Nicotto Town



銀の狐 金の蛇 23 背中(前編)

 夢見の導師の問いに、士長は固い顔で答えた。

「前にも申し上げましたが、この子の父親は、生粋のユインのもんです」
「うむ。その中の一体誰なのだ?」
「誰かというのは……わかりません。国主さまは白子をお生みになったとき、父親は一の君様ではないが、生粋のユインのもんだと。それしか仰いませんでした」
「むむ?」

 白子の母親は国主。銀狐の家の家長にして大巫女だ。
 ユインは母権制であり、国主には一の君と呼ばれる夫の他に幾人もの愛人がいる。

「国主さまは即位なさったころからほぼ毎晩、だれかを閨に呼んでおられます。呼ばれたもんは、ただ酌をするだけのことも多々あります。不和を避けるため、その晩どうしたかは公にしてはならんのが決まりですし……御子の父親がだれなのかは……国主さまが明かさぬ限りわからんのです」
――「オシリ、スゥスゥー」

 それは困ったと唸るソムニウスに、白子が笑いながらお尻を突き出してきた。貫頭衣のような服がすっかりまくれあがっている。滑り台のようにして穴道を滑ってきたからだろう。
 すそを下ろしてやろうとした瞬間。ソムニウスは伸ばした手をはたと止めた。

「なんだこれは」
「どうしました?」

 刀を抱える弟子がそばにきて、白子の背を見ようとするも。

「ミナソコー!」

 白子はいきなりぱんと自分で服のすそを下ろし、笑いながらばしゃばしゃ水が張った細道を駆け出した。あたりは暗く地面は無数の陥没穴だらけだというのに、なんとも軽やかな足取りだ。
 
「おいまて! カディヤ! 士長どのからじっくり話をききたいのだ、あの子を止めておいてくれっ」
「わかりました!」 
 
 今見えたものはもしや。
 目をしばたきながら、ソムニウスは走り出す弟子を見送った。
 もし見た通りのものならますます、まことの黒幕はあの白子の父親に間違いない。
 幸い白子はすぐそばにあった小さな泉に気を引かれ、しゃがんで覗きこんでいる。弟子がその横についてこちらに「傍聴の風」を送ってきたのを確認してから、師は士長に尋ねた。
 
「士長どの。白子の父親をどうにか特定できぬか?」

 声がわずかに変な響き方をする。傍聴の風は、離れているところでしゃべっている者の声を聞き取る音の技。弟子が送った風にわずかに吸い取られているのだ。

「神官で、白子が生まれる十ヶ月ぐらい前に閨に呼ばれた者。それを知りたい。ああ、ユインの民の血筋は亜人由来だったな。妊娠期間は人間と同じでよいか?」
「はい、ほぼ十ヶ月で生まれます。あの子はレイレイよりひとつ下ですんで、十七年ほど前のことですね。その十ヶ月前に、閨に入った神官さまは……」
 
 士長がハッと一瞬口をつぐむ。

「まさか。国主の子を殺し、邑を沈めようとしとるのは、白子の父親だと?」
「そうだ。黒幕は、水栓を操る韻律を使える神官のうちのだれか。そしてきっと、あの子の親である者だろう。たとえ国主の子孫をすべて排除しても、あの白子は国主に認知されぬ。制度的にも、そしておそらく感情的にもな。とじこめられている我が子への憐憫。他の御子たちへの嫉妬。国主への恨み……親心から生じた狂おしい怨念が、黒幕の原動力だと思うのだ」

 ソムニウスが頭をかきながら述べると。士長はしばし考え込み、それから慎重に言葉を紡いだ。
 
「神官様たちは、普通の愛人とは違います。神事のときしか国主さまと床を共にできません。年に四回、各季節の決まった日に行われる、水神おろし。その儀式のときのみです。わが身に神を乗り移らせた神官様が、大巫女たる国主さまに豊穣と繁栄の霊力を与える、というもんです」

 神官の任期は一期十年。青年、壮年、中年、翁と年位があり、各年齢層は大体二十代から六十代にわたる。神官はほぼ終身制。青年神官として任命されると、翁神官までずっと務め続けるのが慣例だそうだ。
 青年から翁までの年位は春夏秋冬に対応し、神官たちはその季節の化身とみなされるという。

「青年神官は春、壮年神官は夏という風に、それぞれが対応する季節に儀式を司ります。神おろしを行ったのち、国主さまの閨に入るのです」

 つまり三ヶ月に一度、国主は青年から翁までの神官のうちのひとりに抱かれる、ということか。
 ソムニウスは軽くめまいをおぼえた。一年に一度とはいえ、積もり積もれば。国主は終身の神官たちと、何十回と契る間柄となる。
 
「あの毛皮神官……フオヤンは国主の子だが、儀式のときはどうするのだ?」 
「フオヤン様は国主様のご負担を減らすために神官に登用されました。儀式のときには、閨で神酒《フアンミ》を酌み交わしとっただけです。あやつは十代で神官になっとりますし、こっそり手をつけた娘をはらませたので、特例で妻帯を認められたりと……なにかと特別扱いです」
「なるほどなぁ」

 赤毛の神官は相当な美顔だった。知恵も回るし家への忠誠も厚い。外国人の父親が見目麗しく、国主がかつて夢中になったことは容易に想像できる。父親似の息子は、国主にとってはかわいくて仕方ない存在だっただろう。

「他の神官さまも最近は国主様のお年をかんがみて、ご遠慮なさっとると思います。しかし白子が生まれたころは、まだちゃんと儀式を行っとったでしょう。そして……白子が生まれてから神官の入れ替わりがあったんは、一度だけです」

 八年前、翁の神官が任期満了で退いたあと、青年神官としてフオヤンが入れられた。このため他の神官はおしなべて、一つ年位が繰り上がったという。

「白子が生まれたのはたしか……夏でした」

 生まれた季節からさかのぼると、白子の父は前年の秋に儀式を主催した神官。そう推測できる。
 
「秋に儀式を主催するんは、中年の神官です。十七年前その位にあられた方は……」
「今現在は翁の神官位にある人。一番老いているあの人か」

 考えて見ればしごく納得だと、士長は得心したように深くため息をついた。だからあの方がずっと、世話係をなさっていたのかとしみじみつぶやく。

「士長どの、ついさっき白子の背中に私の推察の証拠が……黒幕の確たる動機の証拠が見えたような気がしたのだが。あの人はあれのせいで明確に国主に深い恨みや憎悪を抱いて、今回のことを画策したのではなかろうか」
「魚喰らい様。私も今、あの子の背中についているものを思い出しておりました」

 士長は口を引き結んできびすを返し、泉のそばにいる白子と弟子のもとに近づいた。しゃがんでいる白子の背後に立つと、彼はするりと白子の衣をめくり上げた。
 
「これですね?」

 ごくりと息をのみ、ソムニウスは泉に近づきながら小精霊を飛ばした。
 やはり先ほど見たものは、見間違いではなかった。

「これは……!」

 小さな光玉に照らし出された白子の背を見て、弟子が言葉を失う。刀を抱える腕がかたたと震え、涼やかな瞳がうろたえと同情の色で染まった。
 浮かび上がったのは――まっ白い背に走る一本線の傷跡。
 だいぶ昔に治癒したようだが、深い切り傷だったのだろう。跡が盛り上がりくっきり残っている。
 士長はそっと衣を下ろした。白子は元気よく立ち上がってぱたたと走り、泉の向かい側にはねとんでいく。ヒトツミチ、ヒトツミチと、明るく無邪気に歌いながら。

「ミナソコー!」

 岸に取りついた白子は、目をきらきらさせて泉をのぞきこんだ。せわしなく動く目の動きからすると、小さな生き物でも見つけたのだろうか。

「思いっきり袈裟懸けにとは、ひどいな」
「話を風に運ばせて聞かせてもらいましたが。まさかあの傷をつけたのは……」

 暗く沈んだ顔を向ける師弟に、士長はうなずきを返した。

「そうです。斬ったんは、国主様です」


 
 

アバター
2017/10/25 22:42
国主自体が犯人かも知れませんね。
アバター
2017/10/25 20:11
ここからいきなり読みましたが
重厚な世界があるようですね




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