ふぅん…。
- カテゴリ:日記
- 2009/09/27 04:25:49
自分がくだらなく、傲慢だってことだけはよくわかった。
自分の言葉にも行動にも何の価値もなかったし誰かに作用したこともまったくなかった。
あったのはうそと自己満足と欺瞞と偽善だけ。
それ以外のものは何一つなかったし、そもそも自分が何かする価値すらどこにもなかった。
存在する結論はそれだけ。
そしてその形式だけの善意すらどこにもなくなった今自分の存在価値なんてどこにもないんだろう。
数年の単位で裏切られていたという事実しか目の前にはない。
本人にはその自覚すらなく、得たものはひとつもない。
失ったものと、捨ててしまったものだけしかない。
いや、失った物だってどうせ最初から無意味で無価値でどうでもいいものだったんだろう。
涙にも悲鳴にも断末魔の叫びにすら何の意味も価値もなかった。
そんなものに何か価値があると思うことがそもそもの勘違いなんだ。
自分が存在することだってそもそもどうでもいいんだしなw
何もできない自分にすら苦しんでいたこと自体がくだらなく無価値なことだった。
そもそも何もする必要すらなかったし、とっくに居場所なんて埋まっていた。
自分がすべきことひとつどこにもなかった。
自分が何かをしようということ自体愚かで下らない発想で、無意味で無価値なことだったんだと理解した。
薄ら寒いテンプレートは暴言よりも不愉快で腹立たしい。
本人に悪意なんてないんだろう。でもそのどうにかしてやろうって行動も言葉も気持ちも無駄なんだという現実を目の前にした人間にそんなものを投げつけることに意味などない。
同じ台詞が常に同じ意味を持つわけでもないし、同じ効果があるわけでもない。
いや、本当は言葉になんて何の意味も価値もないんだろうさ。
そこにあるのはきっと善意なんだろう。でも状況によってはそれの効果の符号は簡単に反転する。
社会生活の定石ではにっこり笑ってありがとうと同調して対象と対立するのが正しいんだろう。そうするべきなんだろうさ、社会生活を行うサルならな!
それができるようならこんな駄文書いてねぇんだよ!
でも、相手が悪いんじゃない。理解だの効果だのを期待したほうが愚かで下らないんだ。
本当に届く言葉はその空間にある干渉する要素と、本人の思考のロジックなしに放てばそれはどんな暴言よりも残酷なものだ。
たぶんもう自分の言葉が何かの意味をなすことなどないんだと思う。
もともとそんなものありはしなかったのだろうし、意味のないものだ。
もっともまともな人間だったら何を言われても有難うって呪文を唱えてコインをもらっとけばいいんだろうよw
この手のサイトの大半はテンプレートでできている。
本心でも本音でもなく、同調と定型文と義理。
そんな一般人を演じる力ひとつもう残っちゃいない。