Nicotto Town



自作12月 猫 「法の番人」前編

 ビロードのような黒い毛皮が艶めかしく光る。すべらかな毛皮をまとったそれが、鞭のような尻尾をぱしりとひと打ち。口をくわりと開けてあくびをした。かいま見えるのは、鋭い牙。
 ふふ。噛みつかれたら痛そうね。
 分厚いギヤマンが嵌まった窓辺に寝そべって、なんて気持ちよさそうなのかしら。書庫の本を害獣にかじられないよう飼っている子だけれど、あそこが定位置で日がな一日眠ってばかり。仕事をしているところなんて、一度も見たことがない。
 
「ふふ、鼠も虫も結構いるっていうのに」

 えんえん螺旋階段が続く円型の塔。ここの壁はみな、書物で埋まっている。
 大陸中の国々から集められた法典。裁判記録。法制史や軍制史の研究書に、処刑や拷問の覚書。
 硬いものからゆるいもの。なにやら怪しげなものまで、法に関するものならなんでも揃っている。
 人間がいかにして同族を裁いてきたのか。いかにして支配し、虐げてきたのか。すべての記録がここにある。今は滅んだ国々の言葉で書かれたものも多くて、貴重な文物ばかり。だから、鼠にかじられるのは困るのだけど。
 
「ロン先生、お客人が参りました」

 藍色のローブをひるがえして、書生のクリストくんが私の書斎にやって来た。筒型の塔のなかに屋根を支える柱として建つ、もう一本の塔の中。そのてっぺんに。
 手に持つ皿には猫のための魚。まったく、また甘やかすつもりね。働かざるもの食うべからずでしょうに。
 
「誰がいらしたの? スメルニア皇国の大使かしら? それともトバテ公国? もしや先程帰ったファラディア合衆国の方が、お忘れ物をしたのかしら?」
「金色の婦人です」 
「あら、またいらしたのね」
 
 顔をあげる必要はないわね。わざわざ一千年前の統一王国の公判記録を閉じて、席から立ち上がる価値などまったくないことだわ。

「ここへお通し……してはいけませんか?」
「来ていただいても、昨日と同じ答えしかできなくてよ?」
「……ですよね。わかりました、お引き取り願うよう伝えます」
 
 窓辺から塔の番人が降りて伸びをする。そのまん前にクリストくんが皿を置いて、踵を返す。
 そんな光景をちらと見ながら、私は記録の巻物をずっと下の方まで広げた。
 これは文書だけれど文書ではない。一見するとまっさらな羊皮紙。特殊なインクで文字が印刷されており、専用の眼鏡をかけなければ読めないという代物。
 技師に復刻させた特注眼鏡は、ずいぶん値が張ったわ。「都合の悪い」裁判記録をスメルニアに売りつけた代金で賄ったけれど。どこかのリゾート島をまるごと買えそうな値段だったわね。
 ふふ、それで文字が見えても、すんなり解読はできない。随分と楽しませてくれる逸品なのよね。
 
「オルファーレン体系の|暗号《エニグマ》だわ」

 王国に反乱を起こした領主を裁いたもの。表向きはそうなっているけれど、この機密度。
 その領主を中央府が裁いた内容をこれだけ秘密にしなければならないなんて、この罪人は王の御落胤か何かかしら。
 でもオルファーレン体系の解読表はもう完璧に作ってあるから――

「ちょっと、困ります!」

 あら。クリストくんたら、部屋の戸口で何を慌てているの?
 
「ロビーでお待ち下さいとお願いしたはずです」
「あなたではお話にならないわ!」
 
 あらあら。いきなりの大声に、うちの番人がしっぽを爆発させているわ。止められているのにずかずか入ってくるなんて、不躾な女だこと。金髪頭にレースをあしらったつば広の帽子。一見すると人間の女のようね。腰を絞った黄金色のパニエのドレスのシルエットのなんて細いこと。カメオを止めたブラウスはいちおう絹かしら? 着ているものはそこそこ良さそうだけれど。

「犬臭いわね」
「はぁ?! いきなり何を失礼な」

 突然失礼かましたのはそちらでしょうに? 私はあなたに入室を許していなくてよ、犬女。
 肩を怒らせてずかずか近づいてくるなんて、育ちが知れるというものね。
 野性味あふれる緑の瞳の荒々しいことといったら。つい最近まで野っぱらを走り回ってたとしか思えない野蛮さだわ。黒檀のデスクに両手をついて睨みあげてくるとか。礼儀も何もあったものじゃない。
 
「主人を、返してください」

 単刀直入、いきなり本題に入るところからして、野育ち確定ね。

「まずは入り口まで下がって挨拶してくださるかしら。帽子を取って、一歩足を引いて、腰を少し落として――」
「主人は一週間前、ここに入っていったきり。泊まってくるなどひとことも言ってなかったのです」
「人語を理解できないのかしら。帽子をお取りになってくださる?」
「そ、それはできません」

 女はたちまち困り顔。そうでしょうね。黄金色の頭に生えている犬耳を、公衆に見せるわけにはいかないもの。悔しげにぐるると唸って、今にも噛み付きそうな顔をするのがせいぜいといったところよね。

「七日前に申し上げた通りです、マダム」

 クリストくんが慌てて頭を下げて、女の注意を引く。
 
「たしかにエティアの方はここにおいでになられましたが、ロン先生の講義を受けられたあと、ちゃんとお帰りになりました」
「嘘です! 私は塔の前の広場で待っていたのです。夕刻にそこで待ち合わせようと出掛けに主人が言ったので、時間になる少し前からずっとそこで――」
「おそらくその時間になる前に、ご主人は塔を出たのでしょう。その日の講義は初日でしたので、ごくごく早く、終わりました」

 主人が待ち合わせを忘れるはずがない。自分をおいて一体どこへ行くというのか。塔に入っていくのを見たわけではないけれど、出てきたのは見ていないのだから、絶対ここに主人はいる。まだ、この中に――
 食い下がる犬女の訴えを聞くのをクリストくんに任せて、私はエニグマの解読書を後ろの書棚から出した。まったくキャンキャンうるさいこと。忠犬よろしく主人の身を案じるのは見上げたことだけれど、この女は名字すら持っていない。サブで使っている透視眼鏡をかければ、その正体は一目瞭然。
 半分機械のつくりもの。
 ずいぶん精巧な動物だこと。かつて灰色の技師たちが造ったものの生き残り。しかも最近改造された跡がある。
 体から放たれるかすかな光。これはレアメタルとバイオメタルのコーティングのせいね。中の回路もバイオメタルの永久回路が入っているみたい。すなわち、いにしえの神獣に使われた核を持っているということ。こんな極小サイズで存在するなんて、面白いことこの上ないわ。技の塔のケミストス老だったら、エティアの人よりむしろ、こちらの方を解剖したがること請け合いだけれど。
 話の内容はこの一週間まったく同じ。うんざりだわね。
 
「とにかく、エティアの方はここにはおりません。どうかお引き取りください」
「いやです! 主人は絶対ここにいます! だって匂いますものっ」

 嗅覚が鋭いのはさすがなのよね。でもその匂いはもうずいぶん古いのよ?

「検分の結果が出たというのに、主人がいないものですから、賢者さまたちも結果を伝えられずに困っているのです!」
「そんなことをいわれましても、当方ではあずかり知らぬことで……」

 クリストくんが女の肩をつかんで、遠慮がちに押して外へ出そうとしている。そんな生ぬるいやり方では引き下がらなさそうなので、私は仕方なしに手を上げた。

『消えよまぼろしの皮』
「きゃ?!」

 

アバター
2018/01/08 23:33
どう落着するんでしょう?
アバター
2018/01/01 02:17
これから先はどうなるのですかね。




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