行き過ぎた平等主義が世界を破壊するお話
- カテゴリ:その他
- 2018/02/12 15:05:52
Aさん、Bさん、Cさんが同じ市内に住んでいました。同年代の男性、同じレベルの学歴、仕事は中堅どころの営業、年収も同じ程度、住んでいるところも同じ大きさのマンション、結婚して子どもがいて公立の小学校へ通っています。
ある大雪の日。積雪で道路も駐車場も雪かきをしなければ車が出せません。
Aさんのマンションは全員が協力して雪かきをして全員が車で通勤できました。
Bさんのマンションは役員ががんばって道路の雪かきをして、Bさんは自分の車だけ雪かきをして通勤することができました。
Cさんのマンションで誰も雪かきをせず、Cさんは市役所に電話して除雪車を寄こせと騒ぎました。順番なので除雪作業員が来るのに時間がかかりCさんは欠勤しました。
あるアニバーサリーの夜。レストランで家族でディナーを楽しみたいとき。
Aさんは1か月前からテーブルを予約して、お店と相談してワインと料理を決めました。アレルギーや嫌いなものの情報を伝えて当日に困ったことが起こらないように時間をかけて打ち合わせしました。
Bさんは前日にあいているお店を探して予約して予算を伝えて料理を用意してもらってストレスなく楽しむことが出来ました。
Cさんは当日になって人気のレストランへ行き、予約でいっぱいと断られて「客を追い返すとは何事だ」と大騒ぎしました。あいている店を探して注文した料理にアレルギーの材料が入っていたことに文句をつけてさんざんなアニバーサリーでした。
市が主催するコンサート。全国コンクールで優勝した地元の高校のブラスバンドの演奏会。
Aさんは税金の滞納もなく市のボランティアにも積極的に参加し、市民が参加する評議員も務めたことがあります。コンサートも申し込みましたが抽選で外れて観に行くことができませんでした。
Bさんは税金は滞納なく払っていますがボランティアには興味がなく、コンサートは知り合いが出ているとの理由で申し込み、抽選で当たって観ることができました。
Cさんは税金を滞納していて督促状が届いています。ボランティアにも参加したことがありません。コンサートは興味がなかったのですが知り合いが申し込んで余ったチケットで観に行きました。
ある駐車場。イベントがあって混雑しています。
Aさんは公共交通機関を使ってイベント会場へ行きイベントを楽しみました。帰りのバスが混んで帰りのバスに乗るのに時間がかかりました。
Bさんは早起きしてイベント会場の駐車場に停めることができました。イベントが終わって帰ってくると車は当て逃げされていて傷がついていました。違法に駐車している車のせいで出るのに時間がかかりました。
Cさんは思いつきでイベントへ行きいっぱいの駐車場へ無理矢理入れて違法に停めてイベント終了後に多くのドライバーに文句を言われながら先に出ていきました。
市が募集している事務作業。時給は1000円で5時間程度の仕事です。
Aさんは4時間みっちり仕事をして1時間余して作業を終わらせました。時給は5時間分でしたが1時間分は仕事をしなかったからと4時間分の時給しか受けとりませんでした。
Bさんは5時間きちんと仕事をして作業を終わらせて5時間分の時給を受けとって帰りました。
Cさんは5時間の間まともに仕事をせず、コンビニへ行ったりゲームをしたりして過ごし、2時間残業して7時間分の時給をもらって帰りました。
平等を追求すると公平性が損なわれる。倫理的にはともかく法の下では誰も問題は起こしていませんが、感覚としてはおかしい。
経済至上主義でぎすぎすしているところへ、利益重視の弁護士が法律を解釈しすぎた結果、住みにくい社会にしてしまった気がします。
こんにちは。
コメントありがとうございます。
自分中心で考えるといろんなことが不公平に思えますよね。
理想は公平になのですが、日本では法律のもとの平等なのですよね。
だから、企業採用、昇進、結婚などでは不公平なことが起こります。
サンデル教授が著書で触れているように、マイノリティの合格枠があるのは白人への差別なのかと言い出すと収拾がつかなくなります。
就職活動までに努力して成果をあげた人と遊んでいた人とでは差がついて当然なのですが、能力の区別を差別と言い張る人たちがいますからね。
不手際については何年も同じような問題が起こっている気がします。
ただ、仰るとおり性善説が前提で条件が設定されるので悪意を持って屁理屈をこねることを想定していないので、弁が立つ人がルールをゆがめて行き、それが成立するたびにそれは成功体験や事例として積みあがって行くという悪いスパイラルも生まれます。
イベントの不手際はノウハウの無さなのでこれもまた必ずしも態度ややる気とは必ずしも連動しないのですが、「できる人達の手を借りる」事を考えないのは難易度や労力の見積もりが甘いだけなのですよね。最近の気候は待たせてごめんねじゃ済まない下手すれば命にかかわる事もあるので、危機管理としてもノウハウがある人に相談するくらいの慎重さはあった方がみなが幸せになれそうな気がします。
コメントありがとうございます^^
公共の仕事の場合は条件設定が曖昧なことが多くて(多くは求人を出す側が慣れていないことが原因)結局性善説を当てにしているんですよね。結果、モラルが低い人が入ってきてイベントが失敗になってしまう。
地元の新聞社が開催したイベントで手際が悪くて猛暑のなか行列しているのにその写真をスタッフが撮っていたりしましたから、運営側の意識もあると思います。
運営側も面倒なことは避けたいと思う結果、屁理屈を許容するのでしょうね。あの人おかしいって言う人のほうが話が通じますからね。
予め条件設定されて居なかったり関連性が低かったりする条件の設定をするのは「不平等」という判断でよさそうですが、経緯や実現に大きな関連性のある事については「予め明示されていれば」望むなら条件を満たせば良いだけなのですから問題はない気もします。むしろ、明示されていない手心なんて加えるほうが「不平等で且つ不公平」です。興味ある人じゃなくてそうでも無い人に行っちゃうのは条件設定が不適切なんですよね。
仕事については、Cさんのケースは提供される労働力に瑕疵があるという判断は出来そうな気がします。Aさんのもやられると多分困るのは現場の人だと思います。日給として設定して、最大時間を5時間、それより前に終われば満額支給で解散。と設定されていればクレームも付かないので設定と本人の感覚の齟齬ですね。その自分の感覚で誰かの仕事を増やすのは善行じゃないし、そういうのはせめて事前に確認するのが筋です。そしてその実績は次の判断や条件に影を落とします。「善人に見えるのはその場だけ」です。基本的に多くは真面目な人を守るためのものですが、現実にはCさんみたいのを解雇しづらくする反面、まともな労働者はバッサリと切られたりするので条件の定義や運用はとても難しいですね。
目的に合致するかという部分での資格、フィルタは区別であって差別ではないので「公平」で理由のある物です。ですから、クレームが出ても「確固たる理由がある」なら蹴飛ばせるはずなのですが、似ている「平等」という言葉と屁理屈で丸め込まれることが更に利己的な物言いを許容しているような気もしますね。
不公平と感じるのは主観だけど、法の下の平等は客観なんです。
そうではないと法律の文言に組み込めないから。
ただ、平等を組み込んだことで本来なら資格がない(たとえば税金を払っていないけど税による恩恵を受けるとか)人が主張する平等が一人歩きしている気がします。
関西圏の人が詐欺で騙される特徴として「自分は特別だから」という人間の心理をついたものを利用されているからと言われています。
あなただけに未公開株を、あなただけにオリンピック開会式のチケットを、あなただけに優先的な宿泊券をと言われて疑わないでお金を払ってしまうとか。
「何かズレていると感じる」感覚はまっとうだと思うのですが、自分が特別だからなんでも許される人たちにとっては違うのでしょうね。自分は自分はと主張するのに他人が同じことをやると許せないという。
ちょっとでも相手のことを考えられれば違うのでしょうけど、余裕がなくなったのかもしれませんね。
が・・・。
平等って、多分に主観なんだよな。
なので実現を目指すほど新たな不平等と課題が・・・(以下、ループ
いつも訪問ありがとうございます。
この「何かズレている(おかしい)と感じる社会」、わたしも常日頃ふと
思う事が沢山あります。
人って、こんなに自己主義だったけ?
待つことができなかったけ?・・・とか。
自分中心、自分だけが良ければいい。そんなことを考えてはいけません。
という事を、家庭だけでなく幼稚園や小学校等で言われて育ってきた
世代なので、余計にそう思ってしまうのかな?と時々首を傾げる事も。
こういう、身近なささいな「違和感」に慣れてしまって、自分が良ければいい、
自分の周りだけが平和であればいい、と思って実行していく内に、
それがどんどん家庭内からご近所へと「自分の都合の世界」が広がっていって
最後には国と国同士の話に発展して・・・哀しい事になってしまうのでしょうね。
今は少しで良いので、相手の気持ちというものを考慮できる世の中に戻りたいですね。