昔話
- カテゴリ:日記
- 2017/12/19 20:31:59
制服がセーラー服だったことは一度もないのですが…。
昭和50年代、私は地方の公立高校に通っておりました。
校則ゆるいというか、意識したことない。二年生になる頃には忘れた。
制服を改造したり、着崩す子はいなかった。ヤンキーに絡まれると面倒だから。
(当時のヤンキーは「真面目」に手を出さないのが鉄則だった)
ぐれたい時は授業をサボって、徒歩5分の市立図書館に行ったものです。
司書さんたちは優しくスルーして補導されない。本が読み放題♪
同類がいても声をかけなかった。図書館で読書中の人に話しかけませんよ。
学校に戻ると、イラストや漫画を描く女生徒……今で言う腐女子。
当時、すでに男性キャラをカプリングする文化はありました。
放課後の美術室にはデッサン・マニア。変人とヲタクの巣窟、理科棟。
吹奏楽部が強くて、運動系は趣味。スポーツを極めたい子は強豪校に行くから。
一年生はアホの子が過半数、ガリ勉は少数でした。
二年生になると、だんだん自分が進みたい方向が見えてきて、勉強を始める子が増えた。
アホと勉強が個人個人の中で混在して葛藤する中で、吹奏楽部が練習する音がプァープァー
三年生は選択科目が多いですね。受験に関係ない科目は内職・睡眠・息抜き。
先生方もわかっていて、文系クラスの数学は教科書の各章の触りだけ、あとは自習。
地理は一年で習う学校だったので、三年の地理は受験に関係なかった。
視聴覚教室でビデオ鑑賞、生徒は睡眠か内職。テストは常識レベル。
フリーダム校でした。今でも、自由な学校らしいです。