銀の狐 金の蛇22 看破(中編)
- カテゴリ:自作小説
- 2017/09/13 21:44:08
ふおんふおんとソムニウスの声音が響く。その波紋に触れた士長の肩がびくりと震え、手に載せられた刀が揺れる。首に刃をあてる彼の目に染み出しているのは、明らかなる動揺。導師の慧眼にさらされている、という恐れの色だろうか。
夢見の導師は相手の反論をまたず、畳みかけた。
「おそらく。士長どのがかばわないといけない人が、毛皮神官にそそのかされて若君を殺めたのだ。そして士長どのがそれを知ったのは、死した若君の現場での検分が終わり、邑へ骸が運ばれた直後。レイレイの婚約者に、事件の真相を調べるから現場に残る、と告げたその時であろう!」
そのとき白子がすうとソムニウスの横をすりぬけ、白く細い腕をのばした。
神気ある声に揺さぶられ、ぶるぶる震える士長の腕に、小さな手が載せられる。
「ダーメ」
にっこり笑うその顔を、追いつめられた獣のような目に入れたとたん。士長の両手の指が開かれ、刀がばしゃりと水中に落ちた。
「そうだろう、士長どの? 赤毛神官にそそのかされて若君を殺めたのは、狐の男衆のひとり。レイレイの――」
「ち、ちがう! 私だ! この刀が何よりの……」
落とした刀を拾おうとする士長の腕を、白い子が引っ張る。
微笑みながら、その子はまた言った。首をわずかにかしげながら。
「ダーメ」
弟子がばしゃばしゃと士長の前に走り寄り、刀を拾いあげた。とたん、刀身をつぶさに眺めたその目の上で、秀眉がほのかにひそめられる。刃に印らしきものを見つけたからだった。
「スメルニアの文字らしきものが刻まれていますが、潰されています。これ、持ち主がわからなくなるようにしてありますね。刀の記憶を韻律で探ってみましょう」
弟子が魔法の気配をおろす。サッと唱えた韻律は短く鋭かった。
その直後、魚の血で汚れた刀身に士長の顔が浮かび上がった。まるで鏡に映した映像のようにそれは鮮やかに写りこんでおり、幻の士長の手に握られている石が、何度もガシガシと刀身のしるしに打ち付けられる様が映し出された。
「やはり士長どのが、刀の持ち主のしるしをわざと消したのですね」
「な、なんだこの幻は! わ、私はこんなことをしてはいな……」
「これは幻ではなく真に起こったこと。生き物だけでなく、どんなものにも精霊が宿ります。これはあなたの刀に宿っている御霊が覚えている記憶です」
士長の鉄面皮がわななき、見事なまでにぐしゃりと崩れた。刀に写りこんだものを暴かれるとは、さすがに思いもしなかったのだろう。
「士長どのは、レイレイの婚約者の刀と自分の刀を交換した。己が若君殺しの罪をかぶると、彼に請け負った。そうだろう? その後メイメイが心配でこっそり邑に戻ってみれば、彼女もフオヤンも殺されていた。ゆえに士長どのは信じ込んだのだな? フオヤンが娘を殺し、そのことに憤ったレイレイの婚約者が、復讐の刃をふるったと」
崩れゆく鉄の仮面。乱れた顔を覆った士長の両手から、割れ鐘のような声が漏れてきた。
「そんな……フオヤンを殺したのはフェンではないのか? 私はてっきり、あの子がさらに罪をおかしたのだと……若君を殺したあと、ひどく後悔して、フオヤンを恨んでいたから……」
「あの婚約者は赤毛の神官が殺されたとき、レイレイと一緒に別の場所にいた。だから第三の殺人は、犯していない」
「なん……だと?!」
「士長どの。そなたがレイレイの婚約者をかばったのは、レイレイの幸せを壊さぬため」
ソムニウスは穏やかにやわらかく声音を響かせた。
「まこと、娘を愛していたからだな」
だれでも、おのれの子はかわいいのだ。己の分身のように思うのだ。
だからどんなことでも厭わずやってのけられる。
たとえおのが名誉や命を失うようなことでも。
ソムニウスは魔法の気配をちりちりと散らして消し去った。
鉄の仮面は砕かれた。士長は今や両手で顔を覆い、その表情を隠している。白い子が震えるその肩を優しく撫でている。
「ナカナイノー」
無邪気に微笑む様は、あたかも許しを与える天使のようだ。
「では黒幕は……一体だれなのです? だれが……うちの娘をっ……」
「さて、誰であろうな。水をせき止め、国主を嵌めようとしている者。すなわち、神官のうちの誰かであるのはまちがいなさそうだが」
震える士長にソムニウスは眉をひそめて呻いた。
毛皮神官の表情をよく見ていなかったら。そして地上の神殿が潰されなかったら。ソムニウスとて、毛皮神官が黒幕だと思い込んだだろう。士長が推測して語った通りに、第二、第三の殺人が起こったのだと。
あの赤毛の毛皮神官は、銀狐の家をただ唯一の|王家《ワングシ》とし、国父となりたかった。
真の黒幕は、その野望を隠れ蓑にしたのだ。
第二の殺人までは呪いの顕現、もしくは毛皮神官の野望による暗殺だと思わせ、第三の殺人は巧妙に、カディヤに罪をなすりつけている。
「第三の殺人は、毛皮神官のように人を使ったのだと思う。その実行犯が穴道で挟撃されていると思うのだが……」
ソムニウスはイライラと頭をかいた。
一連の事件でどうにも気になるのは、犠牲者の体の部位が奪い去さられていることだ。
両腕、両足、そして首。婆の呪いの具現の意味以上のものが、それらにあるように思えてならない。
現場から持ち去るということは、何かに必要、ということではなかろうか?
(これはなんだか……なんだか、呪術の儀式めいたものの匂いがする……国主を生け贄にするときに、何かするつもりなのか?)
「刀は、ずっと預かっていた方がいいようですね。黒幕を知ったら、本当に斬ってしまいそうですから」
刀を抱える弟子が師の背後に下がる。仮面が割れた士長の顔に、恐れを覚えたからだ。
もはや隠されることのなくなった貌。怒りと悲しみが放出されているその貌はどす黒く、涙にぬれていた。
「魚喰らい様……フェンをかばっていたことを、私は認めます。しかし私は、娘の幸せを壊したくありません。どうかこの件は、若者を指導しきれなかった私の咎としていただき、神官様方に突き出してください。私が彼らに迫ります。最悪、暴れて脅せば、なんとか大水源なるものの鍵を奪えるやも……」
そのとき。士長の腕を掴み、バシャバシャと音を立てて白い子が走りだした。
士長が面食らい、ずるると引っ張られる。
「なっ……?」
「クラミチ!」
分かれ道に入った白い子は、楽しげにそこかしこの壁をペタペタさわりだした。キラキラと目を輝かせながら。
「クラミチヒトツミチ!」
士長の目が大きく見開かれる。弟子の目も。師の啓示を思い起こしたソムニウスも。
『ウサギが道案内してくれるだろう』
それは適当にふざけて押されたように見えたのに――石碑の間で見たあの色鮮やかな絵文字がたちまち、その穴道の壁一面に浮かび上がった。
はしゃぐ白い子が浮かび上がった絵文字をまた押していく。
ほどなく、ごご、と音を立てて壁が動き、すき間ができた。
白い子は士長を引っ張りながら、あっという間にその割れ目の中へ入っていった。
任せろ、と言いたげに明るく一言叫んで。
「ヒトツミチ!」
なんというか、国守を狙い、民を害し、土地を水に沈め……
こんなボロボロの状態で国を継承しても意味が薄いだろうし、どちらかと言えば破壊の意思を感じるなぁ。
まさかの白子さん、ここにきて大活躍。
なんというか、この世の理とは別の世界を見ていそうな感じでしたけれど
士長さんを止め、隠し通路を探し当て……実は今起こっている事態について色々と知っているのかな?
それにしても、
ソムニウスさんが弟子に閉じ込められなければ、
神殿が崩壊しなければ、白子さんとは出会わなかったわけで――夢見の師はどこまで「視」ていたのだろう。