銀の狐 金の蛇 10話「千の花」(後編)
- カテゴリ:自作小説
- 2017/04/24 09:59:22
岩窟の寺院に入る、ということは、俗世を捨てることを意味する。
ゆえに捧げ子は現世では死んだとみなされ、白い死装束を着て寺院に渡ってくる。
名を半分とられるのは、「生きてはいるが死者」であるため。
名が体をあらわすその通りに、捧げ子たちは半人前。蒼き衣をまとい、師の庇護と教えを受け、日々学ばねばならない。
エルカディヤ・レザノフから「ソムニウスのカディヤ」となった子も、本来なら寺院にきたその日から、蒼き衣をまとわねばならなかった――のだが。
『おかあさま、夢に出てきた。でも、ぬいでいいよっていわなかった』
『そうか。じゃあ今日も着ていなさい』
『はーい』
弟子はあの赤い服を、一年以上も着続けた。
蒼き衣をまとわぬ見習いなど、前代未聞どころではない。特例中の特例であろう。
死神に魅入られているので守護の衣を脱げない――という触れ込みの弟子を、当時蒼き衣の子たちはからかいまくったものだ。
つけられたあだ名は星の数ほどもある。
「赤き衣のカディヤ」
「赤服の王子サマ」
「まっかなりんごちゃん」
「ルビーちゃん」
しかし弟子はつんとすまして、まったく取り合わず。
『だめ! さわらないで!!』
他人があの服に触れようとすると、烈火のごとく怒り狂って引っかいた。気が強いあの天使は、いったい何人の子を泣かせたことか。年上の子にも躊躇なく飛びかかるので、師はしょっちゅうひやひやした。
『ソムニウス、お風呂に入るからカディヤに結界を張って。カディヤを守って』
『おお、任せなさい』
弟子は二日おきの湯浴みの時、風呂場でのみ、「守護の赤服」を脱いだ。
かわいい甘え声で師を呼び捨てて命じるさまは、まるで家臣を従える王女のよう。
しかしソムニウスは決して怒らず、目にくっきり映る青白い結界を、弟子の周囲に張って安心させてやった。
『ソムニウスもお風呂場に入って。カディヤを守って』
『ああ、お邪魔するよ』
師はいつも一緒に湯浴みした。
結界が張られた風呂場で赤い服を脱ぐと、弟子は器用に丁寧にそれを洗うのだった。
『カディヤのと一緒に、ソムニウスの黒い衣も洗ってあげる。脱いで』
『ありがとうな』
『ソムニウスの髪も、カディヤがきれいにしてあげるね』
『先髪は目がしみるんだがー』
『|ぎざぎざ輪っか《しゃんぷーはっと》を頭にはめたらいいんだよ』
『お? そういえばお師さまがそうしてくれてたな』
『やってたのに忘れちゃったの?』
『いや……お師さまがみんなやってくれて、何も覚えなくてよかったというか』
『なにそれ。それじゃカディヤが面倒みてあげなきゃ、ソムニウスはだめだめじゃん』
『うん。そうなんだよなぁ』
『だからあんなに、お部屋が汚くなってたんだ。ねえ、お掃除はカディヤがするけど、ゴミぐらいはちゃんとゴミ箱にいれてよ? わかった?』
『うん。わかった』
濡れた服は、師が韻律で起こした温風によって、手早く乾かされた。とはいえそれでも一刻はかかる。
乾くのを待つひとときは、至福の時。
師は脱衣室で腰布一枚の弟子を毛布で抱きくるみ、幾重にも結界を張って「死神」から守ってやった。
ぴったり密着している間、師は弟子に初歩の韻律を紐解いた。服を脱いでも大丈夫だと思ってもらうよう、目に見える守護の結界の技を次々と。
賢く魔力ある弟子は、それらをまたたくまに覚えて自慢げに披露してくれたものの。
『あ、乾いた』
しかし服が乾くやいなや師の腕の中から飛び出して、いそいそと腕を通しては、深い安堵のため息をつくのだった。
『お母さま……』
涙を必死にこらえた貌で――。
本人から聞きだすまでもなく。
ソムニウスは選び取った時からはっきりと、ひとつの事実を察していた。
幼い弟子があんなに抵抗してその服を脱ぐのを嫌がったのは。
あんなにもあの赤い服に執着したのは。
(あれは、母親の形見だったから……)
母親が仕立てた服。それは、弟子の体には少し大きかった。成長分を見越してちょっと大きめに作られていて、生地はおろしたて。仕立てられてさほどたってないように見えた。
弟子の故郷を後見している導師に調べてもらったら推測通りで、弟子の母親は寺院に来る少し前に、事故で急死していた。
長老たちの求めをかわす、最強の盾。
あの服には本当に、この世で一番手ごわいものが憑いていたのだ。
「母親」という、唯一無二の存在が。
ゆえに師は決して急かさず、弟子が自分から赤い服を脱ぐ日を、ひたすら待ったのだが……。
(まさかあんなに刺繍を入れるものだったとは!)
今の今まで、気づかなかった。
あの赤い服が、未完成だったということに。
母親は一番肝心なものをあの服につける前に、天へ登ってしまったのだ。
花の刺繍。目に見える愛の証を、つける前に。
(だからあんなに長い間、脱げなかったのだな……)
弟子はずっと、不安でたまらなかったのだろう。
はっきりと目に見える証拠を残してもらえなかったから、突然いなくなった人が本当に自分を愛していたのかどうか、確信できなかったのだろう。
だからずっと待っていたのだ。
夢の中に出てくる母親が、自分が切に求める言葉を言ってくれるまで。
あるいは。
花の刺繍と同じものをくれる人が、現れるまで――。
「カディヤ……カディヤ!」
召喚した光の小精霊の速度が鈍る。一軒一軒の家をうろうろしながら、じわじわと神殿に近づいていく。
どうやら精霊も迷っているようだ。狭い土地ゆえ、そこかしこに弟子の匂いが残っているらしい。
ソムニウスは必死にあたりを見渡した。視界が涙でぼやける。
(まさかもう、何か悪いことが起こってしまったのか?)
(あの子はもう、災難に遭ってしまった?)
(もう手遅れなのか?)
恐ろしい考えが頭をよぎったそのとき。
さく、と雪を踏む音が前方からした。気配がする。何者かが、駆けてくる。
この国の者? それとも?
――「ソムニウス!!」
呼び声を聞いた瞬間。
『その言葉は無に帰した』
夢見の導師は反射的に結界を解いた。
小さな精霊と魔法の気配がさらさらと、きんと冷えた夜気に溶けて消えていく。
「ソム! 私のソム!」
ああこれは。
よく知っている子の声だ――。
「私の帰宅が遅れたせいで、探しに出てくれたんですよね? ごめんなさい! ごめんなさいっ!」
一番弟子だ。血相を変えて、息を切らしている。いったん神殿に戻ったのだろうか、まっすぐ神殿の門から駆けてきている。部屋からいなくなった師を、ずいぶん走り回って探してくれた様子だ。
「カディヤ……! カディ……カッ……ぶ、無事なのか? 無事なんだなっ?!」
「ソム?」
「あいっ……愛し……てる! 愛……あい……あうううう!」
「ちょっ?! ソム?!」
「わ、わわわわ私がもっと、は、は……を……いっぱい、は……はな……」
涙がとめどなく出てきてうまく喋れない。
「どう……したんですかその包帯!? お怪我をなさったんですか?!」
「はなをおおおおっ……つけるからあああっ」
「何言ってるんですか!? ああソム! なんてこと……」
しゃくりあげるソムニウスは、青ざめておろおろする弟子に抱きしめられた。
いつものほんのり甘い香油の香りがふわっと鼻をつく。
胸いっぱいにその艶やかな香りを吸い込むや。
「ひぐしっ!」
夢見の導師は思い切りくしゃみをした。
涙と鼻水を思い切り吹きまけて。
お読みくださりありがとうございます><
赤いサラファン始めて知りました@@;
このような歌があったのですね@@
(ロシア原曲の歌詞の方)
まさにこんな感じの風俗を想像しておりました!
同じ感じの曲を連想してくださってありがとうございます>ω<!
お読みくださりありがとうございます><
再会で着て本当に良かったですよね^^
赤い服の意味がやっとわかりました(鈍感)^^;
そして、「赤いサラファン」という歌を思い出しました^^
「千の花」のない未完成の赤い服・・・
最初の一つをつけるのは・・・
続きが楽しみです♪