Nicotto Town



銀の狐 金の蛇 10話「千の花」(前編)

 ソムニウスは、暖炉の上にある絵をしばし茫然と眺めるばかりだった。
 絵の中の装束は大人も子供も同じ。ということは、このユインの地独特の民俗衣装に違いない。

(カディヤの服と寸分たがわぬとは……しかしあの子の生まれは、ここではないぞ?)

 一番弟子の出身地は、北五州。たしかディレワ州の街道沿いにあるそこそこ大きな街で、実父は庁舎勤めの高位文官だったと聞いている。
 その地の王侯貴族は政略的な理由から、スメルニア皇家の姫を娶《めと》ることが多い。そのため上流の官の間では、姫の輿入れについてきた侍女を妻に得ることが常態化しており、そうすることが一番のステータスとなっている。
 ゆえにソムニウスはてっきり、弟子の母親はスメルニア人で、あの赤い服は先祖の装束を子供風に仕立てたものだと思っていた。

「その服はキアンファよ。チングゥエンやフンリィの時に着るの」

 娘が暖かいお茶を持ってきた。木の葉を炒ったものを煎じたらしく、ほのかに甘みがある。

「スメルニアの服に似ている」
「似てるのは前で合わせるところだけよ」
「ふむ……ひとつきくが、ここの人は、ほかの土地の人と結婚したりするのかね?」
「んーん。ここから出てく人はほとんどいないんじゃない? フンリィの相手はほとんど幼なじみね」
「三十年ぐらい前に北五州に嫁いだ人とか、いないかな?」

 首を傾げる娘のかわりに母親が答えた。

「この三十年でここを出ていったもんといえば、国主様のとこの、一の姫様ぐらいですよ」
「一の姫? 国主の長女か?」
「ええ。かけおちしなさったんです。北五州から、使者としてここにきなすった人と」
「かけおち……」
「みんな総出で山狩りして、逃げた二人を探しましたけど、結局見つからず終いでした。次代は蛇の姫様が継ぎなさるから、一の姫様はご自分は身軽だと思ったんでしょうね。下の弟君たちが、娘ごをもうければよいと。しばらくして国主様は、姫様を探すのをあきらめましたよ。とつくにで元気でやっていると、風の噂が流れてきましたかねえ」

 もしかしたら弟子の母親は、その一の姫なのかもしれない。
 とすると、娘である弟子は……。
 押し黙って絵をながめ上げていると。

「魚喰らい様、そんなにその服が気に入ったの? じゃあ、あたしのキアンファ見せてあげる」

 娘がさっときびすを返し、奥の部屋から真紅の装束を出して見せてくれた。
 生地は弟子のものと同じビロード。しかし絵とは違うところがある。細かい花模様の刺繍が、胴やスカートの部分にびっしり入っている。

「母さんが、ファを入れてくれたの」

 娘は花の刺繍を指さした。

「キアンもないけど、でもとてもたくさんあるでしょ? いろんな悪いものをはねのける、魔よけのしるしなのよ」
「レイレイ、今晴れ着を出してくるのは不謹慎ですよ」
「いいの。私いま、むしゃくしゃしてるの。だから母さんの自慢をさせて。こんなに見事なキアンファを仕立てられる人は、そうはいないのよ」

 困り顔の母親を尻目に、少し強情そうな娘は花の刺繍を愛しげに撫でた。

「つくるのはとっても時間がかかるの。あたしベンチョォだから……ちゃんと旦那さまに作ってあげられるかしら」
「レイレイもちゃんとできますよ。毎日シチエンしているもの」

(シチエン……ああ、練習という意味か? ベンチョォはなんだろうな。不器用、か?)

 注意して聴けば、名詞がスメルニア語にとても似ている。
 そう気づいたソムニウスは、二人が言うことをほぼ解せるようになった。
 ファは花。キアンは数の単位。見たところ刺繍の花はゆうに数百個以上あるから、おそらく千以上の数をあらわす言葉だ。
 キアンファはつまり、「千の花」というほどの意味だろう。
 とてもきれいだと褒めると、娘は嬉しげに晴れ着を抱きしめた。

「でしょ? ほんときれいよね。うちの姉さんは母さんのキアンファよりあったかい毛皮の方が好きみたいだけど、あたしは断然こっちの方が好き」
「そういえば集会所《フイチャング》にあの子の姿が見えなかったわね」
「きっと赤ん坊の世話で忙しいのよ」
「きっとそうだわね。生まれたばかりの子《ハイジ》は本当に手がかかるものだから」

 姉。
 絵に描かれた二人の娘のうちひとりは、すでに嫁いで子を生んでいるらしい。
 そしてこの娘も、ごく最近嫁入りする予定だったようだ。

「さあさあ、もういいでしょう、レイレイ。早くしまわないと、せっかくのお嫁入り《フンリィ》の衣装が喪の空気にけがれてしまいますよ」
「ああん、もうちょっと自慢させてよ母さん」
「いいえ。だめですよ」

 母親が苦笑しながら晴れ着を娘から取り上げて、隣の部屋へしまいにいく。後を追いかける娘に、母親が心配げに声をかけている。

「狐の若さまの弔い《サンザン》と喪で、きっとおまえの婚礼《フンリィ》は来年に延びてしまうわね。若さまは本当におきのどくだったけれど、おまえも不憫だわ」
「仕方ないわよ。でも私……今ちょっとだけホッとしてるの」

 たんすを開ける音と共に、娘のひそひそ声が空気に乗ってきた。
 音の魔法である韻律を操るソムニウスは、訓練された鋭敏な耳でその声を聞きとった。

「若さま、私に妾になれってしつこかったでしょ……若奥様の代わりに娘を産めって……」
「レイレイ、その話は父さんがきっぱりお断りしてくれたでしょう? おまえはフェンさんに嫁ぐんだからって。まさかそのあとも、言い寄られたの?」
「う、うん……わ、わかってるわよ、今こんなこと言うのはすごく不謹慎よね。でも若さま、父さんが断ったあとすごく怒ってたし、あい変わらずこっそり口説いてきたの……だから私、若さまがこわくて……ああもう、私、ひどい娘よね。死んだ人の悪口をいうなんて」
「レイレイ、そんな話をトゥーが聞いたら、ケガミになってしまいますよ。何も言わずに、若さまの冥福をお祈りしましょう」 
「うん、そうよね……悪い言葉を食ったら、トゥーは毛むくじゃらの怖いもんになっちゃうもんね。私、もう誰にも言わないわ」
「いい子ね」

 部屋の入り口に親子の姿が現れる。母親が、なんとも優しいまなざしで娘を見下ろし、抱きしめている――。

「喪があけるまでに、嫁入りのキアンファにもっともっと、ファをつけてあげましょうね。ほんとうにキアンまで数えられるぐらい。母さんはそうやって、おまえが幸せになる日を待つわ」
「母さん……」

 キアンファは、婚礼衣装となるもの。そして一家の母親が心をこめて、家族のために仕立ててやるものらしい。

(花の刺繍の数は、親の愛の証、か)

 そう把握したとたん。

――『ぬいだらしんじゃう! お母さまがそういったの!』

 ソムニウスの脳裏に、幼い一番弟子の姿が鮮やかによみがえった。
 ひどく泣きじゃくる、赤い服を着た子の姿が。

『ぜったいぬがないからあっ!』

 必死に訴える幼い弟子が、頑として脱ごうとしなかったあの赤い服には。
 たしか、花の刺繍など。
 ひとつも――

(なんてことだ)

 ひとつも――

(なんてことだ!)

「せ、世話になった!」

 ソムニウスはあわてて大声を出し、母子の注意を引いた。

「感謝する。あとで何か礼を贈らせてもらう」
「とんでもございません。国のものが粗相したんですから、そんな必要は。できればもう少し、お休みになった方が」
「いや、大丈夫だ。靴はどこかな」
「は、はい。今お持ちしますが、でも……」
「本当に、大丈夫だ。すまぬ、急いでいるのだ」

 ありがたいことに気をきかされて、革の靴はぴかぴかに磨かれていた。
 ソムニウスは夢の啓示を思い出し、隣の部屋から靴を抱えてきた娘に頼んだ。

「すまぬが、靴紐を結んでくれ」






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2017/04/25 05:48
探しに出かけますかね。




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