さくらのお話
- カテゴリ:日記
- 2017/10/18 14:48:42
日本人は桜が大好き。
西行も「ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ」と詠んだくらいにね。平安の昔から花といえば桜だった。
桜はsakuraで、同じ音だとイタリア語のsacraがある。意味は神聖。スペイン語だとsagradaでガウディが設計したサグラダ・ファミリアのサグラダで意味は神聖。英語だとsacredだ ね。
日本語で分解するとさ・くらとなってさは神様のこと、くらはいるところで、神坐(かみのいますところ)となるんだ。巫女のことは早乙女で神様のおとめ、反物も更織で神様の織物って意味があってさの接頭語は神様のって意味がつく。
在原業平が詠んだ「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」は国語の時間に「世の中に桜って花がなければ春もおだやかに過ごせたのにね」とピントがぼけた解釈で教えられているけど、平安時代は言霊の時代で言霊使いの業平がこんな意味で読むわけがないんだよ。
古今和歌集で業平の前段に置かれた前太政大臣(藤原良房)が詠んだ「染殿のきさきのおまへに花がめにさくらの花をささへ給へるを見てよめる 年ふれば よはひは老いぬ しかはあれど 花をし見れば 物思ひもなし」を受けてのもので古今和歌集の編者である紀貫之らは意図的においたんだ。
藤原良房が「天皇家に嫁いだ娘という花をみていたら、年取ってしまったこともつらくないものだ」と詠んだことに対し、「世の中(宮中)にこんな桜(良房の娘)がなかったらホントに穏やかにすごせるのにね」と。
言霊っていうのは呪術の道具だからね。意味はホントに二重三重なんだよ。
業平は高子の事件で藤原氏ににらまれてましたし宮中では誰もが知っていたでしょう。
現代は権力闘争よりも技巧がうまいと評価されていますね。
時間とともに美しい事柄に昇華するのも言霊でしょうか。