薔薇園へようこそ 「ティリンの竪琴」5
- カテゴリ:自作小説
- 2017/12/16 10:27:47
ラデル、エルク、レイス、ジェリ。
赤い薔薇は香りが弱かったが、実に鮮やか。どの株の花も見事に美しかった。
ティリンの師は薔薇の花を摘み、足を洗う湯の中に花びらをちりばめて愛でた。
しかし月が変わって夏が来ても、一番右の薔薇だけは一向に花をつけなかった。
他の薔薇がみな散り。ラヴェンドラの花が終わり。秋咲きの花が咲き出しても。刺のついたその身を、風に空しく揺らしているだけ。
「まだ望みはある。それにしても、他の花の成長がすごいな」
師は、秋咲きのヘディチウムの開花の早さにことのほか驚いていた。
紫のラヴェンドラも夏至を過ぎた辺りから成長著しく、あっという間に開花したそうだ。
「そのわりには花の期間が長くて花弁も大きかった。だから香油がたくさん取れたんだが」
いつもと同じ育て方なのに不思議なことだと、師は首を傾げる。しかしその視線はフッと、咲かない薔薇の方へ自然と漂い、悲しみに曇る。
しかも。それに呼応するかのように、毎夜ティリンが師の腕の中で夢に見る黄金の人も、日に日に悲しそうな顔になっていくのだった。
ある晩、夢の中で。
黄金の人は、ついにその輝く手でティリンの胸を貫いてきた。
目に涙を浮かべながら。
『おまえは、私を許してくれぬのか?』
許す?
この人がだれなのかも解らないのに。なぜそんなことを言われるのだろう……。
悲鳴を上げて目覚めたティリンは、胸を抑えてしばらく嗚咽した。
心の臓がじんじん痛かった。
心配したカイレストスが抱きしめてくれたが、涙がとまらなかった。
あの薔薇のせいだ。だから変な夢を見るのだ。
ティリンは泣きじゃくりながら思った。
(咲かせないと……そうしないと、夢の人は、きっと消えてくれない……)
それからティリンは図書室の本を漁ってみた。
覚えたての文字を、一所懸命目で追って読んだ。
植物図鑑はもちろんのこと、博物誌や本草綱目なども調べ倒した。
大甲虫の幼虫の糞を入れる。翁鳥の卵を溶かした水をかける。成長促進の韻律を唱える……。
薔薇の栽培によいとされる方法をいくつも探し出しては師に進言してみた。
だがすでにカイレストスは、本で得られる知識は万策試していた。
師は諦め顔で、花壇の隅に積み上げた肥料袋の山を見せてくれた。
「どれもだめだった……しかしごらん、オスマンサスが咲きかけている。これはきれいな橙色の花が咲くのだよ」
師はティリンがいつも座る場所のそばに生える木を指さした。
「みな君が来て喜んでいるようだ」
「え?」
「寺院へ来る道中、竪琴の音に鳥や動物が寄ってきたと聞いた。きっと私の花たちも、君の演奏と歌が心地よいのだろう」
自分の歌声や竪琴の音が花たちの成長を促している?
まさかそんなことがあるのだろうか。ティリンはにわかには信じられなかった。
しかし図書室の本で歌の魔力について調べてみるうちに、もしかすると、という気になった。
「『音は植物によき影響をもたらす。ファラディア王国のご神木は、巫女たちの歌の力で葉を生い茂らせ、神秘の果実を実らせる』……か。」
あの咲かない薔薇は花壇の一番端にある。だからあそこまでは歌が届かなかったのかもしれない。
薔薇のまん前で唄ってみようか?
でもあの薔薇たちは師の宝物。近づくなと言われている。
となれば――。
その夜。ティリンは竪琴を片手にこっそり師の褥を抜け出して、岩間の花壇に忍び込んだ。
「お願い、咲いて……」
咲かない薔薇のすぐ目の前に座り。少年はぽろんと竪琴を爪弾いた。
とりあえず、知っている歌をひと通り唄ってみた。
エティアの武王の勲詩。躍り子のマドリガル。コウノトリの子守唄……。
咲かない薔薇はそよそよ夜風に揺れている。
この歌声が、染みてくれるとよいのだが……
「おやすみなさい。また明日くるね」
ティリンは足音を忍ばせて、再び師の部屋に戻り。その褥にもぐりこんだ。
師の腕が無意識に伸びてきて、守るように抱き寄せてくる。
穏やかな花の香りに包まれるや、ティリンは夢に落ちた。
黄金の人が待つ、ヘディチウムの花畑の中に。
その人はまたティリンの胸に腕を伸ばしてきたが。ふとその手を止め、薔薇の方を振り返り。一番右の薔薇に歩み寄った。
その人は薔薇に手を伸ばしかけ……そこでフッと消え去った。
金の髪が、いつもよりも燦然と輝いていて。とてもまぶしかった。
それからティリンは夜になるとこっそり師の褥を抜け出して。
咲かない薔薇の前で唄った。
ひとしきり歌を唄い、それからまた、師の寝床の中へ戻る。
その試みを毎夜繰り返した。
すると六日目の晩。夢の中の黄金の人に、変化が現れた。
その夜、ふしぎな人は咲かない薔薇の前に座っていて。それからこちらを振り返って微笑してきた。穏やかな、優しい顔つきで。
『思い出したか?』
「何をですか?」とティリンがたずねると。
その人は不満げに顔をゆがめて消えていった。
細やかな金の粒になって、ちりちりと。
まるで砂漠の砂のように。
七夜目となる日の朝。
『舞台』で会合している師を、ティリンが待合の広間で待っていると。
イライラした様子でソムニウスのカディヤが隣にやってきた。
「あんたは、大丈夫?」
「はい? 何がですか?」
「ここに来るとき、うちのソムニウスが、変な言葉をかけてきたりしなかった?」
「あ……いいえ?」
カディヤは美しく染めた爪の先を腹立だしげに齧った。
「あの人、影でこそこそ今年の捧げ子でめぼしい子に声をかけたらしくて。かなりの子が、アスパシオンの歌を唄われたって言うのよね」
「アスパシオンの歌?」
「超有名な求愛の歌。もしソムニウスに何かされたら私に言って。まあ、あんたはカイレストスに完璧に守られるでしょうけど。あんた、まだ一度も共同部屋で寝たことないでしょう?」
「そうかも……」
たしかにここに来てから、夜に自分の寝床で寝た記憶はない。
「カイレストスにはまだ、あんた一人だしね」
風編みの歌が終わり、導師たちが『舞台』からぞろぞろと降りてくる。
カディヤは巻き毛をさらりと掻き分け、さっそくソムニウスを出迎えた。甘い二枚目顔の長老の頬には、赤い手の形がくっきり。恋人に折檻されたらしい彼の後ろから、カイレストスが姿を見せた。とても晴れやかな顔だ。
聞けば、香りの薬学が最長老に認められたらしい。週に一度、蒼き衣の弟子全員に全体講義をせよと命じられたそうだ。
「わあ、おめでとうございます」
師はティリンの手を取り、その躯を支えて歩きながら、耳元で囁いた。
「今宵は、朝まで花園で過ごすとしよう」
ティリンは一瞬、夜に花園へ忍び込んでいることがばれたのかとドキリとした。
だが師はそのことについては何も言わず、普段のように午前中は花畑の手入れをして、午後には瞑想室に篭った。
午後当番で中庭に行くと、長老の弟子たちが片隅に集まっていた。『氷結封印』の当番の子たちらしい。だがカディヤやデンリもそこにいて、なにやら話し込んでいる。
「ちょっとティリン。あんた今日は卵収集当番?」
カディヤがティリンの姿を見つけて手招きしてきた。
「そうですけど……」
「それならひとり抜けても大丈夫ね。『氷結封印』の当番にあたってる私の弟弟子が熱出して寝込んでしまったの。封印の当番は必ず三人いないとだめなんだ。兄弟子の私が代わりに当番をするのが筋なんだが、繕い物当番の仕事がわんさかたまってる。あんたに代理を頼んでよいかな?」
「あ……はい」
嫌とは言えなかった。カディヤの有無を言わさぬ視線が怖かったからだ。
「ありがとう、恩に着る」
ありがとうございますノω;`
カディヤ、安定のもみじ…
アスパシオンは……ぺぺウサギの師匠のことですw
もともとこの話や某長編のテーマを語る「アスパシオンの求愛歌」というのが先にあって、
その由来を語ろうと書いたのが「アスパシオンの弟子」です。
ものすごくロマンチックな悲恋歌として後世に伝わっている……のですが、
ウサギの話はなぜか明るく元気で……ででででも、悲恋ですノωノ
ありがとうございますノω;`
夢の中の人、ちょっと嬉しげです。
カディヤは寺院では物言いがちょっときついお姐さんというイメージで通ってますw
(弟子の中で最年長組なのでえらいのです)
アスパシオンの歌、って……あれ、アスパシオンって名前どこかで聞いたような。
なんかサリア咲くのが楽しみになってきたw
カディヤさんがこわいのですが(´;ω;`)ウッ…