銀の狐 金の蛇 17話 陥没(前編)
- カテゴリ:自作小説
- 2017/07/19 23:56:11
地底湖跡に弟子の姿がなかったゆえ、事態はソムニウスが最も恐れる方向に転がった。
首のない骸が担架で守衛たちに運び去られたあと。顔面蒼白でわななく国主が見守る前で、中年と壮年の神官が現場に集まり、空洞のすみにあいている小さな穴を検分した。
その穴道には、血の跡があった。毛皮神官の首から滴ったものに違いなく、神官ふたりはたちまち見解を一致させた。
『これは、呪いではあらしゃりませんな』
『ですな。魚喰らい様は地下におこもりだから、呪いは起きぬはず』
『導師様の弟子が間違って殺めましたか』
『そしてこの穴から逃げたのでしょうな。首を持っていったは、呪いに見せかけようとしてのことであらしゃりましょう』
弟子のしわざとほぼ決め付けられたところで、地下倉に行っていたロフ神官が、思いもかけぬところから姿を現した。
『境内で男衆が騒いでおりますが、一体、なんという事態か!』
地底湖跡の壁面に開いた、もうひとつの穴。
否。穴はひとつだけではない。視渡せば四つほどもある。地底湖跡への入り口は、井戸のそばのひとつだけではないようだ。
ロフ神官は血濡れた穴を見るやいなやおどおどかしこみ、国主にダメ押しの言葉を奏上した。
『こ、この血だらけの抜け穴の先にあるは、狩り場の闇森。道はせまく登りがきつうございます。表へ出るにはかなり時間がかかりましょう。これから山道を使いて全力で馬を走らせれば、我らの方が先に闇森に行きつくかと。とつくにの人を捕らえられるやもしれませぬ』
国主の怒りと哀しみはすさまじく。ソムニウスの魂の目では、彼女は紅蓮の炎に燃え上がって見えた。
『わかった……表から闇森へ向かう!』
『国主さま、もしや犯人は様子を伺い、引き返してくるやもしれませぬ。わしがここから穴に入りまして、退路を断ちます。挟み撃ちにしましょうぞ』
『わかったロフ、任せたえ! おのれとつくにの者め……わらわの子をよくも! よくもおおおおっ!』
三人。
この一両日中に一気に三人、国主はわが子を失ったのだ。その怒りと悲しみはいかばかりであろう。
しかし。
だがしかし――。
「濡れ衣だ!!」
ソムニウスは、両腕で地下室の扉を思い切り打ち叩いた。
弟子が張った結界が反応して、扉がほのかに青白く光る。
人殺しなど、ましてや呪いに見せかけて卑怯にも逃げるなど。誇り高いあの弟子とは到底思えない。
もし万が一言い争いとなり揉みあいにでもなったら、剣を持たぬ弟子は韻律を使って身を護るはずだ。首を飛ばすには、相当の魔力が要る。
しかしあの現場に魔法の気配の残滓はなく。毛皮神官の首の切断面は……
「あれは、刃物でぶつ切りにされた跡。韻律によるものではなかった」
とはいえ。弟子があの複数ある穴道のどれかに入っていったのはまちがいない。境内にいた守衛たちは、戻ってくる彼の姿を目撃していないのだ。
ソムニウスはいらいら頭をかきつつ、房の中をいったりきたりした。
「き、きっとあの子は……水脈の詰まりを探すため、毛皮神官を置いてひとりで穴のどこかに入っていったのだ。毛皮神官はあそこであの子が帰ってくるのを待っていた……。そうにちがいない! あやつが殺されたとき一緒にいれば、必ずあの子は下手人を捕らえて、国主に突き出したはずだっ」
扉の結界は健在。これはいまだ弟子は元気でどこかにいる、というありがたい証拠である。
疑いをかけてきた国主たちもさることながら、げに恐ろしきは次々と国主の子を殺めている殺人鬼だ。呪いの発現とみなされた黒の導師が地下房に入っているというのに、またも罪を犯すとは。
「犯人は呪いの発現を隠れ蓑にしていた……だが私がここに入ったから、今度は弟子に濡れ衣を着せたのか? 三人目を殺めるために」
手口は狂気じみているが、闇雲に凶行を成しているのではなさそうだ。
「両腕。両足。そして首。醜い狐は首をころがす……なんとしても老婆の呪いの通りにしたいようだが……」
地底湖に至る穴は五つほど。ロフ神官はそのひとつから姿を現した。
つまり殺人鬼も井戸のそばの降り口ではなく、他の穴からあそこにやってきたのだろう。毛皮神官の首をはねたあと血塗れた穴に入りこみ、闇森に出て逃げる算段であろうが、このままだと国主たちに挟撃される。
だがおそらく、捕らえられても「大団円」にはなるまい。
賢い殺人鬼は口八丁手八丁、「血塗れた首を運ぶよう脅された」などとうそぶき、弟子に罪をなすりつける可能性が高い。
ここはとても排他的で、とつくにの者を忌み嫌う土地柄だ。すでに全員一致で「犯人=弟子」と確定させてしまった国主たちは、たやすく犯人の言葉を信じるだろう。
「もう一度|御霊《みたま》をとばしてカディヤに危機を知らせねば! しかしそんなことできるか? 魂の状態で何ができる?」
体なき魂は声を発することができない。
一度浮遊してみてわかったが、あの状態で弟子を物理的に救うことは、不可能だ。誰かに乗り移って操れればよいが、その御技は至難の技。高位の術者とて、憑依するには相当な下準備が要る。
「今すぐ黒き衣をまとったわが身をここから外に出せばよい、か?」
生身で弟子のもとへ急行し、彼の身の安全を確保しつつ殺人の疑いを晴らしてやるのが得策だろう。
それが弟子の疑いをはらすのに一番手っ取り早い方法だ。
「毛皮男の死の前に、私が地下房の外に出ていたことにすればいい。そうすれば『死因は呪いのせいだ』と、ごり押しであの子を救える!」
となれば、どうにかして扉の結界を吹き飛ばさなければならない。早急に。いますぐ……!
『出でよ獅子犬!』
ソムニウスは扉に思い切り、精霊の玉をぶつけてみた。
ぱりりと火花が散る。しかし強固な結界はびくともしない。
『獅子犬、打て!』
『打て!』
『打てえっ!』
『打てええええっ!』
何度も何度もぶつけた。必死にぶつけた。しかし結界は鉄壁。
これが導師の段階試験だったら、結界を張った弟子は合格どころのさわぎではない。幽体離脱せずとも黒き衣をもらえるのではないかという、恐ろしい封引力だ。
「こんなところで、我が子の力を思い知るとはっ」
ソムニウスは床の丸太を拾いあげ、光の玉と一緒に扉をがしがし叩き始めた。
ほんの少しでもほころびができれば、魔力を練った「針」を刺して穴をこじ開けられる。
「ぐううう! 固すぎる!」
小精霊が疲弊して、いまにも消え入りそうにか細くまたたく。丸太がばきりと折れる。不気味な予感が背中を駆ける――。
「まずいな……カディヤが捕まらぬ状態で犠牲者がまた増えでもしたら、あの子にさらなる濡れ衣が着せられるんじゃないか? 腕をなくした兄、足をなくした姉、首をなくした醜い狐……次は何だった? たしか白い大狐……次に狙われるのは誰だ? 白くて大きい……いやでも、歌の歌詞はあてにならないか? 毛皮神官は醜い狐じゃ……ないっ」
ばきり、と扉に打ちつけた丸太がまた折れる。
「あいつは」 ――ばきっ
「だれよりも」――ばきっ
「きれいなやつじゃないかっ。なのになんでっ」
――「ミニクイヨ」
おそろしく短くなった丸太をふりかぶったソムニウスは、眉をひそめた。
今、扉の向こうから声がした。
それが証拠に、厳重な結界に閉じられた扉が青白く光っている……。
「ミニクイヨ。マッカナアタマ。ミニクイヨ」
高い音域の囁き声。それは思わずぞくりと背中が震えるほど、抑揚のない声音だった。
その声は、今一度囁いてきた。
「ミニクイアタマ、マッカッカ。チョンギラレテマッカッカ」
冷たく、機械的に。
こういう時の集団心理は本当に恐ろしい……描きかたが自然で上手いなぁ。
人の弱さ、哀しさを冷静な筆致で描いているところにみうみさんの凄みを感じます。
一方で弟子のために自己犠牲をも厭わないソムニウスさんが
「丸太は持ったか!」とばかりに格闘中。
気持ちは分かるけど、彼も冷静じゃないんですね。冷静でいられないのでしょうけれど
誰も彼も、度重なる事態に段々飲み込まれて行ってしまっているのだなぁ。
……最後の、ナニモノ?(わくわく)
この先どうなるかですね。