銀の狐 金の蛇21 精霊刀(前編)
- カテゴリ:自作小説
- 2017/08/23 07:17:49
「獅子犬! 散れ!」
ソムニウスはとっさに小精霊を魚の前に呼び、ぱっと千々に散らした。
破裂玉のごとく粉みじんになった光に驚いて、魚がのけぞりどぶんと水中に沈む。
これでいっときしのげるだろう。
しかしこのほぼ水に埋まった空間が、少し前まで枯れ地だったとは驚きだ。
「私、韻律の音波を使って水道だったらしい細いトンネルを見つけました。それをたどって、ここに至りました。だからまちがいありません。ここがわざと閉められたので、井戸の水場が枯れたんです」
弟子が腕を回してぎゅっと抱きついてくる。かわいそうにすっかり体が冷えていて、唇が紫色だ。
「真上の神殿が潰れた。おそらく、ここの水の噴出のせいだ」
「な……! 人々は、無事なんですか?」
「男衆が確かめている。それから……」
毛皮神官が殺されて、その容疑が弟子にかかっている――
おずおず告げると、弟子の冷えた唇はさらに血色を失った。
「毛皮の人、死んだんですか?」
「婆の呪いになぞらえて、首をはねられてな。でも大丈夫だ。国主たちがまことの犯人を逃げ場がないところに追いつめている。それに私がこうして外に出ている。そなたの容疑は、すぐに晴れるよ」
「でも――」
「カディヤ、会いたかった。とても会いたかった」
師は何か言いたげな弟子の唇をふさいだ。その冷たい色を暖かくしたくて、貪るように愛でる。
「ソ……」
「私がそなたを護る」
泥水はまだ、じわじわ増しているようだ。
大陥没を誘発した鉄砲水。
こんなすさまじい振動の地異を起こす水柱を作るには、下からのはんぱない圧力が必要だ。察するに、これより下にある水源は普通の水脈ではなかろう。
大昔のユインの技術をかんがみれば、複数の水場に水を渡らせるため、水源から何かの「装置」で常時水を送り出している可能性が高い。
その流れを、何者かが石の蓋を嵌めてせき止めていたようだ。
おそらく韻律の力も使ってぎりぎりと。
(わざと泉を枯らした者と、岩蓋を割った者。これは同一人物か? それとも枯らされていることに気づいて、他のだれかが水を取り戻そうとしたのか?)
ユインで韻律を使えるのは、国主と神官たちのみ。
しかし彼らは今、殺人鬼をつかまえようとしているはずだ。
(あの追跡隊の中から、誰かが抜けてここに来た?)
子を殺され復讐に燃える国主が、今このとき、わざわざ岩の蓋を割りに来るとは思えない。
とすると割ったのは神官のうちのだれか。
しかし支配階級で韻律を駆使する彼らには、それなりの学がある。無理やりおさえつけていたものを解放すれば、ひどい反動が起きる事など容易に察せる。
それでも水の解放を断行したということは。
「枯らした者と岩蓋を割った者は同じ。地異を起こす……真上にある神殿をつぶす……それこそが、目的か」
「神殿を? なぜ、壊さねばならないんです?」
弟子が驚いて眉をひそめる。そのときソムニウスの脳裏に浮かんだのは、すぐ上にある石碑の広場の光景だった。
「カディヤ。地上の神殿は、鎮守《ちんじゅ》だ」
「鎮守?」
「そなた、礼拝堂の祭壇を見たか?」
「ええ、見ました。狐と蛇。それからウサギがいました」
「狐はスメルニア。蛇はエティアを表している。そして祭壇の下の方にあったウサギの模様は、単なる狩りの獲物ではない。あれは本来のユイン、純血の血筋をあらわしていると思う」
純血の血筋と聞いて、弟子がハッとする。
「今のユインは、二大国の人の血に征服されてしまっているのですね」
「実際に先祖がえりで生まれた子がいる。白いウサギのような亜人だ。蛇と狐の血に染まる前は、ユインの民はもっと白くて、別の神を信仰していたんだ。おそらくかつて狐の一族が、その信仰を呑み込んだにちがいない」
ソムニウスは散らした精霊を再びひとつに集めながら、ぎり、と歯軋りした。
「地元の神を強き国津神《クニツカミ》の眷属、すなわち従属神と成す。それが、鎮守《ちんじゅ》。
スメルニアの常套手段だ」
太陽と月と星。
三色《みしき》の天体を神として崇めるスメルニアは、神権国家であり、神官たちが絶大な権力をもつ。
そんなかの国では、征服した土地に必ず神殿を建てて鎮守府を作る。
スメルニアの大神「天照らし」を祀り、その土地でもともと崇められていた古来の神々の親神にしてしまうのだ。
「破壊されたあの地上の神殿は、ユインの神を鎮めるがためのもの。それが証拠に、あの神殿の真下には、旧き神の祭壇がある」
構造が不安定であるにもかかわらず、石碑の広場の真上に神殿を建てたのはまさにそのため。旧き神を、生粋のユインの信仰と文化を、形どおり抑えつけるためだろう。
「私の故郷――極東州にも、鎮守《ちんじゅ》がそこかしこにあった。だが『地元神が叛旗をひるがえす』ということが往々にして在ると、言い伝えられていてな。反抗する神の怒りは、地震や水の氾濫といった天変地異の形で顕現すると言われている」
師の言葉に、弟子が息を呑む。
「つまりだれかが、旧《ふる》き神の怒りを人為的に起こしたと?」
「だと思う。その目的はなんだろうな? 本来の地元神の権能をとりもどし、ユイン古来の文化をよみがえらせるためか? しかしなぜいまさら……」
ユインの民は二つの大国の血に染まりきっている。血が流された征服ではないし、変化は大昔のことだ。神の怒りを起こした者はなぜに、今のユインをよしとせぬのだろう?
「ソム! 水面が!」
弟子がひしとしがみついてきた。泥水がまた盛り上がってくる。
よほど腹が空いているのか、巨大魚がまた登ってきたようだ。
しかしソムニウスは余裕しゃくしゃくで目を細め、後方をちらと振り返った。
「カディヤ、こういうときはほら、来るものだよ」
「来る? 何が来るんです?」
「天の助け、というものが」
刹那、天井からどぶんと水音をたてて降臨せしは――
背になたのごとき刀を負い、腕に白子を抱えた鉄面皮の男だった。
「ソム! し、白い子がいます」
「あれが先祖返りの子だ。男の方は、レイレイとメイメイの父親だよ」
まっ白い子をとらえた弟子の目が丸くなり、そこに釘付けになる。しかし今必要なのは、ウサギではない。
魚をさばく包丁だ。
「おーい、士長どの! でかい魚をしとめてくれ」
夢見の導師は、目つき鋭くあたりを見回している士長に呼びかけた。
「我々が、援護する!」
韻律波動とは、魔力を乗せた音波である。
波であるので、ただ術者の口から放つのでは、広範囲に放出されて散り広がってしまう。
その波動放出をひとつの方向に絞るのが「右手」だ。
五本指という独特の形をしたもので空を薙ぎ、複雑な印でかきまぜて音波の波形をいじることで、導師は奇跡をなす波動を作り出す。
しかし右手を動かす体系しか編み出されていないので、必ず右手を使わねばならないし、音程と結印がそろわねば、微妙な波形は作れない。しかも右手から繰り出す閃光波動で打ちぬけるのは、せいぜい熊ほどの大きさのものまでだ。
「巨大魚の厚みは、ゆうに2パッススはある感じだな」
「ええ、右手だけでは穿てません」
こんなときは――依り代を使えばよい。
細長く一方向に波動を放てるもの。そこに魔力を流せば、右手以上に魔力を凝縮して威力を跳ね上げてくれる。
「私は士長に結界をはる。弱結界にしかならぬがたぶんこと足りる。そなたは、依り代に精霊を。できるか?」
「大丈夫です! 任せて下さい!」
師弟は一緒に右手を突き出した。
師は士長の体へ。弟子は士長の背中にある刀へ向かって。
『『轟け音の神!』』
そして士長さんのケーキ(魚)入刀…とか考えてました( ´艸`)
段々と裏側が明らかになってきましたね。
しかし、まだまだ謎が多い…鎮守を意図的に破り、人為的な祟りを引き起こしたのは
誰? どうやって? 何のために?
フーダニット、ハウダニット、楽しいなぁw