河童のお話
- カテゴリ:その他
- 2017/11/30 15:46:04
平将門が祭られているという東京大手町の首塚。今でも参拝者が多く、首塚のまわりにはカエルの置物がたくさん置いてある。無事に帰るとの語呂合わせらしいけれど。
平将門は伯父の平国香、叔父の平良兼らに父の所領を横領されていたことに端を発して不仲となり、常陸大掾の源護を巻き込んで争いになった。将門は元の主人の藤原忠平に訴え、朝廷から平良兼追補の官符が発せられて、初戦は将門が勝利する。
翌年、武蔵国権守の興世王と武蔵国介の源経基が足立郡の郡司武蔵武芝と争いになり、将門が調停に入って和解させたのち、武蔵武芝が兵をもって源経基を包囲し、源経基は都へ逃げ帰って将門、興世王、武蔵武芝らの謀反と訴える。ちなみに、源経基は清和源氏の祖で、源頼義、義家親子が関東を蹂躙したのはこのときの恨みとも言われているね。しかし、源経基は嘘の報告をしたとして罰せられて、朝廷は将門に叙位任官して朝廷のために役立てようと考えているんだ。
でもね、将門は大昔のやくざ映画の親分みたいな感覚で、困って頼ってくる人間を見捨てられず、武蔵国守とトラブルになった興世王や税を納めず乱暴三昧だった藤原玄明らを匿い、朝廷に反旗を翻すことになってしまう。
興世王の言葉に従って関東で新皇を称したものの、翌年には藤原忠文が征東大将軍に任じられて追討軍が出立。関東では将門追討を受けて、藤原秀郷、平国香の息子の貞盛らが兵を集めて、将門とぶつかり、将門を破って乱をおさめた。
というのが将門の乱の大まかなところで、将門はあまりにもいい人すぎて祭り上げられたあげく、戦で負けてしまったということに。無事に帰るどころじゃないよね。戦では体格がよかったから先頭に立って強かったようだけど、あっけなく負けてるし味方の大将としてはね。味方にいれば頼もしいだろうけど、大将なのかって。
カエルの話に戻るけど、将門を頼ってきたのは当時河童とか河原者と呼ばれたまずしい人たちで、まだ開拓されていなかった関東で将門を頼ってきた人たちのこと。彼らは砂鉄をとったり、製鉄に関わったりして将門に協力していた。山の神として鉱山作業と農作業を兼業していた人たちだね。だから、将門は彼らを見捨てられなかった。カエルは彼らが護ってくれた将門への感謝なのだろうね。