銀の狐 金の蛇 22話 看破 (前編)
- カテゴリ:自作小説
- 2017/09/13 21:31:12
「そなたが殺人鬼? 嘘だ。違う!」
ソムニウスは反射的に叫んだ。
今は魚の血のせいで青黒いが、士長の刀はたしかに、真っ赤に血塗れていた。
しかし士長は今、なんと言っただろうか?
「刀の血糊を見たでしょう、だと?」
その言葉で夢見の導師は確信した。殺人鬼は、この男ではないと。
「士長どの。そなた、わざと刀に血をつけたままにしていたな? だれかに証拠として見せつけるために」
刀を捧げ持つ人は動じない。鉄壁の顔で静かに見上げてくる。
「嘘ではありません、魚喰らい様。私こそが殺人鬼。どうかユインの民を集め、その面前で神官さまに私を引き渡して下さい。民は私を生け贄にすることで、水の怒りを鎮め、家々が沈まぬよう願うことでしょう。たとえ神官さまの中に水を発破させた御方がいたとしても、民の願いを無下にはできますまい」
「生け贄……ああ、おそらく……おそらく黒幕の狙いはまさしくそれだ!」
ソムニウスはがしがしと頭をかいた。
「旧き神の怒りを鎮めるために、生け贄を投じる。だれを生け贄するかも、たぶん、たぶん……もうすでに、決められている」
生け贄にされるのは誰か?
神官たちがとらえようとしている人物――殺人犯とした弟子か?
いや。
これは一連の犯罪の最後の仕上げだ。
『沈めよ白い大狐』
黒幕はきっと、呪いの歌の通りにするにちがいない。
白い大狐、という歌詞から連想される人は――
「国主。国主どのだ。黒幕は国の主に、この惨事の責を問うつもりかもしれぬ!」
「国主様が、嵌められると?」
士長がわずかに眉をひそめる。ソムニウスはさらにがしがしと頭をかいた。
「邑が沈むほどの甚大な被害が起こらねば、国主を責めることはできぬ。だから黒幕は、こんな大事を起こしたのかもしれん」
「つまりその黒幕なる者は、民が訴えても無視すると?」
「ああ、きっとそうだ。適当に時間稼ぎなどして、完全に邑が沈むまで動かぬだろう。士長どの、だからそなたを縛って神官たちに差し出しても無意味だ」
無意味ではありません――士長はふるふると頭を振った。
「魚喰らい様。民の力はあなどれません。やるだけやってみましょう。家々が沈む前に水を止めてくれるよう、みなが迫れば……」
「いやしかし、無実の者を罪人にするのは……。殺人鬼とおぼしき者は、闇森への穴道で国主たちに挟撃されている。そなたではあるまい」
「もしそこで誰かがつかまるとしても、その者は無実です。あの穴道の分かれ道は塞がれていると申しましたが、ただ土嚢を積んでいるだけです。この通り、簡単に抜けてこられます」
冷静な士長に気圧されまいと、ソムニウスはじわりと汗がにじむ手を握りしめた。
たしかに士長はとても怪しい。
この男はなぜか家族も同胞も避けている。
第一の殺人が起こったときは狩り場にいた。
第二の殺人が起こった夜は、|邑《むら》に帰ってきていた。
その後狩り場へ舞い戻った後たったひとりそこに残り、それから再び、たぶん穴道を利用してこっそり邑へ戻ってきた……。
ひと目を忍んでの単独行動。めまぐるしい往復。怪しいことこの上ない。
しかし。この男はわざと、「自分が疑われる」ように動いているのではなかろうか?
「私は本当に、あのフオヤンに若君を殺せと命じられたのです」
士長の声はよどみない。わずかに圧力をのせてくるのは、それが真実だと強調するためだろう。
「あの赤毛の狐は、私の下の娘が若君に迫られていると教えてくれました。娘がなびかぬので、強姦する計画をたてているというのです。だから娘を汚されるまえに、殺してしまえと……。私はその通りにしました。娘を愛していたからです」
ソムニウスは息を呑んだ。士長が捧げ持つ刀の刃をくるりと返して、おのが身の方へ向けたからだった。
「あの赤毛の男は、しかしそれだけでは満足しませんでした。今度は、私の上の娘を殺せと命じてきたのです。メイメイは銀狐の毛皮に目がくらんで、国主の娘になった。育ての親を捨てた。そんなひどい娘など、殺してしまえと……。なんのことはない、あやつはおのが娘を世継ぎの姫にするため、そんなことを吹き込んできたのです。むろん、私は断りました。たとえ去られても、私は娘を愛していたからです」
刀の刃が、ゆっくり士長の首筋に押し当てられる。まるで見ている者を脅すように。こわばる導師をじっとにらみ上げる士長の両手に、ぐっと力がこもる。
この地から逃げ去ろうと思った――士長はそう静かに述べた。
罪に汚れた身を家族の前にさらすことはできぬ。理由をつけて狩り場にひとり残り、そのまま姿をくらますつもりだったと。
「しかしメイメイのことが心配になり、人目をしのんで戻ってみれば……悪い予感どおり、娘は……」
「殺人鬼」の顔がそこではじめて崩れ、歪んだ。怒りをなんとか押し込むように、ギリっと歯ぎしりをする。
「穴道を使って邑に戻った私は偶然、地底湖跡にいたフオヤンとでくわしました。私はあいつから、メイメイを始末したと聞かされました。私が断ったせいで、メイメイはフオヤン自身の手によって……だから私は激昂して、あの赤毛の男を殺したのです。なぜなら私は、娘を愛――」
「嘘だ! 違う!」
告白する人の面前にゆっくりそろそろと近づきながら、ソムニウスはあたりに魔法の気配を降ろした。
「「フオヤンは、メイメイを殺していないっ!」」
おのが口に魔力をのせ、夢見の導師はわざと声をびりびりとふるわせた。
士長の分厚い鉄の仮面に負けたくなかった。
この男はソムニウスたちを大いに助けてくれたのだ。
その英雄的な行為に見合った報酬を受け取るべきであり、決して縄で縛られるべき人ではない。
「メイメイが井戸から引き上げられたとき、毛皮神官は驚いた顔をしていた。たとえ彼がその殺人を計画していたとしても、あの日あの時に起こされるものではなかったといいたげにな。だから違う。彼がメイメイを殺したのではない。あやつがメイメイをみずから始末したなどと、いうはずがない! そんな嘘を言うということは、士長どの、そなたは邑に戻ったとき、生きているフオヤンに会わなかったのだな」
「な……」
ぴきりと、士長の眉に深いしわが現れる。
士長は無実――ソムニウスは、確信のよすがを頭の中にかき集めた。
レイレイの家の暖炉の上にかかっていた、家族の絵。そこには家族を深く愛する父親の――愛にあふれる一個の人間の姿があった。
加えて、冷静沈着なこの人の性格。人の上に立つ士長という地位……。
「士長どののような冷静で賢い者が、毛皮神官の戯言なんぞに乗せられるはずがない。人の上に立っているのは人望あるゆえだろう? そなたならば、たとえ罪を犯しても逃げ隠れなどしないはずだ」
「それは……買いかぶり、です」
「もし百歩譲って本当にそなたが若君を殺したのだとしたら、そなたはすぐさま国主に罪を告白したはずだ。そうすれば毛皮神官の野望と罪が暴露され、おのずと大事な娘の命は確実に守られたはず。でもすぐにそうしなかったということは。そなたは、若君を殺した犯人ではない!」
あふれる水でできあがる、家々と民を魚にした生け簀……うむ、悪趣味だ。
はたして、真相は……。