Nicotto Town



銀の狐 金の蛇 9話「狐と蛇」(前編)

「違う……!!」


 ソムニウスは叫びながら、がばりと起き上がった。
 幸いなことにだれかに助けられたようだ。
 暖炉がばちばち燃える、暖かな部屋の長椅子に我が身が在る。
 頭も額もずきずき痛むが、負傷部分に分厚く包帯が巻かれている。
 すぐ脇にある窓を見やれば、外はまだ漆黒の色。倒れてそんなに時間がたっていないようだ。

「違う……」

 こめかみを押さえて、ソムニウスはもう一度呻いた。
 今見た夢は、最後の部分だけ過去の事実と違っていた。
 本当はあのとき最長老は押し黙ったまま何も言わず、別の長老――金髪の長老アルセニウスが、こう言ったのだ。

『ソムニウス。百万歩譲っておまえのものということにしてやるが、その代わり誓え。
 長老たちが望む時、その子をいつでも貸し出すと。
 しかし金髪ではないから、私はその子はいらぬ。
 ゆえに長老方とそなたとの、取次ぎ人になってやろう』

 弟子は師のもの。師はその処遇をいかようにもできる。
 導師間の取引の代償に、相手にひと晩貸すことは珍しいことではない。

 茶汲みをさせたり歌を歌わせたり。とくに見目よい子であると、夜伽をさせることもある。
 長老たちは、ソムニウスが美しい子どもの持ち主となる条件として、貸し出しへの合意を求めてきたのだった。

『はいっ、承知いたしました。それではみなさまのご要望を、アルセニウス様を通してお聞きすることを、誓います!』

 赤服の子はとても美しい少女。伽を求められる可能性は非常に高い。だが取次ぎ人が据えられる――ソムニウスはそれゆえに、素直に石の床に頭をこすりつけた。
 心中、「要望は聞く。だが、聞くだけだ」と、舌を出しながら。
 案の定取り次ぎ人は、寺院伝統の技を駆使することで、難なくこちらの味方についてくれた。

『ほう、赤鋼玉か。小粒だがまあよかろう』
『ありがとうございますアルセニウス様! 今後ともよろしくお願いいたします!』 
『実は、紫水晶の連珠がほしいのだがね』
『はい? 連珠?』
『私の子にあげたいのだよ。欲しいと、上の子にねだられてねえ』
『何とか手に入れましょう。お任せください』
『細い金属管の笛もほしいのだが。これは下の子にねだられてねえ』
『はい! お任せください』

 にこにこ顔で高価なものを請求してくる取次ぎ人に、ソムニウスは内心辟易。だが望みのものを貢いでやれば、取次ぎ人は長老たちの要請をうまく握り潰してくれた。
 他の人と日にちがかぶっているとか、その日はすでにだれそれに買い抑えられたとか。実に巧みに長老たちをたばかってくれて、実に助かったのだが。

(おかげでずいぶん貧乏になったなぁ)

 当時もさほど裕福というわけでなかったソムニウスは、いつもいつも、取次ぎ人への貢物を用意できたわけではない。
 あの「脱いではいけない」とした赤い服がなければ到底、長老たちの求めをかわしきることは不可能であった。

『なんだとソムニウス。あの美童は、また熱を出しているというのか?』
『はい、シレノスさま。あの子を狙っている死神は実に強力でしてー、あの赤い衣で、かろうじてその呪いをはねのけておりますが、体に多大な負担がかかっているようです』
『いつあの服を脱げるのだ?』
『本人に夢が降りなければなんともー』
『うぬううう!』 

 そう。あの赤いビロードの服こそは、まこと弟子を守る最強の鎧だった。
 あの服を口実に仮病を装い、夢の啓示をうそぶき。長老たちに、何度ぶどう酒の割り当てを献上してごまかしたことか。
 その服のてんまつを、なぜに夢に見たのだろう?
 それに。


『誓え。昏くらき深淵の道をたどりて、この子を必ず救うと』


 夢の中で、すべてを見通すレヴェラトールの口から啓示が発せられるとは。

「洒落にならぬぞおい……」

 これは確実に、弟子の身に悪いことがふりかかっているとしか思えない。

「深淵の道……これは絶対「おまえ死者になれ」とか、そんな意味だな。つまり私が身代わりになれば、あの子は助かるということか?」

 命など惜しくない。大事な子のためならなんだってできる。
 しかし今現在この瞬間に、弟子が危機に陥っていたらかなりまずい。手遅れにならなければいいのだが――
 募る心配に蒼ざめて、寝かされていた長椅子から急いで降りる。靴を脱がされているのでどこにあるのかときょろきょろ探すと――視線を感じた。
 長椅子の後ろにだれか、いる。

「だれだ?」

 振り向いたがしかし、誰の姿もない。すぐ後ろに続いている廊下から、ぴたぴた遠のく軽い足音だけが聞こえてきた。

「む? 裸足か? 子供?」

 首をかしげていぶかしんでいると、その足音にかぶるようにカツカツと靴音がして、毛布を抱えた少女が部屋に入ってきた。身ごろを前で合わせるスメルニア風の衣装に、エティア風のカーディガン。昼間井戸で見た人々と同じ、二国折衷のいでたちだ。

「あら? 母さん、おじいさんが目を覚ましたわ!」
「おじ……?!」

 ソムニウスはぽっかり口を開け、また髪染めがはげてきたのかと、あわててこめかみに手をあてた。

「あ、あの。いまの子供は、君の兄弟か?」

 衝撃のあまり力なくすとんと長椅子に腰を落とすも、動揺をまぎらわせるために聞いてみる。
 すると娘はきょとんと首をかしげた。

「コドモ? キョウダイ?」
「いま廊下を走っていっただろう? 小さい子の足音のようなものが……」
「なにも聞こえなかったけど? あ。もしかしてトゥーがあそびにきたのかしら」
「ああ、近所の子か」
「ううん、ちいさなモノノケよ。守り神っていうかんじのモノ。知らないうちに家にはいってきて、いたずらしていくお化けなの」
――「あらあら。トゥーが出てきたの? 珍しい御人が来たからかしらね」

 台所らしきところから母親が姿を見せた。その格好は、娘とほぼ同じ。やはり二国の装束が混じっている。

「おミドウにお泊まりの、魚喰らい様でございますね?」

 身をかがめて礼をとり、ずりおちた手編みの肩掛けをなおす様はどことなく品がある。
 優しげで、とても人がよさそうだ。

「主人から、本日いらっしゃると聞いておりました。黒い××ですんでそうだろうと思い、お倒れになっているのを、お助けいたしました」
「感謝する。ご主人にも礼をのべたい」
「申し訳ございません。主人は今忙しくしておりまして、××を出ております」

 口調は丁寧だが、現地の言葉はやはり聞きとりにくい。ところどころ単語がわからない。
 推測するに、おミドウとは神殿のことのようだ。

「私は何者かに襲われた。狐のお面をかぶっていた奴で、たしか、蛇と呼んできたんだが」

 状況を伝えると、母親の顔がたちまち曇った。

「ああやはり、狐の男衆が××したんですね。蛇というのは、エティア人のフランさまを××とする家のもんのことでございますよ」

「蛇はエティア人? では狐というのは……」
「狐は、スメルニア人を先祖とする家のもんのことです」

 母親曰く。ユインの民は、とある二つの家の血を引いているという。

「エティア人のフランさまの金蛇の家。それと、スメルニア人のフーリさまの銀狐の家。ここのもんはほとんどみんな、この二つのお家の××なんです」
「なるほど……山奥ゆえ、外国との血の混じりはほとんどないと思っていたが……」
「フランさまとフーリさまは、二百年ぐらい前にユインにきなさったといわれております。もともとここに住みついていたもんたちは、お二人の家の血とすっかり入り混じりました。ですんで今はもう、ユイン生粋のもんというのは、いないでしょうねえ」

 

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2017/04/14 21:49
血の争いに巻き込まれたと言う事ですかね。




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