石物語 もう森へは行かない②
- カテゴリ:自作小説
- 2017/09/08 01:10:27
Nous n'irons plus au boisⅡ
もう森へは行かない②
「やあアルテュール、待っていたよ」
その夜ご主人様を訪ねてきたルジャック候爵様は、まるでお酒が入っているかのよう。声は大きいし、身振り手振りもなんだか大仰で、とても陽気な空気をまとっておられました。
ヴェルサイユの宵空に花火をあげてきたご主人様は、ソファにくつろぐ候爵様の前で一歩引いて礼をとりました。
「閣下、今宵はどういったご用件でしょう?」
「森に住む鹿について話したくてね。僕はスービーズ公シャルル・ド・ロアン閣下と一緒に彼女たちを管理している。小さいのも大きいのも、細いのも太いのも、過不足無く揃っている感じなんだが……最近飼い主であられる陛下以外から、おやつをもらってる鹿がいるのがわかったのだ」
「おやつ、とは」
「花に加えて宝石だの香水だの珍しいお菓子だの。そんなものだよ」
部屋には蝋燭の火がちらちら。ご主人様の顔は、黄金の仮面と鈍い灯りでほぼ隠れておりましたが。その御身はかすかに震え、隠しきれない動揺を醸しておりました。
「件の鹿は、まあかわいい部類だな。肌の色が褐色なのが残念だ」
「褐色……」
「単刀直入に聞くが、おやつをあげているのは君だろう?」
大きな吐息。力なく首を横に振ろうとしたご主人様を、候爵様は「ごまかさなくてよい」と制しました。
「陛下のものに懸想するなど、本来ならば許されざる罪だ。しかし私は君を気に入っている。我々を楽しませてくれる、才ある奇術師を失うのは惜しい。だから罰を逃れる方法を提案させてもらうよ」
候爵様は天の御使い。私はこのとき、そう思いました。
ご主人様が宮廷に入ったときから、なにかと声をかけてくださり。君は我が友だとも仰ってくださり。いつも温かな善意を下さった方は、こうおっしゃったからです。
「茶色い鹿を娶れ。アルテュール」
その命令はむろん、ご主人様にとっては願ってもないことでした。
でも罪を犯したというのに、想い人をいただけるとはどういうことなのか。ご主人様はびっくりなさって、しばし声が出せませんでした。
当時まったく世間知らずだった私は、候爵様は温情をくださったのだと無邪気に感嘆したのですが。私を首に下げる猫はさすがポンパドゥール夫人のもとにいただけあって、世のことをよく知っておりました。
「ははーん。払い下げね~」
猫の言った通りでした。
侯爵様曰く、狩猟館に集められているのは身分の低い娘ばかり。しかも「鹿」として雇われているので、宮廷にあがることは許されないそうです。
「長く深い寵愛を受けそうな鹿は、お役御免にされる。陛下がポンパドゥール夫人の前で、牝鹿に夢中な素振りを見せれば。または、牝鹿が陛下に過ぎた願いを乞うたと夫人が耳にすれば、ただちにね。夫人は、自分の地位を脅かす寵姫が出てこないよう細心の注意を払っているのさ」
候爵様の大仰な笑いはどこか冷たくて、私はかすかに身震いしました。
「毛色が違うせいか、陛下は茶色い鹿にご執心でね。ほぼ三ヶ月毎晩指名した上、ついには別荘をやりたいと言い出した。それで夫人から、解雇命令が出されたんだ」
教会の教えは純潔を尊びます。それが絶対の義務と信じさせるほどに。
神がまだ死んでいなかったこの時代、清らでない女性がまっとうに結婚することはかなり難しいことでした。
そのため、解雇された鹿たちが不満をもたぬように。そして世間から白い目で見られぬようにと、夫人は抜かりなく手を打っておりました。
「王家のメンツを保つため、スービーズ公と僕は解雇された鹿たちに、それなりの身請け先を斡旋する仕事を請け負っている。陛下にお仕えした褒美と称して、良縁を紹介してるんだ」
つまり候爵さまはご主人さまが貢いでいるのを、これ幸いと思われたのでしょう。
「私でよいのですか?」
ご主人様は躊躇しました。
悩んだのは、想い人が清らでないせいではなく。
「あの人は私でよいと……承諾してくれたのですか?」
問題は、ご自身の方に在りました。黄金の仮面に半分隠された顔に。
けれども。候爵様は肩をすくめてにべもなくおっしゃったのでした。
「あの鹿に選り好みする権利はない。あれは僕に賄賂も口づけもまったくくれなかったからね」
そのようなわけでご主人様は、想い人と結婚することが叶いました。
その肌の色にもかかわらず、ブランシュ(白)と名付けられた娘さんと。
ブランシュ様はメティと呼ばれる血筋の方でした。
生まれは新世界で、父は裕福な商人。母は色濃い肌の先住民。
父親が戦忍び寄る地を逃れてパリに拠点を移したとき。ブランシュ様は、オペラ歌手の卵として王立音楽アカデミーに入学させられました。
歌の才はそれはそれは素晴らしいものでした。澄んだコロラトゥーラの声は可憐で、水晶でできた天使のよう。けれど嫉妬と肌の色のせいで、周囲からいじめられる日々だったようです。
アカデミーの若手組がヴェルサイユに呼ばれ、宮殿内劇場(サリュ・ド・ラ・コメディ)で歌劇を御前公演したとき。
ご主人様は、この公演のあとに奇術を披露することになっておりました。そして猫を抱えて入れ違いに楽屋に入ろうとしたところ、廊下のすみでしくしく泣いているブランシュ様を見つけたのです。
『どうか泣かないでくれ』
『え? きゃ……! 花束?!』
ご主人さまはそっと近づいて。なにもなかった彼女の手の中に、ぽぽんと花束を――それが、お二人の出会いでした。
『素晴らしい歌劇だった。君の歌声は素晴らしい。本当に素晴らしい』
妙なる天使の声音は、ご主人様の魂を捉えてしまっていました。
でも。
パッと顔をかがやかせたブランシュ様は、次の瞬間悲鳴をあげました。大道具を抱えた褐色肌の青年が、通りすがりを装ってご主人さまにぶつかってきて。
『おっと、すまねえな! 魔術師さんよ!』
その衝撃で、黄金の仮面が落ちてしまったからです。
ブランシュ様はその青年に腕を掴まれ、守られるようにして舞台裏から出ていきました。ひどく青ざめた顔を、ご主人様に向けながら――。
あのとき猫は怒りでしゃーしゃー。
『なんでご主人様はあんな娘に花なんか! 大体にして、アカデミーのペーペー組があたしたちの劇場を使うってだけでも、図々しいのよ~っ!』
ご主人様はサリュ・ド・ラ・コメディで毎夜のように陛下を楽しませておりましたから、猫は大真面目にそう豪語しました。
『あの娘の顔を見た? めちゃくちゃこわがってたわよ? それに何よあの大道具係の男。色黒だけど、バカみたいにカッコイイじゃない! ああ~、だめだめ。ご主人様に勝ち目はないわ』
でも。それからすぐ、ブランシュ様は鹿の園に雇われました。宮殿での公演で、陛下の目に止まったのです。
そのとき、あの大道具係の青年との縁は切れてしまったようでした。
だから私も猫も、ご主人様はきっと幸せな結婚生活を送るだろうと信じておりました。
まさか見えない赤い糸がたぐり寄せられるとは、露ほども思わずに。
~心をもつ宝石たちの軌跡をえがく物語群~
サークル幻想断片 創作企画
石物語 Les Histoires des Pierres
石物語 第二期 公式サイト
http://cherspierres.blogspot.jp/
心がついてこないとしたら
猫さんも言ってたけど、魔術師はますます苦しむことになってしまうような><
ラピスさんのお力で
どうにか魔術師さんが幸せになれるように祈ってます~
お読み下さりありがとうございます><
私のフランス観が如実に出ているかも…
華やかで派手で残酷な国。
革命やレ・ミゼラブルのイメージが色濃いです。
お読み下さりありがとうございます><
王昭君、ああまさに…ノωノ* 賄賂を渡せなかったゆえの…
このお話のブランシュはまだ性格がよくわからないですが、世渡り上手ではなさげです~。
お読み下さりありがとうございます><
ブルボン朝は好きな時代なので調べるの楽しいですノωノ*
ご主人様は運命に翻弄されるのでしょうか…
お読み下さりありがとうございます><
ご主人様、差別を受けてる人なら自分を受け入れてくれるかも…とか、思ってしまったのかも。
ネコはご主人さま大好き~♪みたいですよねノωノ*
お読み下さりありがとうございます><
ヴェルサイユ、私が一番はじめに知った王宮かも…(なにかのアニメでみた~)
アルテュールはオペラ座のファントム的なので
ここはもうそんなベクトルで…(え)
お読み下さりありがとうございます><
盗まれてから回想という形で歴代ご主人さま話とか
他の宝石さんたちとの交流・ニアミス話を書きたいかなと…・ω・
お読み下さりありがとうございます><
はい、なぜか不穏な締めに…・・;
描写力…いえいえそんなことないです。精進あるのみ;ω;`
そして事実であるが故の酷薄なまでの残酷さを感じます。
魔術師と雌鹿の行く先が心配過ぎです。
しかし 侯爵…
賄賂も愛情もくれなければ 冷たいなんて…
王昭君と画家の逸話を思い出しましたw
赤い糸、切れないでお互いに手繰り寄せて結ばれることを願ってやみません(^_-)-☆
侯爵様方が解雇された鹿さんたちに行く末を斡旋するのも計算通りなんだろうな〜
そして、ちょっとご主人様の女の趣味が悪いなぁ。とか思っちゃったり。
ネコ様にとっても共感しちゃいました♡(。→ˇ艸←)
王宮の中の光景が浮かびます。
ご主人様はお幸せになるのかと思いきや
ブランシュ様の心を掴めずに
あの青年に持ってかれてしまうのか?
なんだか不穏な空気が漂ってますねー。
ラピスさんにも猫さんにもどうにもできないことで
辛そうです。
ラピスさんの反応で、ちゃんと彼女の年齢というか年代(?)が描き分けられていて、
それでいて別人にならない、同一宝石だと分るという……
みうみさんの描写力がすさまじいなぁ。こういう風に物が書けるようになりたいものです。
スービーズ公シャルル・ド・ロアン(Charles de Rohan, prince de Soubise)
アントワネットの首飾り事件で有名なロアン枢機卿と同族。
幼少時からルイ15世の遊び相手を務めてきた悪友で、世渡り上手の放蕩者として知られていたそうです。
フランス元帥(軍の最高司令官)になったけれど軍事的才能は…微妙?
娘さんのヴィクトワールは、ルイ16世の子供たちの乳母になります。
王立音楽アカデミー(Académie royale de musique):
現在はパリ国立オペラ(Opéra national de Paris)、もしくはオペラ座と呼ばれている劇団。
後進育成機関を抱える劇団として、ルイ14世が創設しました。
政体が変わるごとに名称が変わり、公演場所も時代によっていろいろ。
この当時はパリのルーブル宮の北隣り、サル・デュ・パレ・ロワイヤルSalle du Palais-Royalがホーム劇場でした。これから火事で焼けちゃいます……(え)
サリュ・ド・ラ・コメディ:
ヴェルサイユ宮殿一階にあった常設劇場。王様はもっぱらここで観劇したようです。
もっと立派なのつくれえ!と号令かけたのはP夫人か15世かちょっと調べてませんが、
1758年から宮殿内に新しい劇場を作り始めてます。
その劇場は金欠で工事がのびのびになり、1770年にようやく、
マリー・アントワネットのお輿入れに合わせて落成します。
メティ:
メスティーソ(インディアンとの混血)のフランス語です。
お読み下さりありがとうございます。
そうなるとよいのですが……;ω;`