薔薇園へようこそ 「ティリンの竪琴」6
- カテゴリ:自作小説
- 2017/12/16 10:53:00
また胸が、痛くならないといいけど……
ティリンは他の二人の長老の弟子と一緒にカンテラを掲げ、ひやりと寒くて暗い封印所に降りた。
道中、他の二人はくすくす笑い合って四六時中ぺちゃくちゃ喋っていた。同い年で、仲の良い親友同士らしい。
封印所の中を進み、氷の柱の在る洞窟の入り口に来ると、二人は一瞬口を閉じ。こわごわ氷の柱を眺めた。
「……どう?」
「うーん。やっぱりないよ」
「そっかぁ」
「……何が、ないの?」
ティリンがそっとたずねると。背の低い子が肩をすくめた。
「ゼラは珍しい視力を持っててね。人の魂が視えるんだよ。そんでね、今柱の中を視てみたわけ」
魔王が封じられているという柱を指差して、背の高い子が言った。
「左の柱には紫色の魂がこもってるよ。なんていうか、どろどろしてる。こわいね。でも右の柱は……ちょっと淡く黄金の光が見えるけど。これ、魂って呼べるほどのものじゃないな」
「魂じゃない?」
「あの柱の中には脳髄しか残ってないっていうから、もう魂はどこかに飛んでいってるのかもね。天に昇ってしまってるんじゃないの?」
ティリンはまじまじと左の氷の柱を見つめた。とたんにずきずきと、胸が痛んできて。ふっと頭の中で何かが符合した。
(もしかしてあそこにいるのは……あの人? 夢に出てくる、あの黄金の人? でも、ここにはいない? じゃあ、どこに?)
まなじりにこみ上げてきそうなものをティリンはあわてて引っ込めた。
(天に昇っていった? うそ。いってない。この世にいないはず、ない……だってあの人は……あの人は……)
夕刻の風編みと夕餉のあと。カイレストスは一番弟子の夕餉が終わるのが待ちきれないといった様子だった。
大食堂でティリンが自分の食事を摂っている間、師はずっと廊下で待っていた。ティリンは大急ぎで魚の皿を平らげて、師のもとへと杖をついた。
「お待たせしてすみません」
「おいでティリン。おいで」
師はティリンの腕を取り。もどかしそうに杖を取り上げて抱き上げた。
食堂や廊下にいる弟子たちの視線にどきまぎしながら、ティリンは岩間の花園まで運ばれた。
「あ、あの、あらためて、全体講義の講師就任、おめでとうございます」
花園に入るや、ティリンは歌を贈ろうと口を開いた。
だが師は少年の口に人差し指を当てて、唄い出すのをやめさせた。
「おめでとうを言うのはこちらなんだが。今日は誕生日だろうに?」
「あ……」
「忘れていたか?」
師はくすくす笑いながら、黒い衣の袂から卵型の銀の入れ物を取り出してティリンに渡した。
「蓋を開けてごらん」
ティリンは言われた通りに蓋を開けた。
とたんに、容器の中の白い固まりがあたりに芳香をふり撒いた。
ほのかに甘い、柑橘系の香り。なんとも穏やかな心地になる。
「特別調合の香膏だ。私が育てた花と、異国の香と油脂とを混ぜている。動かぬ躯によく効くだろう」
「ありがとうございます」
師の手がするりとティリンの衣を引き下ろした。その手は銀の入れ物から優雅な手つきで香膏を掬いとり、少年の黄色い肌をすうと滑った。
ここで治療されるのかと、ティリンは頬を真っ赤に染めた。
師の手が、動かぬ肩から下へゆっくり降りていく。胸から細い腰へ。そしてその下へ……。
ティリンは銀の入れ物を持つ手をガクガク震わせた。銀の蓋がカタカタ鳴る。
恐ろしいほどの心地よさに、まなじりが潤んだ。
体がふわふわする。今にも、浮き上がりそうな。空気になって溶けそうな――
「お師匠さまっ……」
師は微笑しながら指を滑らせ、少年の全身に香膏を塗りこめると。甘美な心地に震える子を抱きしめて囁いた。
「さあ準備はできた。一番好きな歌を歌ってみてくれ」
「準……備?」
「さあ、はやく」
まだまなじり潤むティリンの口から、母親がよく歌っていた歌が流れ出した。
『南風過ぎて 北風が来た
砂の嵐が埋めてゆく
死んだ私を埋めてゆく』
はるか遠い、砂漠の国の歌が。
『薔薇が咲いたら 涙がかれる
白の花なら 涙がかわく ……』
すると銀の入れ物の中の香膏がきらきら輝き出して。
ふわと広がる香りとともに、ヘディチウムの花畑一面にパッと飛び散った。
細かい光の粒が、雨のようにあたりに降り注ぐ。
光の雨を手のひらで受け止めたティリンは、己の躯もキラキラ煌めいているのに気がついた。
「わ……あ……!」
ティリンが目を見張っていると。はるか天の高みから光る蝶々の群れが次々と舞い降りてきて。光の雨粒のひとつひとつにたくさん集まってきた。光る蝶々は、香りの粒を夢中で食べているようだ。
師が弾んだ声で言う。
「さあ、精霊たちが来たぞ」
きんきん
きゅるきゅる
不思議な音があたりを飛び交う。
「光の精霊だ。彼らは歌と香の粒が大好物でね。でもイタズラ好きだから注意しないと……」
言われたそばから、ティリンの香の塗られた躯に蝶のような精霊たちがうわっと集まってきて。その手を、足を、ぐいぐい引っ張り上げた。
「わっ……!」
ふわりとティリンは浮いた。軽やかな風のように。
「お師匠さま! お師匠さまっ……!」
見ればカイレストスの手にも精霊がたかっている。香がついているところにだけ、精霊が集まるようだ。
「すばらしくきれいだが、うっとうしいな」
師はくすくす笑いながら手を振り払った。パッと光の蝶々が周囲に散る。
師は精霊の誘いを跳ね返している。その身を、黄金色に輝かせて。
金の髪がまぶしい。
それはまるで……。まるで……。
ティリンの顔から血の気が引いた。
精霊に持ち上げられて宙に浮かぶ少年は思わず手をさしのべた。
このまま天に連れて行かれると思ったから。
このまま、はるか天の高処まで。魂が戻るあの場所まで……。
「いやです! お師匠さま! 行きたくない!」
気づけば。ティリンは声を限りに叫んでいた。
恐怖に震えて、師に向かって懸命に手をさしのべながら。
「また天の光に呑まれるなんて! いやです!」
「……また?」
師が片眉をあげた。その口の端もくいっと上がる。
どんどん上に引っ張られるティリンは必死に叫んだ。
「また行きたくない! 離れたくない……! お師匠さま! お師匠さま!」
「……天上の光を知っている子。我が名を覚えているか?」
見上げる師が意地悪げに笑いながら訊いてきた。
「我が名を呼んでくれたら、引き下ろしてやろうぞ」
(名前? だれの? この人の? カイレストス……違う)
ティリンの目から涙がぽろぽろあふれた。
(違う。ああこの、黄金色に光る人は……)
「セイリ……エン?!」
金髪がまぶしい。獅子のたてがみのような、輝く髪。
黄金の人はまだ笑っている。
セイリエン。それが正解のはず。でも、違う?
ということは……
名前。
名前。
カイレストスも、セイリエンも、導師としての名前だ。
まことの名前は秘められている。生まれ落ちた時にもらう名は、めったなことでは明かされない。
でもたぶん――知っている。
名前。
頭にパッと浮かびあがったその名前を、ティリンは叫んだ。手を思い切り、その人に向かって伸ばしながら。
「……二ス! ジェニス! ジェニス! ジェニスなの?!」
今後のカギに成りそうですね。
(。´・ω・)ん?ティリンは何かの生まれ変わりなのかちら??
続きも読みにいかなくちゃε=o(*’◡’)o
ありがとうございますノω;`
古代では相手を王と認めるときに偉い神官様が香油垂らしたりとか…
浄めの意味、認証の意味、いろいろあるみたいですね。
香膏は古代エジプト宴会グッズで、頭に乗っけて徐々に溶かして使ったそうです。
いじわるセイリエン。
ついに手っ取り早く実力行使系精霊召喚術を…。
あの感覚をもう一度、というのはかなり容赦ないかも…
香油を塗られ、精霊に導かれて天に昇る少年と、それを満足げに見つめる香油の主。
美しいのに執念を感じる怖い光景だなぁ。