Nicotto Town



銀の狐 金の蛇 19話 亡霊(後編)

 しゅるしゅる。しゅるしゅる。
 一角獣《ユニコーン》の角が回転し、瓦礫の山の根元に穴をあけていく。
 角の先端から迸る赤光が、驚くべき速さで建材を溶かす。
 深く深く、穴がうがたれていく――。
 ソムニウスは士長と馬首を並べて作業した。
 操作は簡単だ。馬の背にまたがり、両手で首の部分についた手綱のような取っ手をいじるだけである。
 美しい銀馬はひゅうひゅう落ち着いた呼吸音を立て、見事に本物の馬のような動きをする。角の回転速度はおそろしく速い。馬の首同様、自在に動かして角度を調整できる。 
 だが……

(ヒュプノウス……我が師が、かつてここに?!)

 さきほどから師のことが頭に満ち満ちて、ソムニウスは集中できなかった。ひどくさざめく心から、優しい師の顔が消えてくれぬ。ぼうっと、かの人の美顔を撫でるように思い返し、ぼんやり身を動かしたとたん。

「うっ」

 低い穴の天井にまた、ごつりと頭をぶつける始末である。
 
「お気をつけください、魚喰らい様」
「す、すまん。まさにここはウサギ穴だな」
「ええ。そのため馬持ちの国主様と我ら側近は、穴道をほとんど使いません。馬は銀狐の毛皮をスメルニアに献上したお返しにいただけるんですが、背が高すぎるんです。ああ、魚喰らい様、もっと馬首を下に」
「あ、ああ」
「コレ! コレ!」

 白子が目を輝かせて、両手に長い板のようなものを何本も抱えてくる。どこぞの穴倉に走っていって持ってきてくれたのだが、つっかえ棒にして瓦礫の落下を防げ、ということらしい。
 
「ありがとう、助かるよ」
「クラミチ! イクノ、クラミチ!」

(む……知能が足りぬのか賢いのか、よくわからん)

 白子の世話係はたしかロフ神官だと士長は言っていた。あのやさしげな最年長の神官は、この子をずっと幽閉しておくにしのびなかったのだろう。 
 気持ちはわかる。世話をすれば、我が子でなくとも情が移るものだ。

(血が繋がっていなくとも、子はかわいいものだよな。私のカディヤは最高にかわいかったし。私のお師さまは……)

 ヒュプノウスは最晩年に、チルを導師にするため全財産をはたいた。
 チルの私物まで全部売りはらったが、あのとき金を七本も工面できたのは国持ちだったからだ。小国の後見を二つか三つ兼任していたので、その権利すらすべて、長老たちに売り渡したのである。譲渡したその国々の中に、このユイン国も入っていたのだろう。
 できの悪い弟子は、師がどこの国を後見しているかさえ関知していなかったのだが。これはヒュプノウスが生前、「仕事」の内容を一切、チルに教えなかったせいでもある。
 師は政治や法律、大陸情勢など、およそ|政《まつりごと》に関する講義は、まったくしてくれなかった。
 チルがそばにくると、師は後見国から来たのであろう密書をサッと隠した。

『そなたの目を汚したくない』

 頬を撫でられながらそう言われ。代わりに与えられたのは、甘い砂糖菓子と美麗なおとぎ話の絵本。
 師はお菓子でぷっくり頬をふくらませるチルを微笑みながら眺め、チルの耳元に唇を近づけて、うっとり囁くのだった。


『ずっと澄んだ瞳のままでいてくれ。私のチル』


(あのお師さまが、かつてここに来ただと?!) 

 そんなことはありえない。

(二十年前といえば――死病にかかった年じゃないか。病人がこんな遠くまで来れるわけがない。それにあの人、寺院から出たことなんてないぞ?)

 導師が寺院を空ける場合、その弟子たちは預かりの師に預けられる。その間弟子は、預かりの師の所有物となってしまう。これは「好きにしていい」と宣言したと同義であるので、その間弟子に何をされようが預けた師は文句を言えない。
 捧げ子の選定にでかけたときも、そして今回も、ソムニウスは弟子たちを、最長老レヴェラトールに預けた。先方が命じてきたからだが、渋々それに従っているのは、弟子の純潔だけは絶対に護られるからだ。レヴェラトールはおのが弟子に禁欲の聖印を刻むほど、肉の交わりを毛嫌いしている。

(まあ、弟子たちは私が戻るまで「レヴェラトールの」と呼ばれるし、禁欲の聖印を勝手に打たれる心配もあるわけだが。他の導師に好き放題されるよりは、断然ましだよな。しかしかつての私は……)

 ヒュプノウスのチルはただの一度も、誰にも預けられなかった。
 師はチルが、たとえ名目上でも「他のだれかのチル」と呼ばれることになる事態を断固避けていた。
 大体、ふだんからしてチルをおのが黒き衣の袖でくるみ、ほかの人には極力見せないようにしていたほどだ。そんな人がチルを置いて寺院から出るなど、絶対にありえない。

(あの方自身の体は、ここに来ていない。ではどうやって、二十年前このユインに来たのだ?)

 体を伴わず寺院の外へ出る方法、といえば……

(憑依か?!)

 そういえば師が病を拾ったあの年。
 師が突然倒れて、三日ぐらい意識がなかったことがあった。
 死病の進行が激化したのだろうかと、ひどく心配した記憶がある。だがあれはもしかしたら……

(まさか。お師さまはあのとき、だれかに乗り移ってここに来たのか?!) 

 ちゃんと毎日瞑想修行している導師は、魂を飛ばして別の生き物に憑依できる。
 親和性が高い依り代であれば、乗り移ったものから韻律を放つことすら可能だ。
 加えて寺院の黒き衣には、特殊な紋も印も織り込まれていない。適当に黒いものをまとえば、なんとか体裁は整う。

(本当に、お師さまがここに?)

 なんのために難しい憑依までしてここに来たのかと、頭の中で疑問形にしてみるまでもなく。その答えは自明だった。

(二十年後の未来。今このときのために?) 

 しゅるしゅると一角獣の角が回る。

(チルと天使が助かる――お師さまは、私とカディヤを助けるために、かつてこの地に予言を与えたというのか? あの人には、この未来が……私が将来、カディヤを得ることが、見えてた?)

 みるみる瓦礫が溶け、穴が開いていく。

(だから私をなんとしても導師にしてくれたのか? 私があの子を手に入れられるように? いや……いや、それは違う……)


『どうか、ひとりにしないでください!』


 死病が師を食らいつくし。ついに訪れた最期の別れの時。
 泣きじゃくって懇願するチルのそばで、師は喜びたっぷりに囁いた。

『ああ、満足だよ、私のチル……! そなたが黒き衣をまとう姿を見られて、これ以上の喜びはない。これで君は完全に、だれかのものになる恐れはなくなった……!』

 師は、チルの顔など少しも見ていなかった。願いの言葉などまったく聞いていなかった。
 きらきら瞳を輝かせて、熱に浮かされたように、勝手にひとりで興奮していた。

『これでチルは永久に、私だけのものだ……!』
『いかないでください! どうか!』
『すばらしい……なんとすばらしい……!』
『お師さま! 私を見てください――!!』
  

「魚喰らい様! 馬首をもっと下に! 横に広げてはいけません」
「す、すまん」

 涙で目がうるむせいで、視界がぼやける……。

(ちくしょう! 卑怯だ! チルの一番の願いを無視したくせに、いまさら予言なんて)

 地に沈んだ神殿の壁が溶け散った。士長が白子から受け取った長い板を斜めに差し込んで、ずり落ちてくる瓦礫の一部を支える。
 黒き衣の袖で湿る目を拭い、ソムニウスは今掘ったばかりの穴にすべりこんだ。

(いやだ許さない……こ、こんなことしてくれたって許さない。あの人は、チルを独りにしたんだ。たったひとり、置き去りにしたんだっ……チルはほんとにあの人が……お父様が……)

 心中、悲鳴をあげながら。

(好きだったのに……!!)

アバター
2017/08/12 23:29
藍色さま

お読み下さりありがとうございます><
おっしゃる通りで、過保護なお師様のせいでソムさんは詩の本しか読まないし、
未だに靴紐をひとりで結べないのです。
カディヤがしつけたおかげで、やっとこんな感じになっています。
お師様の純粋培養教育はあな怖ろしい…・ω・`
>大好き
それはもう、優しい激甘パパでしたので;
アバター
2017/08/12 20:04
ソムニウスさんが落ちこぼれになったのは、
ヒュプノウス様の過剰な、一種呪縛とすら思えるほどの溺愛が一因のような気がします……。
もうすこし他と交流があれば、学習の機会があれば、違ったんじゃないかなぁ。

歪な、支配的な、美しいけれども歪んでいる愛情を、干渉をされて
最後は自己満足の絶頂で死んでいったのを知っていてなお、
ソムニウスさんはヒュプノウス様を父と思い、大好きだったと思うのですね……。
人の心は不思議で、哀しくて、愛しいなぁ。
アバター
2017/08/12 01:59
ロワゾーさま

お読み下さりありがとうございます><
ご指摘の通り、地文も表現もかなり砕けた感じに書いています。
ライト文芸? ラノベ? あたりの文体なのかなと思います・ω・ 
既存のキャラを探偵役にして、ファンタジー世界が舞台の推理ものミステリを目指して書いてみたのですが、ガチガチの推理ものっぽくはなってませんー;
表現おほめいただき恐縮です;ω;`
楽しんでいただければ幸いです。
アバター
2017/08/12 01:38
よいとらさま

お読み下さりありがとうございます><
一体誰が作ったのか判別できないのが残念ですが
打銘がついてるようなので、おそらく灰色導師の手によるものだと思います。
ヒュプノウス様はなにげにすごいというか
ソムさんが落ちこぼれすぎるというか…w
夢見一家の元締め、これからお話に大きく関わってきます。
楽しんでくださいましたらうれしいです。



アバター
2017/08/12 01:34
カズマサさま

お読み下さりありがとうございます><
ヒュプノウス様は超甘々なお師匠さまだったので、
チルちゃんはそれはもう……大好きでたまらなかったみたいです^^;
アバター
2017/08/11 20:36
ライトノベル風の表現にほんのすこしだけ、老人が若者文化に気後れするような感があってなかなか拝読しきれなかったんですが、ちらほらと美しい表現があって惹かれました。時間ができたときに最初から、世界観や登場人物を把握しつつ拝読したいと思います。

「頬を撫でられながらそう言われ。代わりに与えられたのは、甘い砂糖菓子と美麗なおとぎ話の絵本。」

とか、寓話風の美しさだなあ。
アバター
2017/08/11 10:50
こんにちは♪

ユニコーン型のすごい掘削機は酒パワーで動いていたっ^^;
植物由来の環境に優しい再生可能エネルギー、お酒♪

幽体離脱だけでも難易度高いのに、幽体を霊と同等レベルまでに
しないと難しい憑依までできちゃうなんて、ヒュプノウス師は
すごすぎます^^;

回想で少しずつ話のつながりが見えてきました。
このまま工事は順調に進むのか、イベント発生か、
掘った先には何があるのか、何が起きるのか・・・

続きを楽しみにしております♪
アバター
2017/08/10 22:53
お師匠様を好きだったのですか、いけない導師ですね。




Copyright © 2025 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.