銀の狐 金の蛇 7話「靴紐」(前編)
- カテゴリ:自作小説
- 2017/03/24 16:51:43
(舞台は山間の小国ユイン。神殿に泊まることになった師弟。
弟子が手袋を手に入れにいっている間、ソムニウスは夢を見ます)
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湖の岸辺にせり出す岩壁。そこにうがたれている無数の窓穴。
そして目の前には、蒼い蒼い、鏡のような湖――。
ソムニウスはきょろきょろあたりを見回した。
どうやら夢の舞台は、岩窟の寺院のようだ。
おのれは湖を臨む岸辺で、黒き衣と蒼き衣が入り混じった人垣の中にいる。
『ちょっと押さないでください、ソムニウス』
前を見ようと背伸びしたら、すらりとした黒き衣の人が迷惑そうに振り返ってきた。
同い年の親友、細手のテスタメノスだ。まだ三十手前ぐらいの、導師になってまもない頃の彼だろうか。髪が実に黒々としている。
テスタメノスの後ろからつま先立って、人垣の向こうを見てみれば――
(捧げ舟だ)
細長い一枚帆の船が、船着き場でゆらゆら揺れながら停まっている。
甲板にいるのは五人の長老と五人の捧げ子たち。今まさに下船しようとしているようだ。
『うーん。よく見えん』
夢の中の自分が、落ち着きなさげにもじゃもじゃの頭を搔くと、テスタメノスが肩をすくめてきた。
『これから会合の広場で一列に並べられて、ひとりひとり紹介されますよ。そのときじっくりご覧になっては?』
『いや、すぐに照合したくて』
『照合? まさか夢を?』
『うん。今朝方また見たんだ。真っ赤な服を着た輝く天使が降りてきて、天に帰してくれって訴えてくるやつ。できませんて謝ったら、心臓を抉り出される……あの夢だ』
テスタメノスの細く長い指が、いらただしげに互いの指に絡みついて回転する。呆れているのだ。
『はぁ。またその夢ですか? あなたの解釈では、心奪われるほど美しい弟子を得る啓示でしたっけね。蒼き衣のチルのころから、一体何度その夢を見てるんです?』
(ああ、そういえば。かつてそんな夢を何度も見たなぁ)
湖の上に舞い降りてくるのではないが、天使に心臓をえぐられるところは似ている。
『さあ? 幾度となく見たし、去年ついに成就したと思ったんだが。でもまた見たってことは、やはり去年のあの子では、なかったんだろうなぁと』
『ああ……あれはひどかったですね。せっかく選び取った初弟子が、たった一日で長老レクトールのところに逃げ込んで、そのままあの方のものになるとか』
『ああまったく、ありえない災難だったよ』
夢の中のソムニウスが、いらいら頭を掻く。
(そうだ。あれはとても悔しい出来事だった……)
『レクトールは去年、向こう岸の果て町に子供を迎えに行っただろ。そのときあの子に唾をつけたのさ。なんだかんだと理由をつけて、自分のところに逃げて来いってね』
『まあ、長老だからこそできるワザですね。「こんな汚部屋に入るのはいやだ」と子どもに泣きわめかれるぐらい、格好の「理由」を作ってるあなたもあなたですが……』
『わわわわかってる。だから念のため今日は、部屋を掃除してきたし、風呂にも入ってきたし、黒き衣は新調した! ほら、つやつやぴかぴか、しわなんてないだろ?』
テスタメノスが疑わしい目つきを向けてくる。あの部屋は一日で掃除しきれるものではないでしょう、と、ブツブツつぶやきながら。
『どうせレクトールに呪いを飛ばしても、相手は長老だ。あえなく返り討ちにあうだけだろ? だから蟷螂とうろうの斧をふりかざすつもりは毛頭ないさ。でもな、将来私が長老になった暁には……』
『はぁ? あなたが長老に?!』
『いやこの前、ちろっと夢でみたのだ。長老が持つ封印所の鍵を、なぜか私が、泣きじゃくる金髪の子に渡す夢をさ。まぁ脈はあるってことだから、言わせてくれ』
『はぁ……どうぞ』
『いつか長老になったら、私もやってやる! だってすんごくうらやましいっ!』
ぐっとこぶしを握りしめ本音を吐くや、親友はがっくりうなだれた。
『まったくあなたという人は……だから人から見くびられるんですよ、ソムニウス。とにかく今日だけでなく、私室はいつもきれいにしておきなさい。毎日洗髪洗顔。それから――
靴の紐も、ちゃんと結んだ方がよろしいですよ』
『世話女房みたいなことをいうなよ』
『言いたくもなります。いつも紐だらっだらで、時々けつまづいてるじゃないですか』
『まぁそれは俺も気になってる。お師さまが亡くなってからちゃんと毎朝、自分で結んでるんだけどさ。気づいたらほどけてるんだよな』
親友の口の端が一瞬ひくりと引きつる。十回ほどフル回転させた長い指がこめかみにあてられる。
深く、呆れているらしい。
『そういえばあなた、あの激甘のお師さまに毎日毎日、靴紐を結んでもらってましたね』
『うん。って、みんなそうじゃないのか?』
『普通は逆ですよ、ソムニウス。弟子が師の世話をするんです。靴紐を結んでもらうと、弟子を持って本当によかったと思いますね。足元にかがんだ姿勢の弟子の頭を撫でてやると、それはそれは、幸せな気持ちになれます』
細手の人が、目をうっとり細める。
そういえば親友は、導師となって一年目に初弟子を得た。
長老たちがその子をほしがらなかったから、すんなり手に入れていた感がある。
なにせミメルは生まれも魔力も平均すれすれ、ひと重まぶたのなんとも地味な子だったからだ。
『まあ、今年こそあなたにも弟子ができることを祈りますよ』
『それはどうも。あ、降りてきたぞ』
長老たちが子どもの手を引いて船から降りてくる。
しかしひとりだけ、なかなか降りてこない。ひどく嫌がっているようだ。
その子が着ている服の色を見て、ソムニウスは目を見開いた。
ぱっと鮮やかに目を焼いてきたのは――。
『お、おい! 見たかあれ! あ、赤いぞ?』
燃えるように真っ赤な、ビロードの服。
ひどく驚いて、ソムニウスは若きテスタメノスの背中をいやというほどばんばん叩いた。
なぜならあの色は。あの真紅の輝きは……。
『あ、あれだ。きっとあれだよ! い、いつも夢に見る天使も、赤い服を着てるんだ。その天使の顔は輝いていてよくわからんのだがね。きっとあの子だ。あの子にちがいないっ』
『それであの子をどうすると? 夢見のソムニウス』
細手の人が懐疑的な目でちろりと睨んでくる。
『まさか、選び取るおつもりで?』
親友の貌は、そんなのとうてい無理と言いたげだ。
『捧げ子が白装束を着ていないとは前代未聞。かようなことを許されるとは、特例中の特例。すなわち……』
『う。長老たちは、あの子どもの機嫌をとったってことか?』
『昨年あなたが被った被害再び、でしょうね。もうすでにだれかに唾をつけられて、甘やかされているのでは? つまり手に入れるのは、まず無理でしょうよ』
その子は長老三人がかりで、やっと船着場に降りてきた。
左右に一人ずつ手を引く者。それからそっと背を押す者。
優しく説得されながら、子どもは手を振りほどきたいのを我慢して、歯を食いしばって歩いてくる。
とぼとぼ進んで足をもつれさせながらも、蒼と黒の人垣を敵意満々で睨みつけていて、その視線の強さに見ているこちらがたじろぐほどだ。
その子と目が合った刹那。
『あ……!』
背筋に、雷のような衝撃が走った。
真っ白な肌。薔薇色の頬。花びらのような唇。やわらかそうな栗色の巻き毛。
淡い色の双眸は、天上に輝く星のよう――。
『な、なんて美……しい……』
息を呑むソムニウスのまん前で、突然その子は足を止めた。
バッとしゃがみこみんで動かなくなり、なんと金切り声で叫んだ。
『ぜったい、ぬがないから。この服、ぬがないから! うああああん!』

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- カズマサ
- 2017/03/25 00:39
- 何か有ったのですかね。
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