Nicotto Town



銀の狐金の蛇26 「死神」(後編)

 たしかにそういう夢は見た。ユインの邑(むら)で水の発破が起こった後に。しかしあれは現実のことではない。実際に生前の師が言ったものではないはずである。
「そ、それは、ゆ、夢で見たもので……」
「夢は、自分で見るだけじゃない。他の人にも贈れるものだろ?」
「あ……!」
「あはは。夢見としては、チルはまだまだだなぁ」
 あれはてっきり自分が見た夢だと思っていたのに。まさか本当に契約を結んでいたなんて。

 だまし打ちにあった気分になり、小さなチルは歯噛みした。
「で、ですがお師様、あなたは私がずっと天使と一緒にいる方法を教えてくれたんじゃないのか? 天使は助かったが、私が死んでしまったら元も子も……」
「天使は君と一緒にいるよ、ほら」
 師が、ふわりと黒き衣の袖を薙ぐ。たちまち岩窟の寺院が消え、ふたご山が眼下にあらわれた。師が意識の幕を透明にしたのだ。
 ユインにできた湖は、いまや小さな蒼い点。いとし子を迎えにきたヒュプノウスは、どんどん空の高みへ上昇しつづけており、今や山上にたなびく雲を越えようとしている。
「神殿があったところに湖ができたねえ。泉レベルだがまあ、あれでもうユインの民は水に困るまいよ」
「カディヤ!」
 湖の岸辺で、師にすがる一番弟子。その姿は遠すぎて点のよう。だがまだ、かろうじてそこにいることがなんとか分かる。
「ほら、天使はそなたと一緒にいる。天使は永遠にそなたの体のそばから離れるまいよ」
「体から?! そ、それがずっと一緒にいるって意味なのか?!」
「うん♪」
「うんって! お師様! それはいくらなんでも!」
 へりくつだろうがなんだろうが一緒にいることに変わりはないさと、師はころころ笑った。
「天使は後追いするんじゃないかな。お墓に一緒に埋めてもらえば、チルと天使はずっと離れないねえ。いやぁ、めでたしだ」 
「めでたしじゃない!」
 小さなチルは真っ青になって叫んだが。師はますます、抱きしめてくる腕に力をこめてきた。
「チル、約束だ。私のものにおなり」
「いやだ! カディヤ!」
「ああもう、仕方がないなぁ

 黒き衣がぶわりとはためき、周囲の何もかもを覆い隠した。
 師の強固な片腕がチルの腰を絞りあげるように締めあげる。痛みが走ると思いきや。チルはたちまち、心地よいぬくもりに包まれた。

「な……この熱は?!」
「魂をしっかり絡み合わせた。体よりもよく感じ合えると思うよ?」

 小さなチルの目の前で火花が散った。焔の中に投げ込まれたような熱が、一瞬全身をさいなむ。
 激しい焔はぶすぶすチルを焼いたあと、とろけるように穏やかで優しい波となって押し寄せてきた。

「なんだこのぬくもり……溶ける……!」 
「チルは私がほしいだろう? あんなに泣いて、ひとりにしないでくれと願ったんだから」
「あ、あの時はたしかに……そう願った……が……」 
「さあ、溶けて地上のことは忘れるんだ」 
「い、いやだ……!」
 師の腕がじんじん燃える。しかしその心地よさは尋常ではない。本当にとろとろ、溶かされてしまいそうだ。黒き衣はさながら揺りかごのよう。怖ろしい眠気がチルを襲ってきた。 
「うう、も……だめ……死ぬ……」
「はは。チルはもう死んでるよ」
「う……!」
 熱気と眠気に浮かされて、チルの視界がぼやけてきた。
 熱い。
 熱い。
 熱い……
「おし……さ……ま……!」 
 もっと。
 もっと。
 とろけたい――。
 心地よさにチルが押し流されそうになり、意識を散らしかけたとき。

「うっ?!」

 がくりと、師の体が揺れた。
 何か大きな力の塊が、下から猛然と飛んできたのだ。それはチルを捉えるヒュプノウスを直撃してからも、ぎゅんぎゅん周りを飛んでいる。あたかもけん制をかける蜂か。それとも弾丸のように。

『ソムニウス!』

 鋭い声がその勢いあるものから放たれた瞬間。チルはハッと熱っぽいまどろみから意識を起こした。おのが名をよぶそれは。黒き衣のむこうから聴こえてくるそれは。だれかの、意識だった。

『ソムニウス!』

 だれなのか確かめるまでもない。この世で生きながらにして魂を飛ばせるのは、修行を積んだ韻律使いだけだ。
「か……」
「む。なんだこれは?」
 黒き衣の闇が払われた。
 下から飛んできたものに煽られ、衣がひるがえったのだ。
 外の景色がよみがえる。こちらに猛然と近づくものを見たチルは叫んだ。
「カディヤ! ここだ! 私はここだ!」
 ヒュプノウスが口を引き結び、上昇する速度を上げる。逃げおおせようというのだろう。
 しかし激しい感情をぶつけんばかりに飛んでくる意識は、二つの魂を逃さなかった。きらきらきらめく塊が、チルを絞っている師の腕をしっかとつかむ。そこでようやく、弾丸のように飛ぶものの姿が一瞬静止してみえた。
「ぬ……! 精霊つきか」
 師がたじろぐ。全身が真紅にかがやく天使――それはまごうことなく、巻き毛のカディヤだった。弟子はその肩にいくつも焔の玉を背負っている。召喚した精霊をつけてきたのだ。
去いね、天使よ! そなたの役目は終わった。私の子を守ってもらって感謝する。今までご苦労だったな」
『死神よ! ソムニウスを離しなさい!』
「私は死神ではないぞ」
『いいから離しなさい!』
 ぎゅんとカディヤの肩に浮かぶ焔の玉があらぶり、ヒュプノウスの頬をかすめる。
「おのれ。ゲヘナの焔に焼かれるがいい!」
 師の顔がたちまちぎりっと怒りを帯び、その口から呪いの言葉が放たれた。だがその叫びは実際の音波にはならない。ゆえに韻律は発動しなかった。その代わり、黒き衣が周囲にぶわりと広がる。まるで焔が燃え広がるように。
 真紅の天使は怯まず、焔の精霊玉をばすんばすんと漆黒の衣に当てた。たちまち衣に穴が開いて焼けていく。しかし――
『ソム!』
 燃ゆる玉の追撃むなしく、ヒュプノウスはずんずん天へ昇っていく。師の腕にしっかとくるまれたチルは、弟子に叫んだ。
「カディヤ、だめだ。それでは効かない!」
 焔の玉はヒュプノウスの衣の袖をばすばすと穿っている。だがチルに当てまいとして力を加減しているために、精霊の威力が目標を撃ち落とすまでに達していないようだ。
 小さなチルを抱える師は、白雲の中へ逃げ込んだ。
 黒い衣は千々にちぎれ、その破片が雨のように下へ降り注ぐ。
 ぱし、ぱし、と、カディヤの周囲で焔の精霊がきらめいた。黒い衣の破片を焼いているのだ。まばゆい花火のような爆発が、チルの目をちかちか焼いた。
「うーん、しつこいなぁ」
「お師様お願いします! あの子を痛めつけないでください!」
「こっちが痛めつけられそうなんだが」
「や、やめさせますから! カディヤ! カディヤ!!」
 小さなチルは師の腕からせいいっぱい身を出した。
「攻撃をやめるんだ! 頼みがある!」
『ソム?』
「遺言を、開いてくれ!」
 どうか望みどおりになりますようにと祈りながら、チルは叫んだ。
「ずっと前から書いていたんだ。私が万が一死んだときのために! それを開いてくれ!」
『それはどこにあるんですか?』
「ずっと肌身離さず持っている! 先日その器を替えたばかりだ」
 チルは点ほどになった蒼い湖を指さした。
「私の首にかかっている!」
『ソム、それは……!』
「急げ!」
 ぼろっと涙をこぼして震える弟子を、チルは急かした。
「匂い袋を開けてくれ、私のカディヤ!!」
 弟子が真紅色の光の尾を引いて急旋回し、湖へ向かう。目にも止まらぬ速さで飛んでいく。
 その輝きを見つめるチルは、深く念じた。どうかいとしい人を悲しませることにならないようにと。

(どうか)
(どうかカディヤが泣きませんように) 
(心穏やかになりますように……)



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2018/02/27 20:53
藍色さま

お読み下さりありがとうございます><
ソムさん、過保護にされすぎてお勉強もあんまりw
夢見一家、師や師の師への尊敬はそれなりにあるのでしょうが
やはり引けないところは引けない…
ソムさんもがんがん我を通しますw

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2018/02/27 20:50
よいとらさま

お読み下さりありがとうございます><
死んでからが本番、黒の導師の技が冴え渡……るのかどうか。
赤い衣の顛末などなど、お伝えできればと思います。
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2018/02/27 20:48
カズマサさま
お読み頂きありがとうございます><
いつも一番にきてくださって本当にうれしかったです。
銀の狐と金の蛇、更新急ぎますね。
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2018/02/24 09:10
>「あはは。夢見としては、チルはまだまだだなぁ」
何というか、ヒュプノウス師は規格外な夢見だったのだなぁ。
後継のソムニウスさんは、追いつけないままだったのか。

ヒュプノウスさんとソムニウスさんとカディヤさん。
それぞれの我と意地と意思のぶつかり合い
みたいな感じが結構好きだ。
お互い、相手に好意を持っているけれど、
だからといって自分の意思を曲げたり譲ったりはしないのだなぁ。
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2018/02/23 19:08
個々に書いて置きますが、3月から新しい職場に代わります。

それの関係で朝が早く出勤になる事に成りましたので、ニコタを今月いっぱいで卒業する事に致しました。

ニコタの朝の巡回が難しくなって来たので、この辺りで卒業したいと思います。

2月の残りいっぱい、宜しくお願い致します。
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2018/02/23 10:38
おはようございます♪

カディアさんを守りきったソムニウスさんは穏やかに天界へ・・・
とは、やはりいきませんよねぇ^^;

魂だけの存在となった直後の浮遊感、
蘇る記憶の数々、懐かしい人々との再会。
ここまでは普通ですが、始まったのが
天界の手前の幽界で魂の争奪戦。
蒼い湖を眼下に白い雲を舞台にして赤い焔が黒い衣を焼き穿つ・・

遺言を開いたあとの展開が楽しみです^^





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2018/02/22 20:10
何か罠みたいな物を使うのかな?




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