Nicotto Town



銀の狐 金の蛇 10話「千の花」(後編)

 岩窟の寺院に入る、ということは、俗世を捨てることを意味する。
 ゆえに捧げ子は現世では死んだとみなされ、白い死装束を着て寺院に渡ってくる。
 名を半分とられるのは、「生きてはいるが死者」であるため。
 名が体をあらわすその通りに、捧げ子たちは半人前。蒼き衣をまとい、師の庇護と教えを受け、日々学ばねばならない。
 エルカディヤ・レザノフから「ソムニウスのカディヤ」となった子も、本来なら寺院にきたその日から、蒼き衣をまとわねばならなかった――のだが。

『おかあさま、夢に出てきた。でも、ぬいでいいよっていわなかった』
『そうか。じゃあ今日も着ていなさい』
『はーい』

 弟子はあの赤い服を、一年以上も着続けた。
 蒼き衣をまとわぬ見習いなど、前代未聞どころではない。特例中の特例であろう。 
 死神に魅入られているので守護の衣を脱げない――という触れ込みの弟子を、当時蒼き衣の子たちはからかいまくったものだ。
 つけられたあだ名は星の数ほどもある。

「赤き衣のカディヤ」
「赤服の王子サマ」
「まっかなりんごちゃん」
「ルビーちゃん」

 しかし弟子はつんとすまして、まったく取り合わず。

『だめ! さわらないで!!』

 他人があの服に触れようとすると、烈火のごとく怒り狂って引っかいた。気が強いあの天使は、いったい何人の子を泣かせたことか。年上の子にも躊躇なく飛びかかるので、師はしょっちゅうひやひやした。

『ソムニウス、お風呂に入るからカディヤに結界を張って。カディヤを守って』
『おお、任せなさい』

 弟子は二日おきの湯浴みの時、風呂場でのみ、「守護の赤服」を脱いだ。
 かわいい甘え声で師を呼び捨てて命じるさまは、まるで家臣を従える王女のよう。
 しかしソムニウスは決して怒らず、目にくっきり映る青白い結界を、弟子の周囲に張って安心させてやった。

『ソムニウスもお風呂場に入って。カディヤを守って』
『ああ、お邪魔するよ』

 師はいつも一緒に湯浴みした。
 結界が張られた風呂場で赤い服を脱ぐと、弟子は器用に丁寧にそれを洗うのだった。

『カディヤのと一緒に、ソムニウスの黒い衣も洗ってあげる。脱いで』
『ありがとうな』
『ソムニウスの髪も、カディヤがきれいにしてあげるね』
『先髪は目がしみるんだがー』
『|ぎざぎざ輪っか《しゃんぷーはっと》を頭にはめたらいいんだよ』
『お? そういえばお師さまがそうしてくれてたな』
『やってたのに忘れちゃったの?』
『いや……お師さまがみんなやってくれて、何も覚えなくてよかったというか』
『なにそれ。それじゃカディヤが面倒みてあげなきゃ、ソムニウスはだめだめじゃん』
『うん。そうなんだよなぁ』
『だからあんなに、お部屋が汚くなってたんだ。ねえ、お掃除はカディヤがするけど、ゴミぐらいはちゃんとゴミ箱にいれてよ? わかった?』
『うん。わかった』

 濡れた服は、師が韻律で起こした温風によって、手早く乾かされた。とはいえそれでも一刻はかかる。
 乾くのを待つひとときは、至福の時。
 師は脱衣室で腰布一枚の弟子を毛布で抱きくるみ、幾重にも結界を張って「死神」から守ってやった。
 ぴったり密着している間、師は弟子に初歩の韻律を紐解いた。服を脱いでも大丈夫だと思ってもらうよう、目に見える守護の結界の技を次々と。
 賢く魔力ある弟子は、それらをまたたくまに覚えて自慢げに披露してくれたものの。

『あ、乾いた』

 しかし服が乾くやいなや師の腕の中から飛び出して、いそいそと腕を通しては、深い安堵のため息をつくのだった。

『お母さま……』

 涙を必死にこらえた貌で――。


 本人から聞きだすまでもなく。
 ソムニウスは選び取った時からはっきりと、ひとつの事実を察していた。 
 幼い弟子があんなに抵抗してその服を脱ぐのを嫌がったのは。
 あんなにもあの赤い服に執着したのは。

(あれは、母親の形見だったから……)

 母親が仕立てた服。それは、弟子の体には少し大きかった。成長分を見越してちょっと大きめに作られていて、生地はおろしたて。仕立てられてさほどたってないように見えた。 
 弟子の故郷を後見している導師に調べてもらったら推測通りで、弟子の母親は寺院に来る少し前に、事故で急死していた。
 長老たちの求めをかわす、最強の盾。
 あの服には本当に、この世で一番手ごわいものが憑いていたのだ。

「母親」という、唯一無二の存在が。

 ゆえに師は決して急かさず、弟子が自分から赤い服を脱ぐ日を、ひたすら待ったのだが……。

(まさかあんなに刺繍を入れるものだったとは!)

 今の今まで、気づかなかった。
 あの赤い服が、未完成だったということに。
 母親は一番肝心なものをあの服につける前に、天へ登ってしまったのだ。
 花の刺繍。目に見える愛の証を、つける前に。

(だからあんなに長い間、脱げなかったのだな……)

 弟子はずっと、不安でたまらなかったのだろう。
 はっきりと目に見える証拠を残してもらえなかったから、突然いなくなった人が本当に自分を愛していたのかどうか、確信できなかったのだろう。
 だからずっと待っていたのだ。
 夢の中に出てくる母親が、自分が切に求める言葉を言ってくれるまで。
 あるいは。

 花の刺繍と同じものをくれる人が、現れるまで――。

「カディヤ……カディヤ!」

 召喚した光の小精霊の速度が鈍る。一軒一軒の家をうろうろしながら、じわじわと神殿に近づいていく。
 どうやら精霊も迷っているようだ。狭い土地ゆえ、そこかしこに弟子の匂いが残っているらしい。
 ソムニウスは必死にあたりを見渡した。視界が涙でぼやける。

(まさかもう、何か悪いことが起こってしまったのか?)
(あの子はもう、災難に遭ってしまった?)
(もう手遅れなのか?)

 恐ろしい考えが頭をよぎったそのとき。
 さく、と雪を踏む音が前方からした。気配がする。何者かが、駆けてくる。
 この国の者? それとも?

 ――「ソムニウス!!」

 呼び声を聞いた瞬間。

『その言葉は無に帰した』

 夢見の導師は反射的に結界を解いた。
 小さな精霊と魔法の気配がさらさらと、きんと冷えた夜気に溶けて消えていく。

「ソム! 私のソム!」

 ああこれは。
 よく知っている子の声だ――。

「私の帰宅が遅れたせいで、探しに出てくれたんですよね? ごめんなさい! ごめんなさいっ!」

 一番弟子だ。血相を変えて、息を切らしている。いったん神殿に戻ったのだろうか、まっすぐ神殿の門から駆けてきている。部屋からいなくなった師を、ずいぶん走り回って探してくれた様子だ。

「カディヤ……! カディ……カッ……ぶ、無事なのか? 無事なんだなっ?!」
「ソム?」
「あいっ……愛し……てる! 愛……あい……あうううう!」
「ちょっ?! ソム?!」
「わ、わわわわ私がもっと、は、は……を……いっぱい、は……はな……」

 涙がとめどなく出てきてうまく喋れない。

「どう……したんですかその包帯!? お怪我をなさったんですか?!」
「はなをおおおおっ……つけるからあああっ」
「何言ってるんですか!? ああソム! なんてこと……」

 しゃくりあげるソムニウスは、青ざめておろおろする弟子に抱きしめられた。
 いつものほんのり甘い香油の香りがふわっと鼻をつく。
 胸いっぱいにその艶やかな香りを吸い込むや。
 
「ひぐしっ!」

 夢見の導師は思い切りくしゃみをした。
 涙と鼻水を思い切り吹きまけて。


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2017/05/06 20:34
よいとらさま
お読みくださりありがとうございます><

赤いサラファン始めて知りました@@;
このような歌があったのですね@@
(ロシア原曲の歌詞の方)
まさにこんな感じの風俗を想像しておりました!
同じ感じの曲を連想してくださってありがとうございます>ω<!
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2017/05/06 20:29
カズマサさま
お読みくださりありがとうございます><
再会で着て本当に良かったですよね^^
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2017/04/27 06:39
おはようございます♪

赤い服の意味がやっとわかりました(鈍感)^^;
そして、「赤いサラファン」という歌を思い出しました^^

「千の花」のない未完成の赤い服・・・
最初の一つをつけるのは・・・

続きが楽しみです♪
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2017/04/25 05:52
見つかって良かったですね。




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