Nicotto Town



銀の狐 金の蛇 11話「口づけ」(前編)

「ソム、ごめんなさい! ごめんなさい!」

(大丈夫だ)

「大丈夫じゃないです!」

(大丈夫だよ……)

 弟子が取り乱している。声をあげて泣いている。
 だが暖かくてここちよくて。とても眠くて。目を開けていられない。
 外套を着ずに外に出たので、体が冷えた。
 今弟子が――神殿の小部屋に帰るなり、いとしい恋人が必死に暖めてくれている。
 寝台で、肌をひたりと重ねて。

(そんなにひっつかれたら一物が……)

 おそろしく心地よい。しかし体は鈍重で、手足はひくりとも動かない。
 負傷したし風邪を引きかけているので、じっくり休むようにと、ソムニウスは弟子に眠りの韻律をかけられたのだった。

「あなたをこんな目に遭わせた奴を、今すぐ断罪したいのはやまやまですが」

(いやだ。いかないでくれ……)

「そう仰いますので、我慢します。扉にこの上なく頑丈な結界を張りましたからね。ああ……許して……私がもっと早く帰っていたら、こんな目には……」

 半泣きの弟子は、なぜに帰宅に時間がかかったのか湿った声で教えてくれた。
 うつらうつらとまどろみの中で、師はその話を耳に入れた。
 なんてとろけるような美しい声だ、いますぐアスパシオンの求愛歌を歌わせたいとうっとりしながら。
 手袋を求める弟子は防寒具や衣類を作っている家に行ったものの、その家の者は寄り合い所に行っていて留守だったという。
 
「案内してくれた|奉《たてまつ》りびとが、寄り合い所から呼んできてくれたんですが……」

 連れてこられた若い家長は、品物がある倉庫に案内してくれた。しかしひどく怯えていて、そこでぐずぐずと売り渋ってきたそうだ。それで弟子は物々交換をもちかけたり、倉庫を掃除したり品物を整理したり。しばらくの間、物を得る対価としていろいろと労働してきたという。
 
「マントをあげてきました。布が欲しそうだったので。それでようやく、手袋を……」

 言葉と一緒に涙を呑み込む音がする。
 ふと脇にある小卓を見れば、暖かそうな毛皮の手袋と革の手袋が置いてある。

(すごいな……二組も。でもマントをあげた? そんなことをしたら寒いじゃないか)

 ソムニウスは「ありがとう」と言おうとしたが、その言葉は音にならなかった。
 弟子の韻律よりむしろ、そのすべらかな肌がおそろしく心地よすぎたからだった。

(ああ……落ちる……)

 ソムニウスは夢の中に落ちた。
 幸せなぬくもりと一緒に。
 



『ソムニウス、まさかあなたまだ、あの子に手をつけてないっていうんですか?』

 親友のテスタメノスが、長い食卓をさしはさんで向かいにいる。眼をすがめ、信じられないという面持ちで。

『長老さま方に貸しているくせに、自分ではまだなんて。もうてっきり、純潔は手に入れたんじゃないかと……』
『うわわわわない、それはない。貸しているというのは表向きで、うまくかわしてるんだってば』

 五感はまるで現実のような感覚。自分の姿は見えないが、これは夢だ。
 細い指をいらいら絡める親友の髪が、黒々としているから。

『将来恋人になさるなら、夜伽をさせてきちんとしつけるべきです。寺院に来て丸一年ですよね。性奉仕はともかく、歌唱や詩吟や楽器演奏などは、幼いうちから仕込みませんとものになりませんよ?』
『い、いやだからさ、夜にちんどんしゃんってお稚児さんさせるつもりで、弟子をもらったわけじゃないんだ』
『では一体どんなつもりで、あんな大騒ぎをして、弟子にしたのですか? 夢で見ただの運命だの、おっしゃっていたではありませんか。恋人にするおつもりじゃなかったんですか?』
『たしかにそんな関係になれればいいかもしれんが、このまま父親っていうだけでもいいかなぁと……』

 はぁ? と細手の人が片眉をあげる。
 
『い、いやだからさ、その件は今はおいといて。最近あの子がなぜか不機嫌で、口もきいてくれないっていう、悩み相談をしてるんだ。その理由を一緒に考えてくれよ』
『その理由はしごく単純明快ですよ、ソムニウス。それはあなたが夜伽をさせないからです』
『はい?!』
 
 どうやら、おのれと若い親友は寺院の小食堂にいるようだ。すぐそこに塩漬けの魚の皿がみえる。

(ああ、この相談をしたのは)
(夏)
(あの子がきて一年経った)
(夏の終わり)
(なぜか口をきいてくれぬようになって)
(途方に暮れた……)

 木の杯に入った葡萄酒を優雅な手つきで口に含みつつ。テスタメノスはおもむろに、「私のミメル」を自慢し始めた。
 手に入れたときから少しずつ伽の手ほどきをはじめたおかげで、楽器をつまびくのも歌うたいも完璧だの。ちゃんとしかるべき奉仕もできるだの。でもあなたのように他の導師に貸したりなどは、絶対しないだの。

『いやだから、貸してるってのは、ほんとに表向きで』
『ふん、わかってますよ、あの金髪厨のアルセニウスに貢いでしのいでいるということは。でも表向きはそういうことになってるでしょう? なのにあなた、あの子に夜伽をさせてないっていうんですか? あなたの美しい子は、すでに長老さま方からなみなみならぬご寵愛を受けていると、もっぱらの噂なんですけどね?』

 信じられないと嘆息し、またぞろ「私のミメル」を自慢しはじめる親友。
 ソムニウスはそんな細手の人をまじまじと眺めた。

(これは記憶……それとも啓示か?)

『ソムニウス。私の自慢をえんえん聞かされて、あなたは今、どんなお気持ちです?』
『あ、うんまあ。なんというか、ちょっと焦った気持ちになる、かな』
『そうでしょう? あなたの子もきっとそんな目に遭ったのですよ。かわいそうにあなたの子は、私のミメルや他の子から毎日、自慢されているんです。夜伽に召されたとき、どんなふうにお師さまをおなぐさめしたかとか。歌をほめられたとか。ご褒美をもらったとか』
『え……ちょっと待て。共同部屋の子って、そんなことを話し合うものなのか?!』

 そういうものなのです、と親友は深く深くうなずいた。
 ほとんどの導師が弟子を夜に召して、芸事と教養を仕込んでいるという。
 晩に召されなかった弟子たちは、寝台が並ぶ共同部屋で披露しあうのだそうだ。
 師に呼ばれたとき、一体どんな風にすごしたか。おみやげに何をいただいたか。
 今日はたまたま師は疲れているとか、他の弟子にゆずってやったとか、強がりを言い混ぜながら、自分がどれだけ師に気に入られているか。どれだけ愛されているかを自慢する……。
 
『ひとり弟子でずっと師の部屋に住んでいたあなたは、弟子たちの共同部屋の様子などご存知なかったのでしょうけど。夜の共同部屋は、自慢大会の会場以外の何ものでもありませんよ。それに夜伽のあと、弟子たちはたいてい師からたっぷりお菓子をいただいて帰ってきます。一度もおすそ分けできない子は、まぁ、仲間はずれにされますね。みな、お菓子を楽しみにしておりますから』
『お菓子のおすそ分けぇ?! いや私も、お師さまから毎日お菓子をたっぷりもらったものだが……配らないと仲間はずれ?! こ、こわいぞこの寺院!』
『今ごろようやく知るとか、あなたの無知の方が百倍こわいです、箱入りソムニウス』

 深いため息をつきながら、細手の人は呆然とする夢の中のソムニウスに問うた。  

『ソムニウス、弟子を部屋に泊めたことはあるんですか?』
『んー、お風呂は一緒に入るが、泊めるのはそういえばないな。あ、冬になってからは泊めたことがあるぞ。一回? 二回? 床がぬくまってとてもよかったなぁ』
『口づけは?』
『えっと、頭にしてやってる』
『唇には?』
『えっ?』
『耳たぶを食んだりは?』
『えええっ?!』

 



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2017/05/07 14:04
カズマサさま
お読みくださりありがとうございます><

寺院の導師の間では、お稚児さん趣味が流行ってるみたいですね・・;
アスパシオンやぺぺがいた時代にもあったと思いますが、
あちらではそこまで踏み入って書きませんでした。

夜伽に呼ばれた子は一般的に真夜中近くまで、お師様の私室で歌・詩の暗誦・楽器演奏などをして、
お師さまを楽しませます。
呼ばれるのはひとりだけ。お気に入りの弟子だと、たびたび呼ばれる感じです。
お師様は「この子と親子として過ごしたい」、「恋人同士として過ごしたい」、そんな理由で呼ぶのだろうと思われます。
性的な奉仕をさせるのは少数派かと…。(ないわけではないw)
お坊さんの高尚なお遊びととっていただければ幸いです。
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2017/05/07 13:34
個々の寺院は、嫌がる事をやらされる所なのかな?

どう言う、寺院なのかな?




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