Nicotto Town



銀の狐 金の蛇 12話 「国主」(前編)

「ソム、許して……」
 じんわりやけどしそうなほどの手のぬくもりで、ソムニウスは夢から覚めた。
「よかった。熱は出てないようですね」
 寝床でひたと体を寄せる弟子の白い手が、おのが額に当てられている。
 弟子が肌を重ねてひと晩中暖めてくれたおかげで、寝台はぬくぬく。しかして|小部屋《アルコープ》自体は氷室のよう。暖をとるものは、寺院の私室にあるよりも小さな火鉢ひとつしかない。
 ふと窓をみれば、うっすら明るい光がさしこんでいる。
「……朝か?」
「ええ、明けたばかりです。あの、朝食と大きな火鉢を頼んできますね」
「まだ出ないでくれ。寒い」
 ソムニウスは寝台から出ようとする弟子の腕をつかんで引き止めた。ぐいと引っ張り込んでその手首にきつく口づける。白い肌に赤い印の跡がつく。小さな花のような跡が。
 すると弟子は一瞬目を閉じ、ひどく安心したような、深い安堵のため息を漏らした。
(やっぱりそうだ。しるしは、花の刺繍の代わり……)
 しかし「もっともっと」という、いつものおねだりがない。その体はかすかに震え、顔は血の気がなく真っ白だ。師の負傷に衝撃を受け、自責の念にかられているのだろう。
 ソムニウスはつとめて明るく話しかけた。
「大丈夫だ、傷は痛くない。そなたが暖めてくれたおかげで、引きかけの風邪もひっこんだ。できれば今日はひがな一日、こうしてそなたといたいものだな」
「無理です……おそらく今日は、国主が戻られます。ご子息の遺骸と一緒に」
「ああ……」
 胸に、ずきりと痛みが走る。
 子を失った国主の心中はいかばかりだろうか。
 自分は弟子の帰りが遅かっただけでこの有様である。もし一生失いでもしたら――。
(だめだ……ちらと考えるだけで息がとまる)

『この子を必ず救え』

 夢の中のレヴェラトールに言われるまでもない。
(護らねば)
 花の刺繍のことを知ったゆえに、そして今、子を失う想像をしてしまったゆえに、弟子とひとつに溶けてしまいたい欲求が沸いてくる。
 子を失った親のため、この国を出るまでは喪をはばかるべきだろう。であろうが、とりかえしのつかないことをしたと、目の前の恋人は慄いている。
 いますぐ安心させてやりたい――。
 師は、蒼白な顔で震える弟子の腕をつかんだ。
「あ……ソム……」
 初めてつけてやったところから、始めた。
 遠慮して逃げていきそうな腕をしっかりつかみ、手首に唇をつける。
「愛しているよ」
「ああ、ソム……!」
 いくつかしるしをつけながら囁いてやると、弟子は目に涙を浮かべてすがってきた。ひたとソムニウスの胸に顔をつけてきて、声を押し殺して泣き出す。
 弟子の心を楽にしてやりたくて、師は目を脇の卓に向けた。そこには毛皮と革、二種類の手袋がおいてある。売り渋られて、それでもなんとか手に入れてきたと、弟子が言っていたものだ。
 恋人の腰に片腕を回したまま、ソムニウスは手袋にもう片方の腕を伸ばした。
「すごく暖かそうだ。何の毛皮かな?」
「狐の、です……革製のは室内で、毛皮は屋外で使って、ください……」
 二組の手袋の手触りに、師は思わず満面の笑みを浮かべた。とてもやわらかくて心地よい。
「革のは実に上等だな。気に入ったから、外でも使いたい。毛皮のは、そなたが使いなさい」
「いいえ、それは――」 
「そなたが毛皮を身につけて、よろこぶ顔が見たい」
 優しく囁いて弟子の耳たぶを食んでやる。すると涙を拭う弟子の顔に、ようやくかすかな笑みが浮かんできた。
「銀狐じゃないと嫌か?」
「いいえ……嫌じゃありません」
「じゃあそなたのものにしなさい。しかし本当に、よく手に入れてこれたな。ここでは、かつての流行り病が導師のせいにされているそうだ」
「ええ、私も毛皮の品を作る家の者から聞きました。それで相手に躊躇されたんです」
「そんな状況で無事でいてくれて……本当によかった」
「私の事など、どうでもいいです。私はあなたを護るためにきたのに……あなたを助けて、手当てしてくださった方のお宅はどこです? お礼をいわなければ」
「いやそれは――」
 鮮やかな民族衣装の花の刺繍が、脳裏によみがえる。
 もし弟子があの母と娘の家に行って、壁にかかっているあの絵を見たら――
「いや、直接訪ねるのは止めた方がよい。我らがむやみに係わり合いになっては、迷惑がかかる。誰かにことづてるのがよいだろう」
「迷惑だなんて。死神が出入りしては良からぬ噂が立つ、というわけですか? そんな……」
 弟子は口を尖らせたが、まだいつもの威勢がない。
 できればここの民族衣装のことは、知らぬままでいてほしい――
 ソムニウスはそう思った。親のことは、できるだけ思い出させたくないと。
 哀しい記憶は、掘り起こさずに埋めたままにしておくのが一番だ。
 それに。

(この子は、私の子だ)

 嫉妬のような疼きがこみあげてくる。その思いが腕にこもる。

(私だけだ。この子にしるしをつけられるのは)

 抱きしめられた弟子が、かすかに笑ってきついと言ってくる。
(ああ、やっと良い貌が)
 弟子を押し倒して白い首筋に噛みつきたい。
 全身に花をつけてやりたい……。
 その欲求をおさえるのは無理かと思われたが――
「う? どうした?」 
 突然弟子がハッと身を固くして、うるんだ瞳をちらと扉の方に向けた。
 扉を見れば、そこに張られた結界が淡く光っている。これは導師の、魔法の気配を感じる目にしか見えぬ光だ。
 どうやら入り口を閉じている結界が、人の気配に反応しているらしい。扉の向こうに誰かいて、体の一部が結界に触れているのだ。
 つまり何者かが、耳を当てるかなにかして中の様子を探っている……。
――「ああ、寒い。寒いなぁ」
 熱い劣情が一気に引いた。
 水を刺してきた邪魔者を心中呪いながら、ソムニウスはわざと大声を出した。
「寒くてかなわぬ。カディヤ、足をさすってくれ」
 阿吽《あうん》の呼吸で、弟子が合わせてくる。
「はい、ソムニウス。ここは実に寒うございますね」
「しかしこたびのことは、実にいたましい。国主さまのご長男が迷わず天上へ登れるよう、祈らねば」
「ええ。心よりお悔やみを」
「最長老様にも報せねばな」
「はい」
 しばらくあたりさわりのない言葉を交わすうち、扉の結界の光はすうと消えた。
 ぱたた、という軽い足音が聞こえる。
 母子の家で聞いたものと同じ音。
 そう気づいて、ソムニウスは眉をひそめた。
「この国には、小人のような妖精のたぐいがいると聞いた」 
 弟子に寄り添い、すべらかな頬を優しく撫でながら言ってみる。
「トゥーとかいう、モノノケだとか」
 それからあの母子はなんといっていただろうか。
 トゥーが悪い言葉を食べると、何かに変化するとかかんとか……。 
「足音があるなら、肉体があるということです。霊的なものではないでしょう」
 弟子の反応はしごく淡白で合理的だった。もうとっくにおとぎ話を信じる年齢ではない。
「中の様子をうかがわれたことは確かですね。子供の足音のようでしたけど」
「あるいは、小柄な者かな」
 神官たちが監視の目的でつけた間者、というのが一番ありそうな線だ。
 確かめてきますと言って腰を浮かしかけた弟子が、ハッと窓の方を振り返る。
 しめやかな笛のごとき音色が、木組みの壁を抜けて漂ってきたからだった。
 窓に駆け寄り外の様子を確かめた弟子は、顔に緊張の色を浮かべた。
「大通りから何かがきます。国主様の一行のようですね……何かが運ばれてきています。ああ……棺です……」
「間者の正体を確かめるのは、また今度だな」
 ソムニウスは固い表情で寝台から身を起こした。
「身支度をして、国主殿にお悔やみを申し上げよう」





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2017/05/17 22:39
間者が中の様子を探りに来たと見て良いでしょうね。




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