6月自作 雨降り 「涙」 (後編)
- カテゴリ:自作小説
- 2017/06/30 22:34:08
当主さまは私の棺を荷台車に乗せて、王宮から逃げようとしたのです。
突然、当主さまをぶんぶん音を立てる蟲たちが追い立ててきたからです。一体どこから放たれたのか、鉄の殻をもつ蟲たちはとてもたくさんいて、当主さまを取り囲みました。
そうして一斉に歌い出したのですが。
羽音の歌に混じってはっきりと、固い声が響いてまいりました。
『エティア王に反逆したシュヴァルツカッツェ。大人しく投降しなさい。この蟲たちは、あなたの罪を目撃しました。いけにえにしようと、使用人を殺そうとしましたね?』
蟲たちは、遠くから受け取った声を伝え流しているようでした。
ぶんぶんざわざわ、いったい何匹いるのでしょう。とんでもない大合唱でした。
「おのれ。第三王子が捕らえた鼠は、猫であったか!」
王宮に剣をもつ技師が連行されてきたと、当主さまは仰っておりました。
鉄の蟲たちを放ったのはその方であろうというのです。なぜならはがねの蟲たちは、匠の技でしか作ることができないものであるからでした。
「技師はおそらく、我々を見つけて捕らえるためにわざとつかまったのだ」
当主さまは、なんとも無念そうでした。
はじめは、このメンジェール国に身を寄せる予定ではなかったのです。ご先祖の地、すめらの国へ帰りたかったのですが。かの国は当主さまの入国を拒否なさったのでした。
当主さまはエティアをすめらの国にさしあげようとなさったのに、なんと冷たい仕打ちでしょう。
王宮の東の門。西の門。南の門。北の門。
逃げる私たちはあらゆる出口から、出ようとしました。
けれども通り抜けようとするとバチバチと、おそろしい音と焦げた匂いがして、どうにも通れません。当主さまは杖を振ってしもべたちを呼ぼうとするのですが、呼び出すなりおどろおどろしい闇色のものたちは、悲鳴をあげて消えていきます。
列を成して迫ってくる歌う蟲たちが、無駄ですよと固い声を伝えてまいりました。
「王宮は黒き衣のアスパシオンさまの聖なる魔方陣の中心にあり、今や完全に閉じられております。神聖結界ゆえ、あなたは死霊のしもべたちを呼ぶことはできません。そしてあなたも出ることは叶いません。どうかあきらめてください」
当主さまは恐慌に陥りました。
突然宮殿から出られなくなったのは当主さまひとり。王宮に出入りする他の者たちは、何事もないように門を行き来きしているというのに、当主さまだけ阻まれるのです。
蟲たちは唄いながら伝えました。
「死したものは通れぬ。
すでに死したものは通れぬ」
そんな。
当主さまは生きていらっしゃるはず。生身の体を持っておられるはず。
なのに蟲たちは唄うのです。
「死したものよ、体を返せ」
――「いやだ! この体はいまや完全にわしのもの!」
数ヶ月前。老いた当主さまは、風吹きすさぶ塔でその体を失われました。戦の矢がお体を貫いたのです。ゆえに他の者の体をお奪いになったのです。すなわち今の体はもう、すっかり当主さまのお体となっているのに。聖なる結界は、その所有権を認めてくれないのでした。
「死したものよ、天河へ帰れ」
「帰れ」「帰れ」「帰れ」
蟲に囲まれる当主さまは、ほどなく王宮のものたちにも囲まれました。
蟲たちが唄ったからです。当主さまがこの王宮で一体どこから、くれないの水を得ていたかを。
「王宮に仕える使用人が三人、行方不明になっている! これは黒い客人どの、そなたのしわざなのだな!」
ひとりの使用人がしきりに訴えてきました。
いきなり襲われ、杖で心臓を突きかけられたと。その危機を、蟲に救われたと。
宮殿の中庭に追い詰められた当主さまの回りに、ざわざわざわざわ。人が集まってくる気配が聞こえました。
「これまでか……!」
棺の蓋が開けられて。私は身を起こされました。
宮殿の兵士たちがじりじりと迫ってくるのが見えました。
ぽつり、ぽつり。
天から水がこぼれてくるのも見えました。
「姫よ、姫。我の血を受けよ」
いけません。やめてください。
「我が血を受けて、人となれ」
お願いです。やめてください。どうかやめてください……。
天の涙が私を濡らします。
しとしと、しとしと、私を濡らします。
いいえ。泣いてなどおりません。私はただ、空から降るものを浴びているだけ。
ああ。くれないが。真紅のしぶきが。散る――
私の叫びは届きませんでした。足元の、この真っ赤になった塊には聞こえませんでした。
私のか細い声が暗い塊に届かないのは、どんより雨雲垂れ込める空のせい。
天から注ぐ雨の音が、私の願いをかき消すのです。
あなたのせいではありませんとも、赤くなった当主さま。
あなたの耳が塞がっているわけでも あなたの心が閉じているわけでもない。
私の泣き声が燃える魂に届かないのは、しとどに降り注ぐ雨のせい。
ああ。
私が人間になりたいと思ったのは。あなたを抱きしめたいがためだったのに――。
「ひめよ……ふく……しゅうを」
それがあなたの望みなのですね。ならば私は果たしましょう。
ああでも、あなたさまはまた生まれてきてくれるのでしょうか。
印をもつ子孫はいません。黒き猫の家を継ぐものはおりません。
それでもあなたは、私のもとに帰って来てくれるでしょうか。
ああ、なんて激しい雨。私の顔はもう、しとどに濡れて。
なにも見えません。
なにも。
なに……も……
その日メンジェールの王宮から巨大な火柱が上がった。
炎はうねる龍のごとく宮殿をなめ、王宮の人々を恐慌に陥らせた。
ざんざんに降る雨などものともせず、炎は白亜の壁を、塔を焼いた。
阿鼻叫喚の混乱の中。
白いウサギと黒い衣の男と赤毛の男がするりと宮殿の中へ入り込み。ついには剣を持つ猫目の人を救出するのであるが。
そして剣は燃える炎の龍を退治するのであるが。
それはまた別の、長い長い話である。
ご高覧ありがとうございます♪
黒猫卿は自分こそ正しいと思っている……というほど正義にこだわっているわけでもなく
ただただ、桜姫を盲愛して、なんとしても人間にしたかったのでした。
狂った愛なのかもしれませんが、またこれも真実の愛なのでしょう。
(ここ数年の自作~月というのがひそかに続きモノのお話になっております。
桜姫のお話も一回出てきています・ω・)
ご高覧ありがとうございます><
多視点オムニバス、楽しんでいただけてうれしいです(感謝)
姫はおそろしい存在なのですが
しかしひとりの恋する乙女でもあったのでした…
他者の体をわがものとしたのがいけなかったのか
死者を繰るのがいけなかったのか
それの、何が、悪い
老いさばえ、足掻き死ぬよりも余程良いではないか
さしたる目的もなく浪費されるだけの肉体など、私のほうが余程有効に活用できるではないか
正者を繰り、戦わせるお前たちは悪ではないというのか
愛する者に動く腕を、歩ける足を、瞬く柔らかな瞼を与えようとする
それの何が悪いというのだ
それは、世界が回るためには認められぬ理由。
悪とされなければならない事。
かくして黒き猫の当主様は、その最後のひと振りを愛する人に捧げ、
泣けぬ彼女は炎に身を焦がす
……あれ、感想のつもりなんだけどな?
皆様の感想を拝見するに、これって他の話とリンクしているみたいですね。
うわぁ、美味しい読み物がまだまだあるってこと? 幸せだ!
貧乏暇なし、貧乏金なしで出遅れ気味ですみません^^;
桜の姫のお話、待ってました^^
ひとつの大きな物語を多視点から楽しめるので
大好きです。
人の数だけ思いがあり、正しさがあり、無念がある。
善悪の二元論ではないものが、ここにはあります♪
ご高覧ありがとうございます><
はい、このシリーズはいずれ本編を書くことを想定して、
番外編のような短編を書いていっています。(堀を埋めてる状態・・;)
お話は前から連続しているのですが、
毎回語り手が変わったり人称変わったりしているのはそのためです。
本編そろそろ始めたいのですが、一人称にするか三人称にするか、
かなり悩んでいます・ω・`
ご高覧ありがとうございます><
ダークな愛、おそろしい雰囲気が出ているといいなぁと思います。
桜姫、成仏できるのでしょうか…。
ご高覧ありがとうございます><
恋物語からアクションへ…・ω・!
赤猫剣が本領発揮できるかどうか・ω・;
がんばってほしいところです。
ご高覧ありがとうございます><
情念・怨念は恐ろしく怪しく……桜姫、成仏できるのでしょうか。
剣がさくっと情緒なく食べちゃいそうです…w
ご高覧ありがとうございます><
ぺぺさんはきっと正義の味方……だと思いますたぶんw
大きな物語への支流のひとつなのですね。
アスパシオンさんはそんな、当主を罠に
桜になった姫はこれからどうなるのでしょうね
一変して、アスパシオンとの戦闘
印をもった子孫というと
ああ、あの子…
今度はペペさんが悪に成ったのかな?