節穴には玩具に見えるらしい。
- カテゴリ:パソコン/インターネット
- 2017/06/04 05:14:38
理解力やセンスが皆無というのは実に致命的な話だと思う。
本職だったことがあるという話をしているが、「出来た」としていることと、在野で何か作る程度でも必要な理解やスキルと欠片も合致しないのはなんとも物悲しい話である。
なんでもMSXは玩具レベルだそうで。初代規格は「低価格で供給するために既存のパーツを流用し、安価に多くの企業が参入しやすくする」ことが目標として掲げられているので、仕様表は発表当時でも安物といって良い。が、それをもって玩具レベルとは、きちんとその設計を知らないか、使ったことが無い、理解していない人の物言いのように思う。
結構頑張って資料を作ってる人がいるので、ここでは書かないけど、カタログに出ない部分で「かなりきちんと作られたシステム」である。
拡張されたとする記述もみかけたものの、初代機の発表時点で公開されている紹介の資料で既にセカンダリスロットの記述が存在しているので、1983年の発表時点で、既に1MiBのメモリ空間とソフトウェアのサポートによってハードウェアの抽象化が行われていた。それは、同時期のコンピュータとしては先進的で、近代的な設計といえる。嘘だと思ったらSC-3000や、SORDのM5のメモリマップや設計をみてみるといい。
「あれらの実装が普通の発想で、当時の水準」である。繋がっているものはほぼ同じで、むしろシンプルでわかりやすく教科書どおりの実装だ。
仕様表だけを見れば、ほぼ同等とすら思えるが、割り当ての違いだけではなく、支えているものが違うことに「気がつけない」のは興味を持っていたり、ましてや「なにかをそれの上で作ることが出来たと吹く」ならコーディングの都合上、「理解しないほうがおかしい」部分である。むしろこの規格の根幹ともいえる仕組みを理解できずに「玩具」とは何事か。
利用に際して理解が必要なのだから「その貧相な玩具すら理解できなかった」か「資料一つ読んでも居ない」か好きなほうの恥を選ぶといい。本職だった自慢話が聞いてあきれる。
尚、国内でメモリ空間の拡張手段としてMMU/MMRを搭載する機種が出るのは翌年以降で、これらは主記憶の不足を補う手段として、どちらかといえば「高級機」に搭載されたものである。
尤も、MSXがその構造になっているのは、自由度が高い状況にしておくことによって、組み込みのシステムや個性的な実装を元の規格によって縛らないためとも思われ、実際に前者としては楽器の制御用や、通信端末として用いられた例があり、各社が本体に独自のソフトウェアを組み込んで発売して差別化を図っている。
さて、MSX2はどうだったのか?といえば、末期の価格破壊が大きく安物と思われているが、発表当時は色表現に注力したハイエンドとして設計されている。
解像度は低いものの、信号のタイミングなどによってビデオ編集、テロッパなどの機器との親和性は比較的高く、例によってSONY等のハイエンド機ではそういうことが可能な機種や、それを流用した商品なんかも出ている。
さて、此処で算数の問題だ。件の人物はFM-7なら思い切ったことが!とか寝言を起きたまま言ってるわけだが、「高い機種」という文脈で使っているものの、MSX2初期のローエンドで末期に安くなった機種より機能が低いくらいのスペックの機種の定価は、日立のMB-H3だと99800円で、FM-New7と同じ値段だ。
フラッグシップで14万円だぞ!とかいうインチキじゃなくて、二次記憶装置は外付けで、VRAMが64KiBの機種でその値段だから!同時期のほかのメーカーも同じくらいのスペックなら同じくらいの値札だから!
玩具レベルの根拠として主記憶の小ささを挙げているが、じゃあ計算してみようか。MSX2は64KiBの主記憶と128KiBのVRAMがあり、FM-7は、64KiBの主記憶と、5KiBのサブシステムのメモリと、48KiBのVRAMである。どっちが大きいのかってバカでもわかるよね?
価格と容量、セットで二問の「引き算の問題」なのだが、どっちも論理を破綻させる結果にしか到達しない。何処に妥当性があるというのか?そもそも1985年でハイエンド側の規格に1982年の標準的なもののほうが優れてるって何故思った?思い込みによって低く見積もるにも程がある。どちらも「発売時点」では相応に優れた実装である。値段でも容量でも既に言ってることがおかしいのである。
システムとしては最大64MiBのメモリ空間を管理できるわけだが、それでも玩具だと?
そもそもテキストとグラフィックスの重ね合わせや表示の話をするときにテキスト専用表示の回路を持たないFM-7を引き合いに出すことがどうかしているのであって、某所に無関係な落書きを書き込んだことを謝ってきたほうがいいと思うよ?
お高いマシンがちょっとリッチなゲームが出来たのはFDDが二基あって、それなりの容量を使えたからである。
実際、投稿雑誌の類にはジャンルを問わず小中高生が投稿したゲームがRPGを含め、掲載されている。そこらの在野の小中学生が雑誌に載るサイズに収めているのに出来ない理由はなんだね?出来る証明は多くの人がしているが、何も出来ない低品質なハードウェアだったというのはその証左の前に何の説得力があるだろう。
あとな、突っ込まなくても考えればわかるから理由は書かないけど、実現していたら、悪い意味で「ヤバイ」と気が付くから「思いつくけど誰もやらないものは世に出る前に消えていく」んだよ。完成しないし実現できてないから気が付かないのだろうけどね。
これでも、自分はMSXの実装が「嫌いなほう」であるし、Z80ごときにあんな重たい仕組み乗せるなよって思ってるし。入門?初心者用?この規模のものいきなり貰っても泣くぞwと思うし。そういう意味では、自分の持ち物だったり欲しいと思ったことはまったく無いくらい思い入れはまったく無い。
だが、新規で起こせば10万円前後の値段のスペックのものが安く子供の手に届く値段に降りてくるって凄いことじゃない?お値段なりの妥協点こそあれど、きちんとしたスペックの商品がである。安物扱いの原因ともなったFS-A1は29800円。FS-A1FはFDDが付いて54800円。SONYも同じくらいで出しているけどこれが中古とかじゃなくて、きちんと「新品の定価ベース」で付けられた値札だ。規格当初の「子供に買い与えられる安価な学習に繋げられるパーソナルコンピューター」という目標を体現したひとつの成果ではあるとおもう。
実際、この価格の設定は、多くの種をまいた。必ずしも実を結んだわけではないが、相当数の技術者の原体験や礎となった。ゼロとイチの差は物凄く大きいのである。
っていう事実と結果は「自分の妄言を実現できない商品は玩具で使い物にならない」って馬鹿にしていいものだとは「私は思わないのだが」どうだろうね?
これって、多分それを大好きだった人達や、思い出のある人達には自分より更に本気で不愉快に思うのではないかと思うのだが、そういう人達と話ししたいんじゃないの?それに喧嘩売るってどういうことなんだろ。もっとも、まともに使えていた人たちときちんと話が出来ると思える節がまったく無いのだが……。