Nicotto Town


つぶやきrnao


お出かけ〜

雨じゃのう、、

もらったステキコーデ♪:10

台風の動きが気になりますね


皆様のところは、大丈夫?

関東は、、まだ、普通に雨ですが、

これからダリ〜ンと、お出かけです

これを見に行きます〜^^



http://yasennotsuki.wixsite.com/yasennotsuki/fashion


<クオキイラミの飛礫
ワタシヲスクエ!>       桜井大造

 今年の私たちのテント行動は、この東京井の頭公園での公演が3度目である。4月は北京市の3箇所にテント場が立った。公演主体は「北京流火テント劇社」だが、いつものように「野戦之月」「台湾海筆子」メンバーとの協働公演である。6月は東京明治大学にテントが立った。こちらは野戦之月と丸川ゼミとの共同試演会で今年で3年目となった。12月には台湾台北市で「海筆子16-18」主体のテント公演が予定されている。
 また、テントは立てなかったが、7月には済州島南部のカンジョンという村で「テントワークチョップ」が行われた。長期にわたる韓国海軍基地建設反対抗争の現場である。必然というか、銃を構えた歩哨の立つ海岸線の壁の前が「ワークチョップ」の広場となった。
 
 それぞれの土地では、テントの形状も芝居の内容もまるで違うものとなる。私たちのテント行動の基点は、その土地・クニに暮らすものが体感する苦(まれには快)である。
 それが直接的にその本人の苦とは限らないにせよ、自分の身体の周辺に偏在する苦を共振と共感をもとにいったん引き受けるのである。それを大鍋に入れて煮詰めるわけだが、その鍋に他の土地・クニの苦が入りこんでくるのが私たちのテント行動の特徴だ。鍋に熱を与えるのはもちろん観客であり、その土地・クニに固有のテント場である。
 
 クオキイラミは単に「未来記憶」を逆さまに読んだ造語である。
 未来記憶(あるいは展望記憶)という言葉は、明日以降の自身の行動や姿を現時点で計画し記憶することであるらしい。現在の日常現実はこの記憶を基本として移ろっていくようだ。そこにはやらねばならない仕事や約束が詰め込まれているわけだが、それを支えるのは「ワタシの希望」であろう。逆に言えば、「ワタシの希望」を再生産できないかぎりワタシはこの日常現実を快適に送ることはできないということになる。これが難しい。
 「ワタシの希望」を発信するのは「大脳」だが、それを再生産するのは生身の身体だからだ。ヒトの身体は周辺とつながることで身体であって、唯一無二の「ワタシ」のものではない。にもかかわらず大脳が希望するのは単体としての身体の増強、あるいは身体の消去である。
 要するにサイボーグ化かアンドロイド化を希望しているということだ。この希望に沿うことはできないーーこれはおそらく私たちの祖霊たちや将来の未生の子供たちからの呼び声であり、その呼び声は実は現存する「ワタシの喉仏」から発語されているようだ。
 ここに闘争点があるのかもしれない。
 戻ってみれば、このTOKIOネシアは「末人(まつじん)世界」の先頭にあると感じられる。そして末人の悲哀と絶望感を「ワタシの希望」が着々と上書しているように思われるのだ。
 「未来」というよりは「末来(まつらい)」が到来しているわけだが、さて私たちのテント場はこのTOKIOネシアでどのような対抗を出来させるだろうか。




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