節分の思い出
- カテゴリ:その他
- 2018/01/31 14:40:20
2月3日は節分で2月4日から立春だね。二十四節気は期間なので正確には2月4日から2月18日までが立春。19日から雨水なんだ。
節分は季節と季節の分かれ目で2月3日は冬と春との境目ってこと。
節分といえば追儺の儀式だよね。鬼遣らいともいって、節分の豆まきの行事。
穀物には生命力と魔除けの力が宿っているとか豆は魔滅につながるから鬼を祓うとかいろいろ言われているね。鰯の頭と柊を飾るとか魔はくさいものが苦手だから焼かがしといって鰯の頭を焼いてかざるとかね。
不思議に思わなかった? なんで豆なんだろう、なんで鰯の頭なんだろうって?
相手は鬼だよ。小さい頃から桃太郎とか金太郎とか一寸法師とかに悪者として出てきて人間相手に悪いことをして退治されて金銀財宝を奪い取られる鬼が、豆や鰯の頭を怖がるんだろうって。
豆をぶつけられるのは嫌だし、身がない鰯の頭なんて嫌いだよね。
でも、昔々の鬼と言われた人たちは春になると山から下りてきて田んぼの仕事を手伝い、秋になると村祭りを一緒に楽しんだあとに帰って行くんだ。これから一緒に農作業を手伝ってもらうのだから豆をまいて鰯の頭でも出してタンパク質を取ってもらって頑張ってもらうって考えられない?
ここからは子どもの頃のお話。忘れもしない小学校一年生の節分。担任の先生は厳しい女性の先生で学年主任だったと思う。その先生がクラスで「忘れ物が多い子」「泣き虫の子」「ふざけてばっかりいる子」「給食をいつも残す子」といった問題と思われる子たちを教壇に立たせて「みんなで鬼を祓いましょう」と豆をぶつけたんだ。私はぶつけられるほうに混ざっていた。当時は好き嫌いがあって給食を残していたからね。そのときは鬼は悪いものって思っていたからなんてこともなかった。
次の日の放課後に祖父の家でいとこと遊んでいたときに節分の話をして笑っていたんだよね。祖父の家は古い農家で江戸時代からの名主の家。小上がりの座敷の奥に祖父が書き物をしている書斎があって、ふすまがあいて祖父が出てきた。「明日わしも一緒に学校へいくぞ」って。
祖父は地元では名士で学校の役員もやっていた。集団登校では下級生とふざけている上級生もがちがちになって1キロ近くの道が遠くてたまらなかった。学校へつくと集団登校した近所の子たちは蜘蛛の子を散らすようにいなくなり、一緒に逃げようとした私は首根っこを捕まれて職員室へ連れて行かれた。悪いことはしてないと思うけどなにされるんだろうってね。
職員室で祖父は担任の先生をつかまえ、節分の話を始めた。学校教育とか日本の習慣がという担任になにごとか言っていたが校長室へ案内されて私も逃げ出せず、いきなり祖父は「うちは鬼の家系じゃ」と言いだした。
このときに生まれて初めて大人が泣くのを見たわけなんだよね。でも、あとから感じただけでそれよりも「うちは鬼の家系だったんだ」ってことがかなりショックだったんだ。夜中に桃太郎が攻め込んできたらどうしようって本気で思っていたからね。。。
成田山新勝寺もそうですね^^
鬼の家系は藤原氏に敗れた豪族なので悪いことではないですね^^
泣いた赤鬼は山形県の浜田廣介のお話ですね。高畠は今ワイナリーで有名ですが泣いた赤鬼についても展示があります。
泣いたのは担任の先生です。祖父の言い分は豆をぶつけたことでなくて、鬼の歴史を知らないでってことだった気がします。そのときはわからなくて民俗学のフィールドワークをしているうちに理解できたんですけどね。
祖父はかなりきびしくて体を丈夫にするために山歩きに連れていきついて行けないスピードで連れ回されました><今考えると浅い山だったけど何回迷子になったか^^;;
鬼の家系だろうが、何も悪い事ではありません。
えっと、泣かれたのは恥知らずな担任ですか?それとも大切な孫を、節分に乗じて弾劾された
おじいさまですか?
それにしても、ひどいですね。昔は教師の力が強かったですから、
文句は言えないのが当たり前だったと思います。おじいさま勇気がありますし、
さすがその土地の権力者ですね。