銀の狐 金の蛇 19話 亡霊(前編)
- カテゴリ:自作小説
- 2017/08/10 17:22:31
狭い穴道を、銀色の馬が駈ける。
長い首をほぼ水平に倒し、風のような速さでびゅんびゅんと。
全身金属であるはずなのに、その関節も腹も首も、実になめらかだ。
その瞳はしずく星のように蒼く、たてがみや尻尾はフサフサきらきら波打っている。
その頭部に輝いているのは、大きく優美な一本の角――
「急げ! 走れ!」
一角獣《ユニコーン》の背にまたがり身をかがめているのは、白い子を背負った男。馬と一体となる体勢で、疾風のごとし。そのすぐ後ろを、同じ銀の馬が黒の導師を乗せて走っている。
「ほぐっ!」
背を倒さず乗っていたので、低い穴に入るや、導師の頭のてっぺんが天井にがつりとぶつかった。
「魚喰らい様! もっと体勢を低く!」
「わ、わかったっ」
士長に注意された馬上の導師は、あわてて身を伏せた。
美しい馬たちは瓦礫の山につくと、その首をがつりと地に下ろした。
長い角がしゅるしゅると回転し始める。
赤い光がほとばしり、瓦礫の山が溶けていく……
「よし、いいぞ! その調子だ」
この世のものと思えぬ美しい馬を士長が激励するそばで、頭をさする黒の導師は、馬の角が回転するのをじいっと見つめた。
心ここにあらずといった風情である。そのまなこはじわじわ涙が浮かんでいる。
その口から、ひとこと呻き声が漏れた。
「嘘だありえない……」
一角獣《ユニコーン》。
この小ぶりな掘削の機械なるものは、地下倉の隅に布をかぶせられて置かれていた。
いったい何の金属が使われているのか。輝く体は波状模様のある銀色。完璧に馬の姿形なれど、足は普通の馬より短く背は低い。頭部の角から発する不可思議な光線で、岩を溶かして掘る仕様である。
『五頭ほどいます』
集会場《フイチャング》の地下に案内され、ずらっと並ぶ馬を見せられるなり、ソムニウスは目をむいた。
『作った技師の銘が頭部に打ってある。だが判読できぬぐらい擦り切れているな。年号だけかろうじて読める。神聖暦69……25?』
『ええ、かなり古いもんです』
『今年は7761年だから……うわ、作られて八百年以上も経ってる?』
古代の遺物と言ってもよい機械。これは動かないかもしれないと思った矢先。士長が背に負う白子をおろし、地下倉の片隅から木の樽を馬の前に転がしてきた。
『ユインの地酒です。これで動きます』
『え?! ほんとに動くのか?! しかしなぜ動かし方を知っている?』
『三十年前から何回か、使っておりますんで』
『なんと?!』
三十年前のできごと、といえば。
『もしかして。一の姫のかけおち事件?!』
『そうです。狐の一の姫さまとレザノフ。姫さまの幼馴染である私とうちの妻。四人で共謀しまして、レザノフがこの馬で新しい穴道を作って、一の姫さまを国の外に連れ出しました』
『レザノフ……!』
『ああ、彼は北五州の使者です。ここに逗留している間に、一の姫さまと深い仲になったんですよ』
弟子の本名はエルカディヤ・レザノフという。士長は何食わぬ顔でひょうひょうと語ったが、一の姫はやはり弟子の母親でまちがいなかった。しかも彼はとんでもない大事をやってのけていた――
『結婚に反対された一の姫さまは、家から出られんようにされました。レザノフは意気消沈しましたので、なんとか元気づけようと、私と妻が集会所の酒蔵に招待したんですが……』
古代の馬がまだ動く。
若かりし士長たちがそうと気づいたのは、まったくの偶然だった。
浴びるようにやけ酒を呑んだレザノフが、酔った勢いで機械に酒をぶっかけてしまったところ、突然機械がぶるぶる震え出したという。
『それでレザノフは、新しい穴道を掘って姫さまを連れ出すという計画を思いついたんです』
『なんと大胆な……』
レザノフと士長たちは日々こっそりと、穴掘り作業にいそしんだ。
ここから山の外へ出る直道をつくるのに二週間かかった――そう無表情で言いながら、士長は木樽の蓋をあけた。中からむんと、甘い匂いが沸き立ってくる。
『幸い、この馬はかなり静かに、穴を溶かして掘ります。私らはそんでも重々警戒しつつ、だれにも気づかれんよう、掘った穴をうまく隠しながら作業しました。レザノフが姫さまを救い出して逃げたあと、私と家内が穴を半分ぐらい、せっせと埋め戻したんです』
『それで当時、だれも一の姫たちを見つけられなかったのか』
『ええ。古代の機械がいまだに動くとは、当時だれも思ってなかったもので』
士長のそばから、白子が部屋の隅にぴょんと飛びはねた。何をするかと思いきや、小さな容器や杓子やら、次々必要なものをあたりから取って差し出してくる。
『イル、ヨネ?』
話し方が少々変だが、白子はちゃんと人の話や状況を理解できるようだ。興味津々、馬を凝視する目はくりっと大きく、愛嬌があった。
『まるで新品のようだ。錆びなど全然ない』
『二十年前にも、使いました』
士長が馬の口をがばりと開けて器にすくった酒を中に注ぎ始めたので、ソムニウスもそれにならって、もう一頭の口に地酒を注ぎ入れた。
『蛇の姫さまがハオ婆さまに恋人との結婚を反対されたんで、一の姫さまたちのようにかけおちしたいと仰って。それで十年前と同じように、逃がそうとしたんですが……そのときは馬が暴走してしまいました。そこかしこ穴を勝手に掘り出したもんで途方にくれていたら、なんと魚喰らい様が現れて、魔法のお力で機械を止めてくださったんです』
二十年前。
当時の後見導師がレイレイの母親たちを助けた、という話は母親から聞いている。なんとそれはこのようなわけだったらしい。
『魚喰らい様は、夢で国主さまに呼ばれたのでここへ来たと仰せになりました。そしてハオ婆を説得してくださって、蛇の姫さまと想い人との婚礼《フンリィ》を取り仕切ってくださったんです。私どももその時いいかげん結婚しようとなって、一緒に婚礼《フンリィ》の儀をしました。まさかそのひと月後に、あのおそろしい病が流行るとは思わずでしたが……』
そう語ったとき。士長の鉄の仮面は完全に外されていた。
遠い目をしてフッと微笑む貌の、なんと穏やかで暖かかったことか。
思い起こされた過去の思い出は、この上なく幸せなものだったのだろう。
『あの夜。フンリィの儀のときの蛇の姫さまは、ほんにお幸せそうでした。ハオ婆さまが仕立てていた婚礼衣装《キアンファ》の、なんと見事だったことか。あれにはほんとうに、千以上の花がついておりました』
せっかく恋人と結ばれたのに、それからまもなく病で命を落としたとは。
この世は、なんと無常なのか。
ソムニウスはいたましさを感じると共に、前任の後見導師の手腕にいたく感心したのだったが……。
『以来この馬は、ときどき私と妻が手入れしとります。魚喰らい様から、いずれまた使う時が来る、だから暴走せぬよう手入れしておけと、予言をいただきましたので』
『その時に備えて、いつでも動かせるようにしておけと?』
『そうです。予言のあと半分の意味は、よくわからんかったのですが』
士長は微笑みをすっと引っ込め、眉をわずかにひそめた。
『魚喰らい様は、「これで私のチルと天使が助かる」と仰っておりました』
『え?! そ、それは……』
夢見の導師は驚いて、思わず酒を注ぎ入れる手を止めた。
私のチル。
ソムニウスのことをそう呼べるのは、この世界でただひとり――。
『そ、そういえばその導師どのは夢を見てここに呼ばれたと言ったな? あ、あの……二十年前にここに来た後見導師の、名は?』
息を呑み、確かめるべく訊ねた夢身の導師に、士長は淀みなく答えたのだった。
『ヒュプノウス、という御方です』
もういっそ、天晴としか言いようが無いですね。
乙女じゃなくても乗せてくれる掘削用ユニコーン。良いですねぇ。
ドリルはロマンだと思います。
それと、酒で動くというところが良い。
他種族に盗み出されたとしても、彼らでは動かせない。
その土地の酒、その酒を造れる彼らでなければ扱えない。
ついでにお酒を造る大義名分もできる。
何とも粋な危機管理方法ですねぇ。
そしてサラッと明かされる一の姫失踪事件の裏側。
そうか、士長さんがソムニウスさんに協力的なのは、こういう裏事情があったせいなのですね。
偉大なり、師の溺愛( ´艸`)
何と不思議な事ですかね。