銀の狐 金の蛇 16話 醜狐 (前編)
- カテゴリ:自作小説
- 2017/07/08 10:10:18
第二の犠牲者。レイレイの姉は、国主の実の娘。
わかった事実にソムニウスはなるほどと思った。
彼女が銀狐の毛皮をはおっていたのは、こういうわけだったのかと。
(つまり現国主とその子が、身分を示すためにはおるもの、というわけか。となると。あの赤毛の毛皮神官も国主の子か?)
さらにひそまる老人たちのひそひそ声が、空中に這い出てくる。
目に見えるどろっとした声の塊が千々に広がっていくさまは、なんとも不思議な光景だ。
「メイメイのほんとの父親はほれ、前の士長のゼン殿だったそうだな。あの流行り病の時に一番はじめに死によった、ひよわな若《わこ》んどじゃ」
「ああ、国主さまが当時えらい気に入っとった色ツバメ《ピンイン》か」
「しかし国主さまに認知されたとたんに呪いに囚われるとは、メイメイはほんに不憫じゃなぁ」
「娘を産んだんは、えらいお手柄だったのになぁ。なにせ若君の奥様は|石女《フアングゥ》だから、子は望めんもの」
娘を産んだから、実子と認められた。
ということはすなわち。
(二王家は交互に即位する。つまり次の次の国主には、銀狐の家の娘が就く。メイメイの娘は世継ぎ候補、メイメイ自身は国母候補になったわけか)
「ってことはなんだ、蛇の家はだめ、メイメイはあんなことになったで、次代のお世継ぎは――あのフオヤン様の娘ってことになるか?」
「そうだなぁ。フオヤン様もメイメイと同じ、娘をもうけたんで認知されたお人じゃが、そうなるべなぁ。娘は、メイメイの娘より年上だもんな。かけおちした一の姫さまは、たとい生きとっても、ここにはもう戻ってこんじゃろうし」
「しかしフオヤン様の父親はこの国のもんじゃねえぞ。家が絶えんよう、家長様が|色ツバメ《ピンイン》を抱えるんは王家の義務じゃが、とつくにのもんまで加えたり、そん子を認知するんは、正直感心せん。あん人は魔力ある神官様じゃからみんな頭を下げとるが、腹ん中でそう思っとるもんは多いわ」
「でも国主様は、フオヤン様をかわいがっとるしなぁ」
「だなぁ……元服したらすぐに神官にしたぐらいじゃもの」
ため息とともに、老人たちがおのおのの作業に戻っていく。なんとも不本意そうな顔で。見目麗しいあの毛皮神官は、父親の血筋のせいで老人たちから嫌われているようだ。
(やはり毛皮美男も国主の子か。それにしても、実に合理的な慣習だ)
内にも外にも子を作るべし。女の孫ができれば、認知して世継ぎ候補にする。この体制なら、おいそれと家が絶える事態にはならないだろう。
(蛇のハオ婆には、そのような庶子はいないのか? 男を囲うのが家長の義務なら、何人かいそうな。いや……)
蛇の婆はひとり娘を溺愛していた。他の子がいればあんなに呪うほどには狂わなかったはずだ。
娘への溺愛は、裏を返せば娘の父親への想いともとれる。
ハオ婆はかつて、唯一人を一途に愛していたのかもしれない。
(あれは濁りなくまっすぐ貫いているものな。怒りも悲しみも憎悪もぶれてない)
――「だから姉さんに、銀狐を羽織らないでっていったのに!」
突如、鋭い声がどこからか飛んできた。
ソムニウスはその声に引っ張られて、厨房からひゅんと飛ばされた。
(うう、自由に動けん)
魂の状態になれば一瞬で弟子のもとへ行けると思ったのに、なんとも融通がきかない。
「私そうお願いしたのに!」
可視状態になっている勢いすさまじい声の出どころに、ぐいと引き寄せられる。
そこは狭い部屋で、舟型の棺がひとつおいてあった。あのレイレイという妹娘がそれにすがって、嘆き悲しんでいる家族に叫んでいる。
「私言ったの! フオヤン様のとこに娘がいるんだから、姉さんの子を世継ぎの子にする必要なんかないでしょって、姉さんに言ったの! 声に出して、言っちゃったの! 父さんにも母さんにも……フェンにも、怒ってうらみごとをいっちゃった! 銀の毛皮をはおる姉さんなんか、見たくないって」
涙をぼろぼろこぼす娘は、握りしめていた銀の毛皮を床に叩きつけた。
「だから呪いにつかまったんだわ。姉さんは私のせいで、ケガミにくわれたんだわ。私が、声に出して言ったから! トゥーがケガミになって、姉さんを襲ったんだわ……!」
いまにも踏みにじりそうな剣幕で、娘は血まみれの毛皮を睨みおろして泣いていた。
そのまなざしには哀しみと一緒に、暗く深い感情がこもっていた。
少女の全身を震わせるほどの、恐怖が。
「私が言ったせいで……!」
姉の棺にすがるレイレイの悔恨の叫びはいたましく、彼女の全身は|翳《かげ》っていた。
「レイレイのせいじゃない!」
そうなぐさめるレイレイのいいなずけも。若妻の夫も。赤子を抱く父方の祖母と、それに寄り添う祖父も。悲しみのせいで、みなおそろしいほど暗い色に沈んでいる。
明るい光を放っているのは、何もわからず母親の乳を欲して泣く赤子だけだ。
「ハオ婆が毎日祭壇で呪っているから、私もメイメイを止めたのよ」
特に不気味なほど暗い塊がある。あれは――
(レイレイの母親か? なんと暗い……)
母親の体は、赤子の無垢で純粋な欲求の光を塗りつぶさんとするほど黒かった。
「メイメイの赤ちゃんは、お世継ぎの保険にされるだけ。どうしたって、年上のフオヤン様の娘より上の位にはなれない。姫にはなれない。そう説得したのに」
母親は頬をつたう涙を拭いもせず、妹娘と同じように、血まみれの銀の毛皮を睨んだ。
「でもメイメイは、毛皮に目がくらんだの。銀狐の毛皮をはおりたくて、認知をお受けしたのよ。レイレイが口にしたせいで、こうなったんじゃありません。メイメイは、自分で呪いの中に飛びこんだのよ」
ようやく動くコツがつかめてきた。視えるものの一点に意識を集中させるとそこへ移動できるようだ。しかし不意をつかれたり驚くと、たちまちその源へ引っ張られる。気を引かれたら即そこへ行ってしまう感じだ。
ソムニウスは廊下に意識を向け、悲しみと恐怖に包まれた部屋からなんとか漂い出た。
暗い色に沈む人々のせいで部屋全体がひどく重たく感じられ、その場にいるのがひどく辛かった。ひとときもいられないと思うほどに。
特にレイレイの母親の暗さは尋常ではなかった。
あれは恐怖とか哀しみというよりも、あからさまに憎悪だった。
娘を奪った者に対する、深い憎しみ。
犯人への、だけではない。
(おそらく娘をとりあげた者への憎しみも、混じっているな)
すなわち、国主への恨みも……。
(むう。犠牲者は国主の子二人。ということは、これは継承争いゆえの暗殺なのか?)
蛇の婆の呪いの発現と見せかければ、蛇の王家《ワングシ》は糾弾されて廃され、銀狐の家が唯一の王家となる。
そうなるとユインの国主の次代継承者は、かけおちしていなくなった一の姫となる。しかしたぶんもうその人は、この世にない。弟子が本当にその姫の子であれば第一位の継承権をもつことになるが、犯人はそのことをまだ知らないだろう。
(これは絶対に知られてはならんな)
若君が殺された時点での実質の継承者は、娘を産んで「国主の娘」として認知されたメイメイ。しかし彼女は殺された。赤子は毛皮神官がもうけた子より年下だから……。
(これで世継ぎはほぼ、毛皮神官の娘に確定するというわけだ。今の状況で最も益を得ているのは……)
銀狐をはおる、赤い髪のフオヤン。娘が国主となれば、見目麗しき彼は国父になれる。
もしかしたらと被疑者として想定した彼こそが、黒幕なのだろうか?
(あれは若君が死んだとき、神殿にいた。第二の殺人のときには国主のもとにいた。他に実行犯がいる。そいつは誰だ?)
事情を知る老人たちの血に対する考え。
尋常ではない母親の暗さ。
次々と現れる情報の渦に小舟のように飲み込まれてしまいそうです。わくわく。