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銀色羽毛のblog


七夕は旧暦でお祝いしましょうよ

画像

添付画像は2013年7月のガーデニングイベント時の記念撮影。
「天空の花」が開花した状態で夜を迎えると、夜空へ続く階段が現れました。


    ☆


今日は七夕でしたようで、この街でも織姫様を髣髴とさせるお召し物の方々が一杯。
ですが……わたしの居所の地方は七夕は(も)月遅れで(8月7日に)お祝いしますので、
今日が七夕だという実感はまるでありません。

一応、夜になったらお外へ出てみましたが、空には厚く雲が垂れ込めていましたしね。


月遅れでお祝いする行事としましては、
こちらでは桃の節句もそうです。4月3日。
全国的には、
お盆(盂蘭盆会)もそもそもは7月15日の行事でしたが、すっかり8月15日の行事として定着しています。
お中元はお盆の時期のしきたりでしたが、
もともとの日取りを新暦でも守っている地域と、お盆と同じく月遅れで行う地域に分かれるようです。

こんなことが起こってしまった理由は、暦の仕組みにあります。
日本では6世紀から7世紀初頭に中国から暦を輸入して以来、
江戸時代まで長らく太陰太陽暦を使用してきましたが、
明治時代に太陽暦のグレゴリオ暦を採用しました。
先進地域の暦を導入してそれらの国と歩調を合わせるのは自然の成り行きだと思いますが、ここで問題が1つ。
グレゴリオ暦と、当時の日本が採用していた天保暦とは、約1ヶ月の差があったのです。


グレゴリオ暦は、とにかく春分を3月21日にしたい暦です。
キリスト教最大のお祭、イースターは移動祝日ですが、春分を基準に定められます。
ですから春分はとっても大切で、固定しておきたいのです。
対して、グレゴリオ暦の1月1日には、天文学的にはなんの意味もありません
ローマ時代から続く各月の日数を守ったまま、閏年の入れ方を再調整した暦、それがグレゴリオ暦です。
閏年を入れる規則が一巡する400年で七曜がぴったり同じになるのは便利(?)ではありますが、
28年で七曜が元に戻るユリウス暦と比べると気の遠くなるお話ですね。

古代ローマでは、現在の3月が年始、2月が年末の月でした。
地球が遠日点側を通る月の日数を増やす為に2月の日数が削られたり、
閏年に2月の日数が増えたりするのはその為かと思われます。
英語でも、現9月がSeptember、10月がOctober、11月がNovember、12月がDecemberですものね。
それぞれ、78910を意味する連結詞が付く月名です。


天保暦は太陰太陽暦です。
朔日、つまり月齢0の日が毎月のついたちです
(暦法によっては、朔日でなく初めて月の見える日を1日とするものもあるそうです)。
ここまででしたら太陰暦なのですが、
長らく日本で使用されてきた暦が太陰太陽暦と呼ばれるのは、
その月が何月かを定めるのに二十四節気を使用している為です。
二十四節気は太陽の運行を元に定めます。
農業と太陽の運行、すなわち季節は切っても切れない関係にありますからね。

二十四節気の定め方には
 1年(太陽年)を時間で24等分する平気法(各節気の間隔は約15.2日で一定)

 太陽の視黄経を角度で24等分する定気法(各節気の間隔は、近日点側で約14.7日、遠日点側で約15.7日)
とがあり、日本では天保暦より定気法が採用されています。

二十四節気は奇数番目と偶数番目の2組に分けられ、
立春
を含む方を節気春分を含む方を中気(ちゅうき)と呼びます。
二十四節気の雨水を正月中(ちゅう)、春分を二月中、穀雨を三月中、……、と呼びまして、
各中気を含む月が、その月と呼ばれます。
ところが、定気法の中気から中気までは近日点側で29~30日、遠日点側で31~32日。
対して朔望月(新月から新月まで、或いは満月から満月まで)は29.3~29.8日の間で複雑に変化します。
ですからいずれ(19年間に7回程の頻度で)中気を含まない月も出てきます。
この月を閏月と定め、前の月に「閏」を付けて呼びます。

(実は、西洋占星術の黄道十二宮も、欧米や日本で広く流布している方式では
 基点を春分に置いて、太陽の視黄経を角度で12等分して定めていますので、
 各(十二星座占いでは「星座」と言い習わされていますが)の始まりと定気法の中気とは一致します。
 春分=白羊宮(牡羊座)0°、穀雨=金牛宮(牡牛座)0°、小満=双児宮(双子座)0°、
 夏至=巨蟹宮(蟹座)0°、……、秋分=天秤宮(天秤座)0°、……、冬至=磨羯宮(山羊座)0°、……、
 といった具合です。)

閑話休題。
このように、中国や日本の太陰太陽暦は春分を含む月を2月と定めているのです。
夏至を含む月は5月、秋分は8月、冬至は11月、です。
かくして、グレゴリオ暦と天保暦とでは、約1ヶ月の差が生じてしまうのです……。


年中行事と季節は、密接に関係します。
新暦の雛祭を桃の節句と呼んでしまっては、全くピンと来ません。桃の開花時期は3月下旬~4月上旬ですから。
月遅れの年中行事は、旧暦を新暦に切り替えたときに生まれた生活の知恵なのでしょう。
特に、旧暦では7月中旬頃は農閑期でした。ところが新暦7月中旬は繁忙期。
お休みになって民族大移動が起こるお盆の月遅れが当たり前になっているのは、そんな背景があるのでしょう。

七夕も、季節がずれると影響を受ける行事です。
新暦の7月7日は梅雨のさなか。
機織、裁縫の上達を願って五色の短冊を笹の枝に飾る……だけでしたら新暦で行っても構わないでしょうが、
夜空を見上げるとなりますと、牽牛・織女夫婦は年一度の逢瀬を楽しめない年ばっかりになってしまいます。

また、太陽暦は太陰(月)の運行を全く考慮してくれません。
幸いにして(???)今年の新暦7月7日は(も)厚い雲に覆われて星など全く見えませんでしたが、
もしも、晴れていたとしますと。
今日21時の月齢は13.4。
月は明るく、おまけに天の川の河中にざぶんと鎮座ましましているという念の入れよう。
牽牛星と織女星は見えるでしょうが、2人を隔てる天の川はあまり判然としなかったのではないでしょうか。

月遅れで行う七夕は、梅雨の時期の問題はクリアしています。
ですが、やはり月齢の問題は置いてきぼりです。
今年の8月7日なんて、満月の晩ですよ!
(日付替わって8日3時11分が満月です。因みにこの満月は部分月蝕。)
牽牛・織女夫婦にとっては、2人を隔てる河は淡い方がいいのでしょうか、
それともやっぱり河岸がはっきり判らないのは危険でしょうか。

旧暦の7日には、必ずお月様は上弦か、それに近い形をしています。
星を観るのをそれほど妨げず、照明の発達していない時代の夜に出歩くには暗過ぎず、
程よい月明かりだったのでしょう。
一説には、半月を天の川を渉る舟に見立てる、とも。
ただし、この半月のお舟は、七夕の時期には必ず織女星側の岸(西側)の、ずいぶん低い位置に在りますけれども……。


今年の新暦7月7日は、旧暦の5月14日。まだ5月なのですよ!
旧暦の七夕(伝統的七夕)は、今年は新暦8月28日です。
月遅れの七夕より、更に3週間も後です。
そんな時期に笹の枝や短冊、笹飾りを準備するのは、ほとんどの地方では大変でしょうが、
有志で連れ立って牽牛・織女夫婦の年一度の逢瀬を覗き見するのは悪くないと思いますよ。
この頃でしたら、お天気には恵まれ易そうですしね。本州以南でしたら。
北海道にお住まいの方は……その、ごめんなさい…………。

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2017/07/08 15:02
星の階段すてきー!!




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