薔薇園へようこそ 「ティリンの竪琴」3
- カテゴリ:自作小説
- 2017/12/16 03:36:29
南風が吹きおりてくる。
円い岩間の花壇一面に咲いている紫の花が、さわさわ揺れる。
紫紺の中には、黒い衣の導師がひとり。身をかがめて花を摘んでいる。
金の髪がまぶしい……。
ティリンは竪琴を奏でる手を止めて、思わず目を閉じた。
「どうした?」
花畑から気遣う声が飛んでくる。
「なんでもありません、お師匠さま」
紫の花を掻き分けて導師が近づいてくる。ひどく心配げな顔だ。
形よい白い手が、ティリンの頬に触れた。
「泣いている」
「え?」
「ほら、涙。どうしてかな?」
「えっ……あれ? わ、わかりません」
確かに頬が濡れている。ティリンはあわてて蒼い衣の袖で頬を拭こうとした。
だがそうする前に師の袂から柔らかい香りの布が出てきて、優しく頬を拭かれた。
花の香りがする。
師が今世話をしていた、紫の花の香油が染み込んでいるのだ。
「ティリン」
師の顔が近づいてきたので、ティリンは顔を真っ赤にした。
額にそっと師の唇が触れる。
それから師は愛おしげに、弟子の赤銅色の頭を撫でて囁いてきた。
「今夜も部屋においで。私の子」
ティリンは夏至の日、黒き衣のカイレストスのものになった。
広場の舞台まで支えて連れて行ってくれた導師だ。
竪琴を奏でる少年が欲しいと名乗りを上げた者はかなりいて、弟子に空きがある長老方もその中にいた。
最長老レヴェラトールは、ティリンの師はデウス・エクス・マキナ、すなわち籤で決めるようにと命じた。
籤はどんどん引かれていき、当たりの黒石を引いたのは――
導師の中で一番若い人。
黒き衣のカイレストス。
ティリンは喜びに顔を輝かせる若い導師に抱き上げられて、会合の広場をあとにした。赤毛の導師がなんという強運かと目を丸くしていた。そのとき師となった人はぽつりとつぶやいた。
「首尾よくいった」
それはどういう意味だろう? まさかなにか細工をしたということ?
首を傾げても、師は微笑むばかり。真偽は分からぬまま、ティリンは師から蒼き衣を与えられた。
それからはやひと月。
銀髪の子は最長老の子になったらしいが、最近姿を見ない。
師は自分の弟子にしか座学をしないので、他の子がどんな修行をしているのかは、大食堂で魚を食べながら聞き合うしかないのだが。
「フィッダ? そういえばこのごろ見ないな」
「瞑想室でお篭もりしてるんじゃないの?」
断食行は、よく行われるものらしい。
(元気でいるといいな)
夕餉を終えたあと。ティリンは竪琴を脇に抱え、木彫りの杖をついて石段を登り、師の部屋に行った。
部屋の中に入るなり、穏やかな香の匂いに全身を包まれた。
奥の方で、師が香を焚いている。
黒き衣のカイレストスは、香道の専門家。供物船で世界各地の香を取り寄せている他に、自分でも寺院の裏手の岩間で薫り高い花を丹精込めて育てて、香油を作っている。
黄色のルクリア、ディオニシア。白いジャスミン。赤いゼラニウム。
それから夏のこの時期は、紫のラヴァンドゥラ。
寺院の裏手にある岩間は、大昔から薬学や植物学を研究する導師によって使われてきたそうだ。
しかし薬学の技がいつしか伝えられなく成ると同時に放置され、数年前にカイレストスが手を入れるまで、すっかり荒れ果てていたという。
ティリンは師から香道を学び、毎日花畑の世話を手伝っているのだが。師は片身の動かぬ子を気遣って、「竪琴を爪弾いてくれ」とすぐに弟子を座らせてしまう。そして「竪琴の音色を聴くと二人分の力が出るから」と、朗らかに笑う。
「ティリンおいで」
カイレストスは部屋にやって来た弟子を抱き上げて寝台に座らせた。
「竪琴、弾きますか?」
頬が火照っているのを隠すようにティリンは竪琴を盾にした。
これからされることは解っている。ほぼ毎晩、こうして呼ばれているから。
弟子が竪琴を弾くのをにこにこしながら聴いたあと、師は弟子から竪琴を取り上げて、蒼い衣をそっと引き下ろすのだ。
師は香油に浸した手でティリンの不自由な片身を特に念入りに撫でて、少しでも動くようにと丁寧にほぐしてくれる。
「ここは北の辺境だからラヴァンドラは夏に咲く。だがもっと南では春の花だ。沈静作用があってよく眠れる。菓子に入れて食す王族もいるよ」
若い師は甘い香りの香油で濡れた手を、黄色い肌にすべらせた。首筋から肩へ。そして肩からもっと下へ……。
「お、お師匠さま」
愛撫がじわりと熱を伝えてくる。
ティリンは寝台の上で震えた。
甘い香りがふわりふわりと、体を包む。
ああ、体が軽くなる――
「ひゃ?!」
とすんと寝台に体が落ちた。もしかして本当に浮いていたのだろうか。
師がおかしそうに笑っている。
「私もよく落ちたな」
「えっ? 落ちた?」
「体が弱かったから、ここに来た頃はよく、師に薬を塗ってもらった。風邪を引いたときには美味しいシロップをもらったものだ」
カイレストスが話しているのは、最長老のことではなく。その前の師のことだろうか。
「だが、始めの一年だけだったな」
カイレストスは寂しそうに笑った。
「薬が効いてすぐに丈夫になったし、下の弟子が来てね。師はその子たちにかかりきりになった」
形よい手が、ティリンの動かない太腿を滑る。心地よさにまなじりをうるませ、ティリンは寝台の敷布を握りしめた。
「師は純血の人間……つまり生まれのいい金髪の子が大好きでね。北五州から来る子ばかり選び取っていた。私と同じく二十五の時に導師になられ、三十には長老になられていた。ずいぶん魔力のお強い方だった」
師の名前はなんといったろうか。一度しか聞いたことがない。
呪いのディクナトールが、会合の広場に入る時にぽろっと言ったのを聞いたきりだ。
カイレストスは師の名前を口にしない。他の導師も古参の弟子たちも、なぜか極力その名を口にしないようにしている。どうしてだろうか……。
「そういえば、来月の始めが誕生日だと聞いたが」
「はい……」
香りよい師の手がティリンの顎をそっと上向かせる。
昼間のように、額に口づけが落ちてきた。黒い衣に片手を伸ばしてしがみつくティリンを、師はそっと抱きしめた。
「何を贈ろうか。私の子」
ラヴェンドラの花畑が風に揺れている。さわさわ音をたてながら。
紫の波が、芳香をこちらに寄せてくる。
波打つ花畑の中で、目の覚めるような金の髪の人が花を摘んでいる。
金髪がまぶしい……。
(ああ、お師匠さまだ)
ティリンは杖をついて近づいた。
(お師匠さま。ぼくのお師匠さま……)
そばに行くと、その人が振り向いた。
とたんにティリンは凍りついた。燃える青の双眸。猛々しい獅子のような顔。
(お師匠さ……ま……?)
カイレストスの顔とは全然違う。
その人は。なんだかひどく怒っているような、でもひどく悲しんでいるような貌をしている。
ふしぎなその人から黄金色の光がパッとにじみ出た。紫の花畑が黄金色に変わっていく。
その人は腕を伸ばしてきて。ティリンの胸倉をわし掴みにした――。
――「いやあっ!」
目を開ければ……朝になっていた。
あのふしぎな黄金色の人と花畑は、夢だったらしい。
目からたくさん涙が流れ落ちている。汗ばんでいる躯を、誰かがよい香りのする布で優しく拭いてくれている。
「お師匠さま?」
そういえば師に抱きしめられたまま、眠ったのだっけ。
「大丈夫か? ずいぶんうなされていたよ。かわいそうに」
師が心配げに顔を覗きこんでいる。
「熱はないようだが、精油を飲むといい。今すぐ湯に溶かしてあげよう」
ありがとうございます><
カッコご指摘感謝ですノω;`
どのお師さまも自分の子が一番と思ってます…
寺院は大陸法が適用されない特殊環境にあって、弟子の護りは師の保護権のみ。
なのでもう全力で護ります。
いちゃいちゃカップルになるのもきっといっぱいいます…(おとこどうしでも)
カラーひよこ…まさにノωノ*
ありがとうございます><
夢を見てだいぶ消耗したような感じですが…
しっかりフォローいれるお師さまでした。
意味深な夢のあと、ティリンの生どう転がるのか。
最初に薔薇園の犠牲者って知ってから読み始めちゃってるから、幸せなエピソードを読んでも
なんとなく複雑だなぁ。
カラーひよこみてる気分(ぇ