せないようにしてましたよね? あなたって、きれいな人なら男でも女でも関係なしになびきますもの」
どうやら弟子の怒りの理由は、ひどいもてなしをされただけではなかったようだ。
(おお! 嫉妬か!)
師はたちまち色めきたち、弟子の腕をつかんで引っ張り寄せて隣に座らせた。
「いやいや違うな。あれは私の大事な薔薇に、変な虫を近づけたくなかったんだ」
「何きざったらしいこと言ってるんですか。美男に気を引かれなかったというなら、あれは私に銀色の毛皮を見せたくなかったんでしょうかね?」
「ちちちちがうぞ、私のカディヤ」
そこはかとなくそうでもあるが、ここはふんばりどころである。
「その薔薇色の唇。薔薇色の頬。薔薇色の爪を、本当にあの男に見せたくなかったのだ。私だけのものをな」
「また調子の良いことを」
「いや本当に、百の美の形容詞でそなたを飾りたてたい気分だよ?」
「ソム、それは褒め殺しというもので……ん……」
苦笑がもれる薔薇色の唇を、ソムニウスは強引な口づけでこじあけた。
地酒を口移しで流し込んでやると、弟子は一気に甘え顔になってくる。師の首に腕を回し、夢中で師の唇をついばんでくる様は、いまのいままで我慢していたものを一気に押し出してきたような感じだ。
奮発してアマルサの顔料を買ってやってよかったと、ソムニウスは思った。
ぎゅっと黒い衣の襟を握ってくる白い指先が、赤鋼玉のように輝いている。実に艶やかだ……。
「なんて……甘いお酒……」
「糖分が多い木の実なんだろうな」
「一口で酔いそう……」
甘やかな宥めにすっかり機嫌を直してくれたかと思いきや。
あえかな音をたてて離れた唇の形はしかし、不満げに尖っていた。
「あの神官ども、大嫌いです。だってあなたの右手を見て……眉をひそめてました。化け物でも見るかのような目つきで」
「ぬ? そうだったか?」
ロフという神官のうろたえようと、弟子の怒り顔しか印象に残ってないが……
中指と薬指がない右手は、たしかに見ばえが悪い。
「狭くて厳しい土地柄のようですから、不具の者には寛容ではないかもしれません。ああ……私、これを夢で見たのに」
弟子はぎゅっと目をつぶり、こめかみに手を当てて愚痴った。
「この場面、夢で見ました。ここでお酒を飲んで、口づけしあったあと、私はこう言うんです。
『ちょっと今から手袋を手に入れてきます』と。
ああもう! なぜ夢がまことになる瞬間に、これは夢で見たと思い出すんでしょうね。これでは全然、予言として役に立ちません」
「夢見あるあるだな。私もその形の正夢をしょっちゅう見る。じつのところ夢見は、予言で使うにはかなりしんどいものさ」
これは夢見でよくある形だ。現実となって始めて、前に夢で見ていたと思い出す。
人間の脳は眠りから覚めると、見た夢の大半を忘れてしまうのが本来の仕様であるらしい。ゆえにどんなに瞑想を深めても、脳に「忘れるな」と働きかけることはなかなか難しいのだ。
「まだまだ修行不足ってことですね。というわけで、ちょっと今から手袋を手に入れてきます」
「いや、別になくても困らぬから――」
「いいえ。神官どもに、もうあんな貌はさせません。奉りびととかいう使用人に聞いて、もらうなり買い取るなりしてきますね」
きっぱり言い放った弟子はさっと師から身を離し、手袋を探しに部屋から出て行った。
「やれやれ。あれは一度言い出したら聞かぬからな……」
ソムニウスは寝台に身を横たえ、深く息を吐いた。
慣れぬ酒が入ったのでしたたか酔ったようだ。重いまどろみがじわじわ襲ってくる。
(む。これはまずい)
泥の中に少しずつ沈んでいくような感覚に、一瞬焦る。
今までの経験則から、これはいけない兆候だと心が警告する。
こんな時に視る夢は――
(ああ……だめだ……)
必死に意識を沈めるところを修正しようとするも。
(だめだ……)
(これでは啓示はたぶん)
(得られ)
(な……い……)
とても重たいそれはずるりと、変なところに落ちていった。
漆黒の闇のように暗い、深淵へ。
夢見あるある、ありますねぇ^^;
初めて行った土地なのに、何故か見覚えがあったり、
初対面の人なのに、もう何年も前から知っているような気がしたり、
何かの場面で、次はこうなるのでは、がそのとおりになったり・・・
本当に、夢を覚えていられたらと思います^^
お酒に酔って見る夢は・・・
残念ながら覚えておりません^^;
いつも楽しいお話をありがとうございます♪